殿下、その婚約破棄の宣言が、すべての崩壊の始まりだと気付いていますか?

水上

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第84話:新しい学園

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「……足りませんわね」

 王都復興の槌音が響き渡る中、私は現場事務所で腕組みをして溜息をつきました。
 机の上には、進行中の工事リストと、それを担う現場監督の名簿が広げられています。

「何が足りないんだ? 予算か? 資材か?」

 隣でコーヒーを飲んでいたマックス様が、心配そうに尋ねます。

「いいえ。お金もセメントも潤沢です。……足りないのは頭脳の数です」

 私は名簿を指で弾きました。

「現在、現場の指揮を執っているのは、アイゼンガルドから連れてきた熟練工と、私が直接指導した一部の若手だけです。……王都の再建規模に対して、図面を読み、構造計算ができる人材が圧倒的に不足しています」

 王都の職人たちは、長年言われた通りに作ることしか求められてきませんでした。

 なぜそうするのか(理論)を知らないため、応用が利かず、私が目を離すとすぐに旧来の手抜き工事に戻ろうとしてしまうのです。

「建物は百年残りますが、人は寿命でいなくなります。……私たちが死んだ後、誰がこの街をメンテナンスするのですか?」

「……確かに。技術の継承がなければ、いずれまた腐敗した街に逆戻りだな」

 マックス様が深刻な顔で頷きます。

「ええ。ですから、作ります」

 私は新しい設計図を広げました。
 それは、建物ではなくカリキュラム(教育課程)の設計図です。

「王立工科院。……身分を問わず、優秀な若者を集め、建築・土木・地質学を叩き込む、技術者養成学校です」

 数週間後。

 王都の一等地、かつて貴族の子弟たちがダンスや詩を学ぶためだけに通っていた旧・王立学園の正門前に、新しい看板が掲げられました。

『求む、未来の設計者。入学資格:熱意と論理的思考のみ。学費免除』

 その看板の前には、開門と同時に長蛇の列ができていました。
 並んでいるのは、スラム出身の若者、没落した下級貴族の次男、そして商家の娘たち。
 今まで学問とは無縁だった層の人々です。

「すごい人数ですねぇ! みんな、そんなにお勉強が好きなんですか?」

 ロッテが目を丸くしています。

「好きかどうかは分かりません。ですが、彼らは知っています。技術があれば、食いっぱぐれない、という現実を」

 私は試験会場の講堂へ向かいました。
 そこでは、従来のペーパーテストとは全く異なる入学試験が行われていました。

「試験を始めます。……目の前にある積み木と板を使って、一番重い荷物に耐えられる橋を作ってください。制限時間は三十分」

 私の合図と共に、受験生たちが一斉に手を動かし始めます。
 単純に積み上げる者、三角形(トラス)を作ろうとする者、アーチ構造に挑む者。
 その手つきを見れば、センスは一目瞭然です。

「ほう……。あそこの少年、筋がいいな」

 マックス様が、一人の少年――スラム街でガラス細工を習っていたあの子を指差しました。
 彼は直感的に力の分散を理解しているようで、見事なトラス橋を組み上げました。

「合格です。……彼のようなを磨くのが、この学園の目的です」

 入学式の日。
 講堂に集まった数百人の新入生たちを前に、私は初代学院長として演説を行いました。

「諸君。ようこそ、工科院へ」

 私は黒板に、大きな文字で、『WHY(なぜ)』 と書きました。

「この学園で教えるのは、HOW(やり方)ではありません。WHY(なぜそうなるのか)です」

 私は生徒たちを見渡しました。

「なぜ、柱は太くなければならないのか。なぜ、水は低いところへ流れるのか。なぜ、地盤は沈むのか。……物理法則(ルール)を知る者は、世界を支配できます」

 かつての王族たちは、それを知ろうとしませんでした。
 だから滅びたのです。

「君たちの手にあるのは、剣ではありません。ペンと定規です。……ですが、それは剣よりも強く、国を守る盾となります」

 私は窓の外、建設中のクレーンが林立する王都を指差しました。

「卒業試験は、あの街を完成させることです。……期待していますよ、未来の巨匠たち」

「はいっ!!」

 若者たちの野太い返事が、講堂を揺らしました。
 その目には、知識への渇望と、未来への野心が燃えています。

「……いい演説だった」

 式の後、マックス様が拍手してくれました。

「これで、俺たちの背中を任せられる部下が育つな」

「ええ。……それに、もう一つ重要な授業がありますわ」

 私はロッテを手招きしました。

「ロッテ。あなたには栄養学と衛生管理の特別講師をお願いします」

「ええっ!? わ、私が先生ですか!?」

 ロッテが飛び上がりました。

「はい。良い仕事は、良い食事と健康な体から生まれます。……現場のオヤツ係の重要性を、彼らに叩き込んであげてください」

「任せてください! 美味しいクッキーの焼き方と、手洗いの歌を伝授します!」

 ロッテが敬礼します。
 彼女の明るさが、堅苦しい理系学校に彩りを与えてくれるでしょう。

 新しい学校。
 それは、建物を作るだけでなく、この国の知的水準の基礎(ベース)を底上げするための、最も重要な投資でした。

 数年後、ここから巣立った若者たちが、大陸中にアイゼンガルド流の技術を広め、建築大国としての黄金時代を築くことになるのです。
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