53 / 69
第53話:図面の行方
しおりを挟む
「配管図面……、だと? そんな汚い紙切れ、誰が気にするか!」
レイモンド殿下は、法廷中に響く大声で鼻を鳴らしました。
私が提示した最後の懸念――図面の欠如に対して、彼は全く危機感を抱いていないようです。
「家を解体するなり、修理するなり、壁をぶち壊せば中身は見えるだろう! いちいち紙を見ながら作業するなど、三流の職人がすることだ!」
「……三流、ですか」
私は呆れて溜息をつきました。
「殿下。現代建築において、壁の中は内臓のように複雑です。上水道、下水道、ガス管、電気配線……。それらが絡み合うように埋設されています。……外科医が何も見ずにメスを入れたらどうなるか、想像できませんか?」
「うるさい! 私の勘があれば、危険な管など避けられる!」
その時でした。
大審問の間の重い扉が、礼儀も忘れて乱暴に開け放たれました。
飛び込んできたのは、煤だらけになり、顔面蒼白で息を切らした王宮の衛兵でした。
「ほ、報告しますッ!! 緊急事態発生!!」
「なんだ騒がしい! 今は裁判中だぞ!」
裁判長が木槌を鳴らしますが、衛兵は構わず叫びました。
「レイモンド殿下のご新居で……、爆発事故です!!」
「は……?」
殿下の動きが止まりました。
会場全体が凍りつきます。
「ば、爆発だと!? 私の愛の巣が!?」
「は、はい! カビの生えた壁を張り替えるために、業者が壁を剥がそうとしてノミを打ち込んだところ……、壁の中に埋まっていたガス管を切断してしまったのです!」
衛兵の報告に、私は「やはり」と小さく頷きました。
「漏れ出したガスに、照明の火花が引火し……、小規模ですが爆発が起きました! 幸い負傷者は軽傷で済みましたが、屋敷内にはガスが充満しており、いつ大爆発してもおかしくない状況です! 現在、半径五百メートル以内の住民に避難勧告が出ています!」
「な、なんだとぉぉぉっ!?」
殿下が顔を抱えて絶叫しました。
隣のシルヴィア様も、「私のドレスが! 宝石がぁ!」と泣き叫びます。
「……申し上げた通りですわ」
私は静かに、しかし冷酷に告げました。
「あのお屋敷は、外観の美しさを優先するために、配管を柱の中や壁の隙間に無理やり押し込む隠蔽配管を行っています。……通常の住宅とは全く違う、不規則な場所にガス管が走っているのです」
私は自身のこめかみを指差しました。
「どこに何が埋まっているか。その正確な位置を知っているのは、現場監督として施工図を引いた私と……、私が持ち出した竣工図だけです」
「き、貴様……!」
殿下が血走った目で私を睨みました。
「知っていたのか! 知っていて黙っていたのか!」
「聞かれなかったので。それに、殿下は先ほど仰ったではありませんか。『紙を見ながら作業するのは三流だ』と」
私は肩をすくめました。
「一流の勘をお持ちの殿下が雇った業者なら、図面なしでも避けられると思っておりましたわ」
「ぐ、ぐぬぬ……! 出せ! 今すぐその図面を出せ! ガスを止めるバルブの位置だけでも教えろ!」
殿下はなりふり構わず叫びました。
屋敷が爆発すれば、資産価値ゼロどころか、近隣住民への賠償でマイナスになります。
王家の破産は確定的です。
しかし、私は首を横に振りました。
「お断りします」
「なっ……!?」
「先ほど申し上げました通り、私は不当に解雇され、契約に基づき知的財産を回収しただけです。……私の所有物である図面を、あなたに提供する義務はありません」
私はマックス様を見上げました。
「それに、もう手遅れですわね?」
「ああ。ガスが充満しているなら、うかつに近づけない。……あの屋敷はもう、誰にも止められない時限爆弾だ」
マックス様が冷静に分析します。
「ひ、人殺しーっ! あんたのせいで家が燃えちゃうじゃない!」
シルヴィア様がヒステリックに叫びましたが、ロッテが間髪入れずに言い返しました。
「違いますよぉ! お嬢様は説明書(図面)を大事にしてたのに、それをゴミ扱いして追い出したのはそっちじゃないですか! ……説明書を読まずに機械を壊して、メーカーに文句言うのはクレーマーって言うんですよ!」
会場の貴族たちが、うんうんと頷いています。
彼らもまた、家の修繕で図面の重要性を知っているからです。
「殿下。……建物というものは、完成した瞬間からブラックボックスになります。壁の裏側を見ることはできません」
私は鞄を閉じました。
「その見えない部分を管理し、記録し、守り続けることこそが、家主の責任であり、愛です。……見た目だけの愛を語り、中身(インフラ)を軽視したあなたに、あの家を維持する資格は最初からなかったのです」
「あ……、あぁ……」
殿下は膝から崩れ落ちました。
遠くで、鈍い音が響きました。
おそらく、屋敷の一部がガス爆発で吹き飛んだ音でしょう。
カビて、傾き、毒を含み、そして自ら爆発した愛の巣。
それは、レイモンド殿下の王位継承権と共に、文字通り灰燼に帰そうとしていました。
「さて、裁判長。……証拠は出揃いました。判決をお願いいたします」
私の声が、静まり返った法廷に凛と響きました。
これ以上の議論は不要。
物理法則が、すでに彼らを裁いてしまったのですから……。
レイモンド殿下は、法廷中に響く大声で鼻を鳴らしました。
私が提示した最後の懸念――図面の欠如に対して、彼は全く危機感を抱いていないようです。
