「君の成果は私の指導のおかげ」と笑うモラハラ夫は、幼馴染みにご執心です。~では、私がいなくなったらどうなるか、拝見させていただきましょう~

水上

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第10話:水面下の準備

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 朝の光がサンルームに差し込み、湯気を立てる紅茶の香りを際立たせていた。
 ヴィンセントは一口すすると、満足げに目を細めた。

「うん、今日の紅茶は格別だね。淹れ方を変えたのかい?」

 ロザリンドは、テーブルの傍らで完璧な姿勢を保ったまま、静かに口を開いた。

「いつもと同じ茶葉でございます。ただ、少し蒸らし時間を調整いたしました」

「そうか。やはり君の心持ちが変わったからだろう。邪念が消えて、本来の奉仕の精神が戻った味がするよ」

 ヴィンセントは上機嫌に笑い、バターをたっぷりと塗ったトーストをかじった。

 向かいの席では、ミエルが砂糖菓子のようなピンク色の部屋着に身を包み、フォークでフルーツを突き回している。

「ロザリンドさん、私ぃ、このフルーツ酸っぱくて食べられなぁい。もっと甘いコンポートがいいですぅ」

 以前のロザリンドなら、「健康のために生の果物を摂るべきです」と諭していただろう。
 あるいは、予算の無駄遣いを諌めていたかもしれない。

 だが、今の彼女は違った。

「左様でございますか。申し訳ございません。すぐに厨房に命じて、蜂蜜漬けのものをご用意させましょう」

 その返答には、一秒の躊躇もなかった。

「わぁい! ロザリンドさん、大好きぃ!」

 ミエルが無邪気に手を叩く。
 ヴィンセントも「それでいいんだ」と鷹揚に頷く。

 ロザリンドの頭の中には、すでに巨大な帳簿が存在していた。
 かつては、その赤字を埋めるために知恵を絞り、奔走していた。

 だが今は、その数字が増えていくのをただ傍観しているだけだ。
 この屋敷の経済が破綻しようと、知ったことではない。

 彼女の責任は、すでにここにはないのだから。

 ヴィンセントが工場へ(といっても、社長室で新聞を読むだけだが)出かけ、ミエルが昼寝のために部屋へ戻った後。

 ロザリンドは、ようやく本当の仕事に取り掛かった。
 彼女は執務室に入ると、鍵をかけ、本棚の奥に隠していた革の鞄を取り出した。

 中には、彼女が個人的に管理していた重要書類が眠っている。

 まずは、実家であるハミルトン男爵家への手紙だ。
 ペン先にインクを含ませ、滑らかな筆致で綴り始める。

『拝啓、お父様。……例の件につきまして、いよいよ実行の時が近づいて参りました』

 ハミルトン男爵家は、かつて借金まみれだった貧乏貴族だ。
 それを立て直したのは、当時まだ十代だったロザリンドの才覚である。

 彼女が考案した紡績機によって、男爵家は今や安定した収益を得ている。
 父も母も、ロザリンドの能力を誰よりも理解し、感謝していた。

 だからこそ、この結婚が不幸なものであると知った時、「いつでも戻っておいで」と言ってくれていたのだ。

 ロザリンドは、帰宅後の身の振り方と、当面の住居の手配を依頼した。

 ヴィンセントはハミルトン家を、しがない貧乏男爵と見下しているため、まさか彼らがロザリンドの強力な後ろ盾になるとは夢にも思っていないだろう。

 次に、特許関連の書類だ。
 先日開発したアクア・シルクの技術仕様書。

 ヴィンセントは「私の成果だ」と豪語したが、特許庁への正式な申請はまだ行われていない。
 彼が面倒くさがって、手続きをロザリンドに丸投げしているからだ。

 ロザリンドは、申請者欄の空白を見つめた。
 ここにバークリー伯爵家と書けば、権利はすべて夫のものになる。

 彼女は、別の用紙を取り出した。

 それは特許の共同保有、あるいは技術者個人への帰属を申請するための書類ではなく、もっと根本的なものだった。
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