殿下、その婚約破棄の宣言が、すべての崩壊の始まりだと気付いていますか?

水上

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第51話:既存不適格の封じ込め

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「……は、破綻だと? バカなことを言うな!」

 国債の空売りによる経済的死刑宣告を受け、レイモンド殿下は証言台をバンバンと叩いて喚き散らしました。

「たとえ国債が暴落しようとも、私には愛の巣がある! あそこには王家の威信をかけた最高級の建材と、お前の技術が詰まっているのだ! あれを担保にすれば、借金などどうにでもなる!」

 殿下はまだ、あの欠陥住宅を資産だと思い込んでいるようです。
 不同沈下で傾き、カビが生え、シロアリに食われているあの家を。

「……資産、ですか」

 私は憐れむような目を向けました。

「殿下。あのお屋敷は、資産ではありません。……莫大な維持費と修繕費を垂れ流す負債です」

「黙れ! 傾いているなら直せばいい! カビが生えているなら張り替えればいい! 私が王になれば、予算などいくらでもつく!」

「直す? ……無理ですわよ」

 私は鞄から、新たな書類を取り出しました。
 それは、分厚い王都建築基準法(最新版)です。

「法務大臣。……先月、建築法が改正されたのはご存知ですね?」

 傍聴席にいた法務大臣が、ビクリとして立ち上がりました。

「は、はい。耐震基準と防火基準が大幅に厳格化されました。……ジュリアンナ様からの強いご進言もありましたので」

「ええ。国民の命を守るためには必要な改正でした」

 私は殿下に向き直り、ニヤリと笑いました。

「殿下。ここで建築法律の講義をしましょう。……既存不適格という言葉をご存知で?」

「きぞん……、なんだと?」

「建物が建てられた当時は合法でも、その後の法改正によって、現行の法律に適合しなくなった状態のことです」

 私は指を立てて解説しました。

「殿下の新居は、杭を打っていない基礎、断熱材のない壁、燃えやすい内装……。これらは全て、現在の新しい法律では違法となります。ですが、既に建っている建物に関しては、特例としてその存在が認められています(既存不適格)。……ここまではよろしいですか?」

「だ、だからどうした! 認められているなら問題ないだろう!」

「ええ。……使、ね」

 私は法典のページを開き、指でトントンと叩きました。

「ですが、殿下は先ほど『直せばいい』と仰いましたね? 傾きを直し、カビた壁をすべて張り替えるとなると、それは大規模な修繕・模様替えに該当します」

「それがどうした!」

「建築基準法第86条の7。……『増改築や大規模修繕を行う場合、建物全体を現行の法律に適合させなければならない』」

 殿下の動きが止まりました。

「……つまり?」

「つまり、あのお屋敷の傾きを直そうとして工事を始めた瞬間、特例は消滅します。……あなたは、基礎に杭を打ち直し、壁に断熱材を入れ、内装を不燃素材に変え、耐震補強を行わなければならなくなるのです」

 私は冷酷に告げました。

「傾きをジャッキアップで直すだけなら金貨百枚で済むかもしれません。しかし、現行法に適合させるための遡及適用を受ければ……、基礎からの作り直しになります。見積もりは金貨一万枚。……新築するより高くつきますわ」

「い、一万枚……!?」

 殿下が泡を吹いて卒倒しかけました。
 金貨一万枚など、今の破綻寸前の王家には逆立ちしても出せません。

「じゃあ、少しずつ直せば……」

「ダメです。確認申請が必要ですもの。役所は違法建築物への工事許可を出しません。……違法な改修を行えば、即座に使用禁止命令が出て、強制退去です」

 これが既存不適格の封じ込め。
 一度でも手を加えようとすれば、最新の厳しいルールが襲いかかり、予算オーバーで自滅する。
 かといって手を加えなければ、家は腐り続け、いずれ住めなくなる。

 進むも地獄、留まるも地獄。
 法律という見えない檻が、殿下の愛の巣を完全な手詰まりに追い込んだのです。

「う、嘘だ……。私の城が……、手出しできない粗大ゴミになったと言うのか……?」

「ええ。修理もできず、売ることもできず(違法建築物は売れません)、ただ税金と維持費だけを食い潰す巨大なゴミです」

 私はトドメの一撃を加えました。

「ちなみに、解体するにしてもお金がかかりますわよ? ……あそこには、処理費用の高いアスベストやヒ素がたっぷりと含まれていますから」

 殿下は膝から崩れ落ちました。
 隣で聞いていたシルヴィア様が、「イヤァァァ! あんなボロ屋に一生住むなんて無理ぃぃぃ!」と絶叫し、髪を振り乱します。

「安心なさい、シルヴィア様。……一生ではありません。腐朽菌の進行速度から見て、あと半年もすれば自然倒壊しますから」

 会場の貴族たちが、憐れみと恐怖の入り混じった目で二人を見ています。
 かつて栄華を誇った王太子の新居は、今や誰も触れることのできない呪われた遺跡と化したのです。

「さあ、次の議題へ移りましょうか。……この粗大ゴミの処分費用を、誰が負担するかについてです」

 私の冷徹な声が、静まり返った法廷に響き渡りました。
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