「家を解体するなり、修理するなり、壁をぶち壊せば中身は見えるだろう! いちいち紙を見ながら作業するなど、三流の職人がすることだ!」
「……三流、ですか」
私は呆れて溜息をつきました。
「殿下。現代建築において、壁の中は内臓のように複雑です。上水道、下水道、ガス管、電気配線……。それらが絡み合うように埋設されています。……外科医が何も見ずにメスを入れたらどうなるか、想像できませんか?」
「うるさい! 私の勘があれば、危険な管など避けられる!」
その時でした。
大審問の間の重い扉が、礼儀も忘れて乱暴に開け放たれました。
飛び込んできたのは、煤だらけになり、顔面蒼白で息を切らした王宮の衛兵でした。
「ほ、報告しますッ!! 緊急事態発生!!」
「なんだ騒がしい! 今は裁判中だぞ!」
裁判長が木槌を鳴らしますが、衛兵は構わず叫びました。
「レイモンド殿下のご新居で……、爆発事故です!!」
「は……?」
殿下の動きが止まりました。
会場全体が凍りつきます。
「ば、爆発だと!? 私の愛の巣が!?」
「は、はい! カビの生えた壁を張り替えるために、業者が壁を剥がそうとしてノミを打ち込んだところ……、壁の中に埋まっていたガス管を切断してしまったのです!」
衛兵の報告に、私は「やはり」と小さく頷きました。
「漏れ出したガスに、照明の火花が引火し……、小規模ですが爆発が起きました! 幸い負傷者は軽傷で済みましたが、屋敷内にはガスが充満しており、いつ大爆発してもおかしくない状況です! 現在、半径五百メートル以内の住民に避難勧告が出ています!」
「な、なんだとぉぉぉっ!?」
殿下が顔を抱えて絶叫しました。
隣のシルヴィア様も、「私のドレスが! 宝石がぁ!」と泣き叫びます。
「……申し上げた通りですわ」
私は静かに、しかし冷酷に告げました。
「あのお屋敷は、外観の美しさを優先するために、配管を柱の中や壁の隙間に無理やり押し込む隠蔽配管を行っています。……通常の住宅とは全く違う、不規則な場所にガス管が走っているのです」
私は自身のこめかみを指差しました。
「どこに何が埋まっているか。その正確な位置を知っているのは、現場監督として施工図を引いた私と……、私が持ち出した竣工図だけです」
「き、貴様……!」
殿下が血走った目で私を睨みました。
「知っていたのか! 知っていて黙っていたのか!」
「聞かれなかったので。それに、殿下は先ほど仰ったではありませんか。『紙を見ながら作業するのは三流だ』と」
私は肩をすくめました。
「一流の勘をお持ちの殿下が雇った業者なら、図面なしでも避けられると思っておりましたわ」
「ぐ、ぐぬぬ……! 出せ! 今すぐその図面を出せ! ガスを止めるバルブの位置だけでも教えろ!」
殿下はなりふり構わず叫びました。
屋敷が爆発すれば、資産価値ゼロどころか、近隣住民への賠償でマイナスになります。
王家の破産は確定的です。
しかし、私は首を横に振りました。
「お断りします」
「なっ……!?」
「先ほど申し上げました通り、私は不当に解雇され、契約に基づき知的財産を回収しただけです。……私の所有物である図面を、あなたに提供する義務はありません」
私はマックス様を見上げました。
「それに、もう手遅れですわね?」
「ああ。ガスが充満しているなら、うかつに近づけない。……あの屋敷はもう、誰にも止められない時限爆弾だ」
マックス様が冷静に分析します。
「ひ、人殺しーっ! あんたのせいで家が燃えちゃうじゃない!」
シルヴィア様がヒステリックに叫びましたが、ロッテが間髪入れずに言い返しました。
「違いますよぉ! お嬢様は説明書(図面)を大事にしてたのに、それをゴミ扱いして追い出したのはそっちじゃないですか! ……説明書を読まずに機械を壊して、メーカーに文句言うのはクレーマーって言うんですよ!」
会場の貴族たちが、うんうんと頷いています。
彼らもまた、家の修繕で図面の重要性を知っているからです。
「殿下。……建物というものは、完成した瞬間からブラックボックスになります。壁の裏側を見ることはできません」
私は鞄を閉じました。
「その見えない部分を管理し、記録し、守り続けることこそが、家主の責任であり、愛です。……見た目だけの愛を語り、中身(インフラ)を軽視したあなたに、あの家を維持する資格は最初からなかったのです」
「あ……、あぁ……」
殿下は膝から崩れ落ちました。
遠くで、鈍い音が響きました。
おそらく、屋敷の一部がガス爆発で吹き飛んだ音でしょう。
カビて、傾き、毒を含み、そして自ら爆発した愛の巣。
それは、レイモンド殿下の王位継承権と共に、文字通り灰燼に帰そうとしていました。
「さて、裁判長。……証拠は出揃いました。判決をお願いいたします」
私の声が、静まり返った法廷に凛と響きました。
これ以上の議論は不要。
物理法則が、すでに彼らを裁いてしまったのですから……。
2
あなたにおすすめの小説
【完結】前代未聞の婚約破棄~なぜあなたが言うの?~【長編】
暖夢 由
恋愛
「サリー・ナシェルカ伯爵令嬢、あなたの婚約は破棄いたします!」
高らかに宣言された婚約破棄の言葉。
ドルマン侯爵主催のガーデンパーティーの庭にその声は響き渡った。
でもその婚約破棄、どうしてあなたが言うのですか?
