殿下、その婚約破棄の宣言が、すべての崩壊の始まりだと気付いていますか?

水上

文字の大きさ
86 / 100

第86話:マックスの告白

しおりを挟む
「……美しい。これが、俺たちが目指した景色か」

 王都の中央広場。
 夜の帳が下りたそこは、かつてのような暗闇と悪臭の溜まり場ではありませんでした。

 アイゼンガルドから引いたパイプラインが供給するバイオエタノールの街灯が、広場を昼間のように明るく照らし出し、噴水からは清浄な水が音楽のように湧き上がっています。

 仕事帰りの市民たちが、オープンカフェで笑い合い、子供たちが花崗岩で舗装された清潔な地面を走り回っています。

「ええ。都市計画の最終フェーズ、景観と賑わいの創出……、完了ですわ」

 私は隣を歩くマックス様と共に、その光景を満足げに見渡しました。
 今日の私たちは、堅苦しい執務服ではなく、少しラフな平服でお忍びの視察(デート)に来ていました。

「下水の臭いも、泥だらけの道も、もうどこにもない。……夢のようだ」

「夢ではありません。マックス様、これは現実です。……確かな技術と、膨大な労力を投入して勝ち取った、計算通りの成果です」

 私は噴水の縁に腰掛けました。
 ひんやりとした石の感触が心地よい。
 これもまた、私たちが選定した耐久性の高い石材です。

「ジュリアンナ」

 マックス様が、私の隣に座りました。
 彼の横顔が、ガス灯の柔らかい光に照らされて、いつもより陰影深く、そして優しく見えました。

「王都の再建は、ほぼ終わったと言っていいだろう。……君の仕事は、完璧だった」

「ありがとうございます。ですが、メンテナンスはこれからが本番で……」

「いや、仕事の話じゃないんだ」

 マックス様が、私の言葉を遮りました。

 そして、私の手を取り、その大きな掌で包み込みました。
 彼の手には、剣ダコだけでなく、この数ヶ月間の復興作業でついた新しい豆や傷があります。
 それは、口先だけの王子には決して持てない、信頼の証です。

「俺たちのの話をしたい」

「……契約?」

 私は瞬きしました。
 そういえば、私たちが最初に交わしたのは、辺境の開拓を手伝う代わりに、衣食住と身分を保証する、というビジネスライクな契約結婚(仮)でした。

「王都は蘇った。君の汚名は晴らされ、今や国一番の英雄だ。……もはや、辺境伯の妻という肩書きなど、君を縛る足枷にしかならないかもしれない」

 マックス様の声が、少し震えているように聞こえました。

「君は自由だ。……もし、もっと広い世界へ飛び立ちたいと願うなら、俺に止める権利は……」

「――マックス様」

 私は、彼の手をギュッと握り返しました。

 まったく。
 この期に及んで、なんて不器用で、論理的でないことを仰るのでしょう。

「あなたは一つ、重大な計算間違いをしていますわ」

「間違い?」

「ええ。私は効率を愛する女です。……最高のパートナー(施工者)、最高の理解者(クライアント)、そして最高の安らぎ(ホーム)がここにあるのに、わざわざ他へ移るなんて……、そんな非効率な選択、するはずがありません」

 私は眼鏡を外し、彼の瞳を真っ直ぐに見つめました。

「それに……、ですね……。構造力学的に申し上げますと、今の私は、あなたという支柱なしでは自立できない構造になっているのです」

「ジュリアンナ……」

 マックス様が目を見開き、そして、安堵と愛おしさが入り混じったような、くしゃりとした笑顔を見せました。

「……勝てないな、君には」

 彼は立ち上がり、そして広場の真ん中で、片膝をつきました。

 周囲の市民たちが「あっ!」「摂政様だ!」と気づき始め、ざわめきが広がりますが、彼は気にしません。

「ジュリアンナ・フォン・ヴィクトル」

 彼は懐から、小さな箱を取り出しました。

 パカッ、と開かれた箱の中には、王都の宝石店にあるようなダイヤではありません。
 以前、彼が鉱山で見つけてくれた、あの蛍石(フローライト)を、さらに美しくカットし、プラチナのリングに仕立てた指輪が入っていました。

