殿下、その婚約破棄の宣言が、すべての崩壊の始まりだと気付いていますか?

水上

文字の大きさ
85 / 100

第85話:ロッテの成長

しおりを挟む
「いいですか、新人ちゃんたち! お掃除というのは、ただゴミを掃くことじゃありません。お家の健康診断なんです!」

 新生・王城のメイド詰め所。
 かつては薄暗かったその部屋も、今は大きなガラス窓から陽光が降り注ぎ、明るく清潔な空間になっています。

 その中央で、私の専属侍女であるロッテが、新しく採用された数名の見習いメイドたちを前に、胸を張って講釈を垂れていました。

「健康診断……、ですか?」

 新人の一人がおずおずと手を挙げます。

「はい! お嬢様……、じゃなかった、設計士様はいつも仰っています。『建物は生きている』と。だから、放っておくとお腹も壊すし、風邪も引くんです!」

 ロッテは指示棒(泡立て器)を振り回しました。

「私たちの仕事は、その小さな悲鳴を聞き逃さないこと。……さあ、実践練習ですよ。みんな、壁に耳を当てて!」

「えっ? 壁に……、ですか?」

 困惑する新人たちを尻目に、ロッテは手本とばかりに、廊下の壁にピタリと耳を押し付けました。そして、真剣な顔で目を閉じます。

「……うんうん。ふむふむ。……あー、なるほどぉ」

「ロ、ロッテ先輩? 何が聞こえるんですか?」

「シーッ! 静かに。……今、壁さんが『喉が渇いたよぉ』って言ってます」

「はい? 壁が……?」

 新人たちが「この先輩、大丈夫かな」という目で顔を見合わせています。
 私はその様子を、少し離れた柱の陰からマックス様と一緒にこっそりと覗き見ていました。

「……おい、ジュリアンナ。あいつ、妙な宗教でも始めたのか? 壁と会話なんて、君の専売特許だと思っていたが」

 マックス様が苦笑しながら囁きます。

「ふふ。……黙って見ていましょう。彼女なりにしているようですわ」

 ロッテは壁から耳を離すと、腰のポーチから小さなハンマーを取り出しました。
 そして、壁の一部――窓枠の下あたりをコンコンと軽く叩きました。

「ほら、ここ。音が違うでしょう? 中がスカスカした、軽い音がします」

「あ、本当だ」

「これは、窓枠のコーキング(隙間埋め)が劣化して、雨水が染み込んで、中の木がちょっと腐りかけてる音です。……ほっとくと、シロアリさんのレストランになっちゃいますよ」

