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第7話:狼の嗅覚と、白い黄金
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その男が現れたのは、試作した磁器のカップが十個ほど焼き上がった昼下がりのことだった。
「へえ……、こりゃあ驚いた。死の荒野に行けと言われて遺書まで書いてきたんですがね。まさか、こんなに活気があるとは」
屋敷の前庭に停まった馬車から降りてきたのは、油断ならない目つきをした中年の男だった。
身なりは良いが、靴は泥で汚れている。
自分の足で稼ぐタイプの商人だ。
「ようこそ、アースガルド辺境伯領へ。私は領主のマリアンヌですわ」
私が挨拶をすると、男は帽子を脱いで大げさに礼をした。
「お初にお目にかかります。隣国、ハイランド大公国で商会を営んでおります、ガストンと申します。『国境付近に変な煙を上げている屋敷がある』という噂を聞きつけましてな」
ガストン。
ハイランド大公国でも有数の銀狼商会の支部長だ。
私の記憶にあるデータバンクによれば、彼は金になる匂いを嗅ぎつけることに関しては、本当の狼よりも鋭い嗅覚を持っている。
「煙でご迷惑をおかけしましたか?」
「いえいえ。商売人にとって、工場の煙はご馳走の匂いですからな。……で、何を焼いておいでで?」
ガストンの目が、庭の隅に積まれた鉄材の山に向けられた。
ガンツが仕上げた鋤や鍬だ。
彼は許可も取らずに一本の鍬を手に取り、コンコンと爪で叩いた。
その瞬間、彼の目の色が、商売人のものから鑑定士のものへと変わる。
「……いい鉄だ。不純物が少ない。王都で出回っている再生鉄とは訳が違う。それに、この焼き入れ……、熟練の職人の仕事だ」
「お気に召して?」
「ええ。これなら我が国でも高値で売れるでしょう。……ですが、鉄だけなら他でも手に入ります。わざわざ国境を越えてまで取引する価値があるかどうか」
ガストンは言葉巧みにこちらの足元を見ようとしていた。
良い品だが、輸送コストを考えれば安く買い叩かせてもらうぞという腹積もりだ。
セバスが不安そうに私の顔色を窺っている。
だが、甘い。
私はスカートのポケットから、白い布に包まれた切り札を取り出した。
「鉄はあくまで副産物ですわ。ガストンさん、我が領が本当に売りたいのはこちらです」
私は布を解き、真っ白なティーカップを彼に手渡した。
「……なんだ、これは?」
ガストンが眉をひそめた。
無理もない。
彼が知っている焼き物といえば、茶色くて分厚い、素朴な陶器だけなのだから。
私の手にある、雪のように白く、卵の殻のように薄い物体は、異界のアーティファクトに見えるだろう。
「まあ、百聞は一見に如かず。セバス、お湯を」
「はい、お嬢様」
セバスがポットから湯を注ぐ。
本来なら紅茶の香りを楽しみたいところだが、残念ながらまだ茶葉を買うお金がない。
ただの白湯だ。
しかし、その透明な湯が注がれた瞬間、カップの白さがより際立った。
「熱くないのですか? こんなに薄いのに」
「取っ手を持ってみてください。熱伝導率は計算されていますわ」
ガストンが恐る恐るカップを持ち上げる。
「軽い……! なんだこれは、羽毛でも練り込んであるのか?」
「そして、飲み口の滑らかさを確かめて」
彼が口をつける。
陶器特有のザラつきは一切ない。
ガラスのようにツルリとした感触。
「……信じられん。これが土くれからできた焼き物だと?」
「磁器と言います。我が領特産の白い粘土を、鉄をも溶かす高温で焼き締めたものです。吸水性はゼロ。匂い移りもしません。何より……」
私は自分の持っているカップの縁を、爪で弾いた。
涼やかな高音が、商談の場に響き渡った。
「この音色が、品質の証明です。ジェラルド殿下の領地の陶器では、逆立ちしても出せない音でしょう?」
ガストンの喉が鳴った。
彼は商売人だ。
この白い器が、貴族たちの社交界でどのような革命を起こすか、瞬時に計算したはずだ。
重くて野暮ったい陶器を使っている貴婦人たちが、この透き通るような白いカップを見た時、どう反応するか。
「……独占販売権は?」
ガストンの声が、少し掠れていた。
「まずは小規模な取引から。実績を見て考えさせていただきますわ。ただし、支払いは現金と……、食料でお願いしたいの」
「食料?」
「ええ。小麦、野菜の種、それに茶葉。我が領にはまだ、これらを生産する余力がありませんから」
ガストンはカップを愛おしそうに撫で回し、それからニヤリと笑った。
それは獲物を見つけた狼の笑みではなく、頼もしいパートナーを見つけた商人の笑みだった。
「いいでしょう。マリアンヌ様、あなたはとんでもない山師だ。死の荒野から、こんな白い黄金を掘り出すとは」
「地質学者と呼んでくださる?」
「ハハッ、違いありませんな! ……契約成立だ! 持って来た荷馬車を空にして、代わりにこの白い器と鉄を積んでいくとしましょう!」