 紫と緑の光が、街灯の下で神秘的に揺らめきます。

「俺は、王都のように華やかな男にはなれない。……だが、この石のように、どんな時も変わらず、君の薬指を飾る基礎でありたい」

 マックス様は、私の目を射抜くように見つめました。

「君は、俺の人生という建物の、揺るぎない中心だ。……愛している。どうか、正式に俺の妻になってくれないか?」

 周囲から、歓声と口笛が上がりました。

「言ったー!」

「おめでとうー!」

 市民たちが拍手を始め、それはさざ波のように広場全体へと広がっていきました。

 私は顔が熱くなるのを感じました。

 公開プロポーズ。

 王宮の舞踏会で婚約破棄された時と同じ、大衆の面前。
 けれど、そこにある空気は正反対の、温かくて祝福に満ちたものでした。

「……ずるいですわ、マックス様」

 私は涙が滲むのをこらえ、左手を差し出しました。

「そんなを提示されたら……、建築家として、承認印を押さないわけにはいきませんもの」

 マックス様が、震える手で私の薬指に指輪を嵌めます。

 サイズはぴったり。
 石の冷たさと、彼の指の熱さが、私の体温と同化していきます。

「……謹んで、お受けいたします。……これより、一生涯にわたる永久メンテナンス契約を締結します」

「ああ。……絶対に解約はさせないぞ」

 マックス様が立ち上がり、私を力強く抱きしめました。

 割れんばかりの拍手喝采。

「キスしろ!」という野次まで飛んできます。

「お嬢様ーっ! 最高ですーっ! 今のシーン、絵葉書にして売りましょう!」

 人混みの中から、ロッテが涙と鼻水でぐしゃぐしゃになりながら叫んでいるのが見えました。

 私はマックス様の胸に顔を埋めました。

 硬い胸板。
 安定した鼓動。
 この安心感こそが、私が求めていた最強のシェルターだったのです。

「……愛しています、マックス様」

 私の小さな呟きは、彼の胸に吸い込まれ、そして強く抱き締め返されることで肯定されました。

 王都の夜空に、復興の完了と、新しい愛の始まりを告げる鐘の音が、高らかに響き渡りました。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

『婚約破棄された令嬢ですが、名も残さず街を支えています』

ふわふわ
恋愛
婚約破棄された伯爵令嬢コルネリア・フォン・ヴァルデン。 名誉も立場も失いかけた彼女が選んだのは、誰かに勝つことでも、名を取り戻すことでもなかった。 前に立たず、声高に語らず、ただ「判断が続く仕組み」を街に残すこと。 現場に任せ、失敗を隠さず、問いを残し、そして最後には自ら手を離す――。 名を呼ばれず、称賛もされない。 それでも街は止まらず、確かに良くなっていく。 これは、ざまぁの先で「勝たなかった令嬢」が、 静かに世界を変え、そして正しく消えていく物語。

【完結】この運命を受け入れましょうか

なか
恋愛
「君のようは妃は必要ない。ここで廃妃を宣言する」  自らの夫であるルーク陛下の言葉。  それに対して、ヴィオラ・カトレアは余裕に満ちた微笑みで答える。   「承知しました。受け入れましょう」  ヴィオラにはもう、ルークへの愛など残ってすらいない。  彼女が王妃として支えてきた献身の中で、平民生まれのリアという女性に入れ込んだルーク。  みっともなく、情けない彼に対して恋情など抱く事すら不快だ。  だが聖女の素養を持つリアを、ルークは寵愛する。  そして貴族達も、莫大な益を生み出す聖女を妃に仕立てるため……ヴィオラへと無実の罪を被せた。  あっけなく信じるルークに呆れつつも、ヴィオラに不安はなかった。  これからの顛末も、打開策も全て知っているからだ。  前世の記憶を持ち、ここが物語の世界だと知るヴィオラは……悲運な運命を受け入れて彼らに意趣返す。  ふりかかる不幸を全て覆して、幸せな人生を歩むため。     ◇◇◇◇◇  設定は甘め。  不安のない、さっくり読める物語を目指してます。  良ければ読んでくだされば、嬉しいです。

【完結】ジュリアはバツイチ人生を謳歌する

ariya
恋愛
エレン王国の名門貴族・アグリア伯爵家に嫁いだジュリア・アグリア(旧姓ベルティー)。 夫のアベル・アグリア伯爵は、騎士として王妃の護衛任務に没頭し、結婚翌日からほぼ別居状態。 社交界のパーティーでは妻のエスコートを代理人に任せ、父の葬儀にも顔を出さず、事務的な会話と手紙のやり取りだけの日々が続く。 ジュリアは8年間の冷遇に耐え抜いたが、ある朝の食事中、静かに切り出す。 「私たち、離婚しましょう」 アベルは絶句するが、ジュリアは淡々と不満を告げる。 どれも自分のしでかしたことにアベルは頭を抱える。 彼女はすでに離婚届と慰謝料の用意を済ませ、夫の仕事に理解を示さなかった「有責妻」として後腐れなく別れるつもりだった。 アベルは内心で反発しつつも、ジュリアの決意の固さに渋々サイン。 こうしてジュリア・アグリアは、伯爵夫人としての全てを置き去りにし、バツイチ人生を開始する。