*********
以前投稿した小説を長編版にリメイクして投稿しております。
内容も少し変わっておりますので、お楽し頂ければ嬉しいです。
「予備」として連れてこられた私が、本命を連れてきたと勘違いした王国の滅亡フラグを華麗に回収して隣国の聖女になりました
平山和人
恋愛
王国の辺境伯令嬢セレスティアは、生まれつき高い治癒魔法を持つ聖女の器でした。しかし、十年間の婚約期間の末、王太子ルシウスから「真の聖女は別にいる。お前は不要になった」と一方的に婚約を破棄されます。ルシウスが連れてきたのは、派手な加護を持つ自称「聖女」の少女、リリア。セレスティアは失意の中、国境を越えた隣国シエルヴァード帝国へ。
一方、ルシウスはセレスティアの地味な治癒魔法こそが、王国の呪いの進行を十年間食い止めていた「代替の聖女」の役割だったことに気づきません。彼の連れてきたリリアは、見かけの派手さとは裏腹に呪いを加速させる力を持っていました。
隣国でその真の力を認められたセレスティアは、帝国の聖女として迎えられます。王国が衰退し、隣国が隆盛を極める中、ルシウスはようやくセレスティアの真価に気づき復縁を迫りますが、後の祭り。これは、価値を誤認した愚かな男と、自分の力で世界を変えた本物の聖女の、代わりではなく主役になる物語です。
あなたのことなんて、もうどうでもいいです
もるだ
恋愛
舞踏会でレオニーに突きつけられたのは婚約破棄だった。婚約者の相手にぶつかられて派手に転んだせいで、大騒ぎになったのに……。日々の業務を押しつけられ怒鳴りつけられいいように扱われていたレオニーは限界を迎える。そして、気がつくと魔法が使えるようになっていた。
元婚約者にこき使われていたレオニーは復讐を始める。
もう散々泣いて悔やんだから、過去に戻ったら絶対に間違えない
もーりんもも
恋愛
セラフィネは一目惚れで結婚した夫に裏切られ、満足な食事も与えられず自宅に軟禁されていた。
……私が馬鹿だった。それは分かっているけど悔しい。夫と出会う前からやり直したい。 そのチャンスを手に入れたセラフィネは復讐を誓う――。
彼女の離縁とその波紋
豆狸
恋愛
夫にとって魅力的なのは、今も昔も恋人のあの女性なのでしょう。こうして私が悩んでいる間もふたりは楽しく笑い合っているのかと思うと、胸にぽっかりと穴が開いたような気持ちになりました。
※子どもに関するセンシティブな内容があります。
王子妃教育に疲れたので幼馴染の王子との婚約解消をしました
さこの
恋愛
新年のパーティーで婚約破棄?の話が出る。
王子妃教育にも疲れてきていたので、婚約の解消を望むミレイユ
頑張っていても落第令嬢と呼ばれるのにも疲れた。
ゆるい設定です
王妃様は死にました~今さら後悔しても遅いです~
由良
恋愛
クリスティーナは四歳の頃、王子だったラファエルと婚約を結んだ。
両親が事故に遭い亡くなったあとも、国王が大病を患い隠居したときも、ラファエルはクリスティーナだけが自分の妻になるのだと言って、彼女を守ってきた。
そんなラファエルをクリスティーナは愛し、生涯を共にすると誓った。
王妃となったあとも、ただラファエルのためだけに生きていた。
――彼が愛する女性を連れてくるまでは。
平民とでも結婚すれば?と言われたので、隣国の王と結婚しました
ゆっこ
恋愛
「リリアーナ・ベルフォード、これまでの婚約は白紙に戻す」
その言葉を聞いた瞬間、私はようやく――心のどこかで予感していた結末に、静かに息を吐いた。
王太子アルベルト殿下。金糸の髪に、これ見よがしな笑み。彼の隣には、私が知っている顔がある。
――侯爵令嬢、ミレーユ・カスタニア。
学園で何かと殿下に寄り添い、私を「高慢な婚約者」と陰で嘲っていた令嬢だ。
「殿下、どういうことでしょう?」
私の声は驚くほど落ち着いていた。
「わたくしは、あなたの婚約者としてこれまで――」
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる