殿下、その婚約破棄の宣言が、すべての崩壊の始まりだと気付いていますか?

水上

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第52話:思い出の抹消

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「……粗大ゴミ、だと? 言葉を慎め!」

 レイモンド殿下は、顔を真っ赤にして証言台をバンと叩きました。
 物理的にも経済的にも、そして法的にも追い詰められた彼に残されたのは、もはや感情論しかありませんでした。

「あの屋敷は、私が自らのセンスで作り上げた芸術作品だ! 古臭くてカビ臭い王宮の伝統などという過去の遺物を排除し、最新の流行を取り入れた、新時代の象徴なのだ!」

 殿下は胸を張り、傍聴席の貴族たちに同意を求めました。

「諸君もそう思うだろう? 薄暗いオーク材の壁や、色のくすんだステンドグラスなど、見ていて気が滅入る! だから私は、全てを白と金に塗り替え、明るく開放的な空間にしたのだ!」

 シルヴィア様も横から口を挟みます。

「そうよぉ! 前の建物ってば、なんか幽霊が出そうだったし、窓ガラスも曇ってて汚かったの。だから全部割って、ピカピカの透明なガラスに変えてもらったの! スッキリしたわぁ!」

 二人は得意げです。

 古いものを捨てて新しくしたのだから、良いことに決まっているという、浅はかな価値観を疑いもしません。

 しかし、会場の空気は冷ややかでした。
 特に、年配の高位貴族たちの表情が、侮蔑の色を帯びていきます。

「……殿下。あなたは今、『過去の遺物』と仰いましたね?」

 私は静かに口を開きました。

「あなたがリノベーション……、いえ、破壊したその建物が、元々どのような場所であったかご存知で?」

「ふん、知るか。どうせ数代前の王族が使っていた、ただの別邸だろう」

「いいえ。あそこは、建国の祖である初代国王陛下が、晩年を過ごされた記念館としての側面を持つ建物でした」

 会場がざわめきます。

「あなたが『古臭い』と言って剥がし、捨ててしまったオーク材の腰壁。……あれには、初代国王陛下が愛したこの国の四季の草花が、当時の最高峰の職人によって手彫りされていたのです」

 私は一枚の写真(魔導具による記録映像)を提示しました。
 そこには、飴色に輝く重厚な木彫りの壁が映っていました。

「経年変化によって深みを増したその木材は、百年以上の時を経て、ワックスなど塗らずとも内側から輝くほどの艶を持っていました。……それを、あなたは?」

「……ペンキで塗り潰した」

 殿下が小声で答えました。

「ええ。安っぽい金色のアクリル塗料でベタベタに塗り潰しましたね。木の呼吸を止め、歴史の木目を殺し、ただの成金趣味の壁に変えたのです」

 貴族たちから「なんてことを……」「国宝級の彫刻を……」という嘆きの声が漏れます。

 さらに私は、一枚のガラスの破片を取り出しました。
 それは、かつてあの屋敷の階段ホールにあった、巨大な薔薇窓(ローズ・ウィンドウ)の欠片です。

「そして、シルヴィア様が『汚い』と言って割らせたステンドグラス。……これはグリザイユ技法という、今はもう失われた技術で作られたものでした」

 私は破片を会場の照明にかざしました。
 一見するとただのグレーの曇りガラスに見えますが、光が通った瞬間、床に複雑で美しい影絵が浮かび上がりました。

「おおっ……!」

「このガラスは、直射日光を和らげ、室内に幻想的な光の紋様を描くよう計算されていたのです。単に透明度が高ければ良いというものではありません。……光のクオリティを設計していたのです」

 私は破片を証拠品テーブルに置きました。

「それをあなた方は、『曇っていて汚い』という理由だけでハンマーで叩き割り、ただの板ガラスに変えました。……おかげで、階段ホールは直射日光で灼熱地獄となり、紫外線で床材も日焼けしてボロボロになりましたが」

「う、うるさい! 古いものが何だと言うんだ! 私は未来を生きているんだ!」

 殿下が叫びますが、その声には以前のような覇気がありません。

「殿下。建築におけるリノベーションとは、過去の記憶を継承しつつ、新しい価値を付加することです。……歴史を否定し、ただ表面を塗り替える行為は破壊と呼びます」

 私は冷徹に断罪しました。

「あなたは、建物の品格を殺したのです。初代国王の思い出も、職人たちの技術も、全てゴミとして処分した。……そのような方に、この国の歴史を背負う資格があるとお思いですか?」

 マックス様が、静かに付け加えました。

「……騎士としても見過ごせんな。己のルーツを軽んじる者は、いずれ誰からも軽んじられる。今の貴殿のようにな」

 その言葉は、貴族たちの心に深く刺さりました。

 彼らは伝統と家柄を重んじる生き物です。
 先祖の遺産をゴミ扱いした王太子の態度は、彼らにとって生理的な嫌悪感を催すものでした。

「ち、違う……。私はただ、綺麗にしたかっただけで……」

「なんか、みんな冷たい……。私、悪いことしてないのにぃ……」

 レイモンド殿下とシルヴィア様が身を寄せ合います。
 しかし、その姿に向けられるのは、もはや王族への敬意ではなく、文化財破壊者への軽蔑だけでした。

 傾き、腐り、毒を含み、そして歴史すらも抹消された家。
 それがレイモンド殿下の統治モデルであることが、誰の目にも明らかになったのです。

「さあ、次で最後にしましょうか」

 私は手元の最後のカードをめくりました。
 家を壊し、歴史を壊した彼らが、最後に直面する物理的な爆弾について。

「殿下。……解体工事の際に、配管図面がないとどうなるか、ご存知で?」
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