 ロッテはチョークを取り出し、その場所に×印をつけました。

「ここは要補修リストに入れて、工兵隊のお兄さんに報告すること。……いい? 壁のシミ、床の軋み、変な臭い。それらは全部、建物からの助けてサインなんです!」

「す、すごいですロッテ先輩!」

「魔法使いみたい!」

 新人たちの目が尊敬の眼差しに変わります。
 ロッテは「えっへん!」と鼻の下をこすり、得意げに言いました。

「お嬢様はもっとすごいですからね! 指一本で『あと三日で崩れます』とか予言しちゃいますから! それに比べれば、私はまだまだ壁のつぶやきが聞こえる程度ですぅ」

「……なるほど。あいつ、君の背中を見て育っていたんだな」

 マックス様が感心したように頷きました。

「ええ。物理的な理屈は分かっていなくても、現象を感覚で捉えています。……音の違いや臭いの違和感に気づく能力。それは、最も優秀なメンテナンス担当者の資質ですわ」

 私は嬉しくなり、隠れていた柱の陰から姿を現しました。

「素晴らしい講義でしたよ、ロッテ」

「ひゃあっ! お、お嬢様!? いつからそこに!?」

 ロッテが飛び上がり、慌てて泡立て器を背中に隠しました。

「『壁のつぶやき』ですか。……詩的ですが、的を射ています。エントロピーの増大を、肌感覚で理解している証拠ですね」

 私は新人たちに向き直りました。

「彼女の言う通りです。掃除婦は、建物の医者です。あなたたちが異変に早く気づけば、大規模な工事をせずに済みます。……期待していますよ」

「は、はいっ! 筆頭設計士様!」

 新人たちが直立不動で敬礼し、慌てて持ち場へと散っていきました。
 残されたロッテは、モジモジしながら私の顔色を伺っています。

「あのぉ……、お嬢様。私、変なこと教えてませんでした? 構造力学とか、難しいことは分かんないんですけど……」

「いいえ。完璧でしたよ」

 私はロッテの頭を撫でました。

「あなたはもう、立派な現場監督代理です。……私の目が届かない場所も、あなたの耳があれば安心ですね」

「えへへ……。褒められちゃいました」

 ロッテが顔を赤くして照れ笑いします。
 かつては「おやつはどこですか?」としか言わなかったドジっ子の侍女が、今では新人を指導し、建物の健康を守っている。

 王都の復興は、こうした一人一人の意識の変革によって支えられているのです。

「ところでロッテ。……先ほどの壁の補修、報告書は?」

「あ、今書こうと思ってたんです! えっと……『窓の下、ポコポコいってる。たぶん虫歯』……っと」

「……報告書の書き方は、再教育が必要ですね」

「うぐぅ……。作文は苦手ですぅ……」

 マックス様が「ハハハ」と豪快に笑いました。

 平和な午後。
 王城の廊下には、かつての陰湿な空気は微塵もなく、働く人々の明るい声と、壁を叩く小気味よい音が響いていました。

 人は育つ。
 建物と共に……。

 ロッテの成長は、この国の未来が明るいことの、何よりの証明でした。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

『婚約破棄された令嬢ですが、名も残さず街を支えています』

ふわふわ
恋愛
婚約破棄された伯爵令嬢コルネリア・フォン・ヴァルデン。 名誉も立場も失いかけた彼女が選んだのは、誰かに勝つことでも、名を取り戻すことでもなかった。 前に立たず、声高に語らず、ただ「判断が続く仕組み」を街に残すこと。 現場に任せ、失敗を隠さず、問いを残し、そして最後には自ら手を離す――。 名を呼ばれず、称賛もされない。 それでも街は止まらず、確かに良くなっていく。 これは、ざまぁの先で「勝たなかった令嬢」が、 静かに世界を変え、そして正しく消えていく物語。

【完結】この運命を受け入れましょうか

なか
恋愛
「君のようは妃は必要ない。ここで廃妃を宣言する」  自らの夫であるルーク陛下の言葉。  それに対して、ヴィオラ・カトレアは余裕に満ちた微笑みで答える。   「承知しました。受け入れましょう」  ヴィオラにはもう、ルークへの愛など残ってすらいない。  彼女が王妃として支えてきた献身の中で、平民生まれのリアという女性に入れ込んだルーク。  みっともなく、情けない彼に対して恋情など抱く事すら不快だ。  だが聖女の素養を持つリアを、ルークは寵愛する。  そして貴族達も、莫大な益を生み出す聖女を妃に仕立てるため……ヴィオラへと無実の罪を被せた。  あっけなく信じるルークに呆れつつも、ヴィオラに不安はなかった。  これからの顛末も、打開策も全て知っているからだ。  前世の記憶を持ち、ここが物語の世界だと知るヴィオラは……悲運な運命を受け入れて彼らに意趣返す。  ふりかかる不幸を全て覆して、幸せな人生を歩むため。     ◇◇◇◇◇  設定は甘め。  不安のない、さっくり読める物語を目指してます。  良ければ読んでくだされば、嬉しいです。

【完結】ジュリアはバツイチ人生を謳歌する

ariya
恋愛
エレン王国の名門貴族・アグリア伯爵家に嫁いだジュリア・アグリア(旧姓ベルティー)。 夫のアベル・アグリア伯爵は、騎士として王妃の護衛任務に没頭し、結婚翌日からほぼ別居状態。 社交界のパーティーでは妻のエスコートを代理人に任せ、父の葬儀にも顔を出さず、事務的な会話と手紙のやり取りだけの日々が続く。 ジュリアは8年間の冷遇に耐え抜いたが、ある朝の食事中、静かに切り出す。 「私たち、離婚しましょう」 アベルは絶句するが、ジュリアは淡々と不満を告げる。 どれも自分のしでかしたことにアベルは頭を抱える。 彼女はすでに離婚届と慰謝料の用意を済ませ、夫の仕事に理解を示さなかった「有責妻」として後腐れなく別れるつもりだった。 アベルは内心で反発しつつも、ジュリアの決意の固さに渋々サイン。 こうしてジュリア・アグリアは、伯爵夫人としての全てを置き去りにし、バツイチ人生を開始する。