婚約破棄は了承済みですので、慰謝料だけ置いていってください

鍛高譚
恋愛
公爵令嬢アナスタシア・オルステッドは、第三王子アレンの婚約者だった。 しかし、アレンは没落貴族の令嬢カリーナと密かに関係を持っていたことが発覚し、彼女を愛していると宣言。アナスタシアとの婚約破棄を告げるが── 「わかりました。でも、それには及びません。すでに婚約は破棄されております」 なんとアナスタシアは、事前に国王へ婚約破棄を申し出ており、すでに了承されていたのだ。 さらに、慰謝料もしっかりと請求済み。 「どうぞご自由に、カリーナ様とご婚約なさってください。でも、慰謝料のお支払いはお忘れなく」 驚愕するアレンを後にし、悠々と去るアナスタシア。 ところが数カ月後、生活に困窮したアレンが、再び彼女のもとへ婚約のやり直しを申し出る。 「呆れたお方ですね。そんな都合のいい話、お受けするわけがないでしょう?」 かつての婚約者の末路に興味もなく、アナスタシアは公爵家の跡取りとして堂々と日々を過ごす。 しかし、王国には彼女を取り巻く新たな陰謀の影が忍び寄っていた。 暗躍する謎の勢力、消える手紙、そして不審な襲撃──。 そんな中、王国軍の若きエリート将校ガブリエルと出会い、アナスタシアは自らの運命に立ち向かう決意を固める。 「私はもう、誰かに振り回されるつもりはありません。この王国の未来も、私自身の未来も、私の手で切り拓きます」 婚約破棄を経て、さらに強く、賢くなった公爵令嬢の痛快ざまぁストーリー! 自らの誇りを貫き、王国を揺るがす陰謀を暴く彼女の華麗なる活躍をお楽しみください。

あなたが恋をしなければ

あんど もあ
ファンタジー
王立学園の卒業パーティーで婚約破棄を宣言する第一王子。 よくあるシーンだけど、それが馬鹿王子ではなく、優秀だけど人の機微に疎い王子だったら……。

断罪の準備は完璧です!国外追放が楽しみすぎてボロが出る

黒猫かの
恋愛
「ミモリ・フォン・ラングレイ! 貴様との婚約を破棄し、国外追放に処す!」 パルマ王国の卒業パーティー。第一王子アリオスから突きつけられた非情な断罪に、公爵令嬢ミモリは……内心でガッツポーズを決めていた。 (ついにきたわ! これで堅苦しい王妃教育も、無能な婚約者の世話も、全部おさらばですわ!)

【完結】私を捨てた皆様、どうぞその選択を後悔なさってください 〜婚約破棄された令嬢の、遅すぎる謝罪はお断りです〜

くろねこ
恋愛
王太子の婚約者として尽くしてきた公爵令嬢エリシアは、ある日突然、身に覚えのない罪で断罪され婚約破棄を言い渡される。 味方だと思っていた家族も友人も、誰一人として彼女を庇わなかった。 ――けれど、彼らは知らなかった。 彼女こそが国を支えていた“本当の功労者”だったことを。 すべてを失ったはずの令嬢が選んだのは、 復讐ではなく「関わらない」という選択。 だがその選択こそが、彼らにとって最も残酷な“ざまぁ”の始まりだった。

【完結】使えない令嬢として一家から追放されたけど、あまりにも領民からの信頼が厚かったので逆転してざまぁしちゃいます

腕押のれん
ファンタジー
アメリスはマハス公国の八大領主の一つであるロナデシア家の三姉妹の次女として生まれるが、頭脳明晰な長女と愛想の上手い三女と比較されて母親から疎まれており、ついに追放されてしまう。しかしアメリスは取り柄のない自分にもできることをしなければならないという一心で領民たちに対し援助を熱心に行っていたので、領民からは非常に好かれていた。そのため追放された後に他国に置き去りにされてしまうものの、偶然以前助けたマハス公国出身のヨーデルと出会い助けられる。ここから彼女の逆転人生が始まっていくのであった! 私が死ぬまでには完結させます。 追記:最後まで書き終わったので、ここからはペース上げて投稿します。 追記2:ひとまず完結しました!

処理中です...