婚約破棄は了承済みですので、慰謝料だけ置いていってください

鍛高譚
恋愛
公爵令嬢アナスタシア・オルステッドは、第三王子アレンの婚約者だった。 しかし、アレンは没落貴族の令嬢カリーナと密かに関係を持っていたことが発覚し、彼女を愛していると宣言。アナスタシアとの婚約破棄を告げるが── 「わかりました。でも、それには及びません。すでに婚約は破棄されております」 なんとアナスタシアは、事前に国王へ婚約破棄を申し出ており、すでに了承されていたのだ。 さらに、慰謝料もしっかりと請求済み。 「どうぞご自由に、カリーナ様とご婚約なさってください。でも、慰謝料のお支払いはお忘れなく」 驚愕するアレンを後にし、悠々と去るアナスタシア。 ところが数カ月後、生活に困窮したアレンが、再び彼女のもとへ婚約のやり直しを申し出る。 「呆れたお方ですね。そんな都合のいい話、お受けするわけがないでしょう?」 かつての婚約者の末路に興味もなく、アナスタシアは公爵家の跡取りとして堂々と日々を過ごす。 しかし、王国には彼女を取り巻く新たな陰謀の影が忍び寄っていた。 暗躍する謎の勢力、消える手紙、そして不審な襲撃──。 そんな中、王国軍の若きエリート将校ガブリエルと出会い、アナスタシアは自らの運命に立ち向かう決意を固める。 「私はもう、誰かに振り回されるつもりはありません。この王国の未来も、私自身の未来も、私の手で切り拓きます」 婚約破棄を経て、さらに強く、賢くなった公爵令嬢の痛快ざまぁストーリー! 自らの誇りを貫き、王国を揺るがす陰謀を暴く彼女の華麗なる活躍をお楽しみください。

あなたが恋をしなければ

あんど もあ
ファンタジー
王立学園の卒業パーティーで婚約破棄を宣言する第一王子。 よくあるシーンだけど、それが馬鹿王子ではなく、優秀だけど人の機微に疎い王子だったら……。

断罪の準備は完璧です!国外追放が楽しみすぎてボロが出る

黒猫かの
恋愛
「ミモリ・フォン・ラングレイ! 貴様との婚約を破棄し、国外追放に処す!」 パルマ王国の卒業パーティー。第一王子アリオスから突きつけられた非情な断罪に、公爵令嬢ミモリは……内心でガッツポーズを決めていた。 (ついにきたわ! これで堅苦しい王妃教育も、無能な婚約者の世話も、全部おさらばですわ!)

【完結】私を捨てた皆様、どうぞその選択を後悔なさってください 〜婚約破棄された令嬢の、遅すぎる謝罪はお断りです〜

くろねこ
恋愛
王太子の婚約者として尽くしてきた公爵令嬢エリシアは、ある日突然、身に覚えのない罪で断罪され婚約破棄を言い渡される。 味方だと思っていた家族も友人も、誰一人として彼女を庇わなかった。 ――けれど、彼らは知らなかった。 彼女こそが国を支えていた“本当の功労者”だったことを。 すべてを失ったはずの令嬢が選んだのは、 復讐ではなく「関わらない」という選択。 だがその選択こそが、彼らにとって最も残酷な“ざまぁ”の始まりだった。

【完結】使えない令嬢として一家から追放されたけど、あまりにも領民からの信頼が厚かったので逆転してざまぁしちゃいます

腕押のれん
ファンタジー
アメリスはマハス公国の八大領主の一つであるロナデシア家の三姉妹の次女として生まれるが、頭脳明晰な長女と愛想の上手い三女と比較されて母親から疎まれており、ついに追放されてしまう。しかしアメリスは取り柄のない自分にもできることをしなければならないという一心で領民たちに対し援助を熱心に行っていたので、領民からは非常に好かれていた。そのため追放された後に他国に置き去りにされてしまうものの、偶然以前助けたマハス公国出身のヨーデルと出会い助けられる。ここから彼女の逆転人生が始まっていくのであった! 私が死ぬまでには完結させます。 追記:最後まで書き終わったので、ここからはペース上げて投稿します。 追記2:ひとまず完結しました!

処理中です...