ガストンが右手を差し出す。
私はその手をしっかりと握り返した。
一時間後。
ガストンの馬車は、我が領の特産品を満載にして去っていった。
代わりに屋敷の倉庫には、当面の食料となる小麦粉の袋と、野菜の種、そして何より――
「お、お嬢様……! こ、これが、お金……!」
セバスがテーブルの上に積み上げられた金貨の山を見て、震えていた。
ガストンが置いていった前金だ。
王都の公爵家で見ていた額に比べれば微々たるものだが、今の私たちにとっては莫大な軍資金である。
「これで屋根が直せる。窓ガラスが入る。そして……」
私は金貨を一枚つまみ上げ、その輝きを見つめた。
「紅茶が飲めるわ、セバス」
「はい……! はい、最高級の茶葉を取り寄せましょう! 泥水ではなく、本物の紅茶を!」
セバスが涙ぐんでハンカチで目元を拭う。
私も少しだけ、肩の荷が下りた気がした。
鉄を作り、磁器を作り、金を稼いだ。
生存競争の第一段階はクリアだ。
「さて、資金ができれば次は燃料ね」
私は窓の外、広大な湿地帯へと視線を移した。
もうすぐ冬が来る。
この屋敷のスカスカの壁では、いくら修理しても寒さは防げない。
薪を買うコストも馬鹿にならない。
「セバス。次はあの湿地帯へ行くわよ」
「は? お金ができたのですから、薪を買えば……」
「いいえ。あそこにも燃える泥があるのよ」
「……また泥ですか」
セバスの呆れた声を聞きながら、私は楽しげに笑った。
私の領地改革は、まだ地表を撫でただけに過ぎないのだから。
「へえ……、こりゃあ驚いた。死の荒野に行けと言われて遺書まで書いてきたんですがね。まさか、こんなに活気があるとは」
屋敷の前庭に停まった馬車から降りてきたのは、油断ならない目つきをした中年の男だった。
身なりは良いが、靴は泥で汚れている。
自分の足で稼ぐタイプの商人だ。
「ようこそ、アースガルド辺境伯領へ。私は領主のマリアンヌですわ」
私が挨拶をすると、男は帽子を脱いで大げさに礼をした。
「お初にお目にかかります。隣国、ハイランド大公国で商会を営んでおります、ガストンと申します。『国境付近に変な煙を上げている屋敷がある』という噂を聞きつけましてな」
ガストン。
ハイランド大公国でも有数の銀狼商会の支部長だ。
私の記憶にあるデータバンクによれば、彼は金になる匂いを嗅ぎつけることに関しては、本当の狼よりも鋭い嗅覚を持っている。
「煙でご迷惑をおかけしましたか?」
「いえいえ。商売人にとって、工場の煙はご馳走の匂いですからな。……で、何を焼いておいでで?」
ガストンの目が、庭の隅に積まれた鉄材の山に向けられた。
ガンツが仕上げた鋤や鍬だ。
彼は許可も取らずに一本の鍬を手に取り、コンコンと爪で叩いた。
その瞬間、彼の目の色が、商売人のものから鑑定士のものへと変わる。
「……いい鉄だ。不純物が少ない。王都で出回っている再生鉄とは訳が違う。それに、この焼き入れ……、熟練の職人の仕事だ」
「お気に召して?」
「ええ。これなら我が国でも高値で売れるでしょう。……ですが、鉄だけなら他でも手に入ります。わざわざ国境を越えてまで取引する価値があるかどうか」
ガストンは言葉巧みにこちらの足元を見ようとしていた。
良い品だが、輸送コストを考えれば安く買い叩かせてもらうぞという腹積もりだ。
セバスが不安そうに私の顔色を窺っている。
だが、甘い。
私はスカートのポケットから、白い布に包まれた切り札を取り出した。
「鉄はあくまで副産物ですわ。ガストンさん、我が領が本当に売りたいのはこちらです」
私は布を解き、真っ白なティーカップを彼に手渡した。
「……なんだ、これは?」
ガストンが眉をひそめた。
無理もない。
彼が知っている焼き物といえば、茶色くて分厚い、素朴な陶器だけなのだから。
私の手にある、雪のように白く、卵の殻のように薄い物体は、異界のアーティファクトに見えるだろう。
「まあ、百聞は一見に如かず。セバス、お湯を」
「はい、お嬢様」
セバスがポットから湯を注ぐ。
本来なら紅茶の香りを楽しみたいところだが、残念ながらまだ茶葉を買うお金がない。
ただの白湯だ。
しかし、その透明な湯が注がれた瞬間、カップの白さがより際立った。
「熱くないのですか? こんなに薄いのに」
「取っ手を持ってみてください。熱伝導率は計算されていますわ」
ガストンが恐る恐るカップを持ち上げる。
「軽い……! なんだこれは、羽毛でも練り込んであるのか?」
「そして、飲み口の滑らかさを確かめて」
彼が口をつける。
陶器特有のザラつきは一切ない。
ガラスのようにツルリとした感触。
「……信じられん。これが土くれからできた焼き物だと?」
「磁器と言います。我が領特産の白い粘土を、鉄をも溶かす高温で焼き締めたものです。吸水性はゼロ。匂い移りもしません。何より……」
私は自分の持っているカップの縁を、爪で弾いた。
涼やかな高音が、商談の場に響き渡った。
「この音色が、品質の証明です。ジェラルド殿下の領地の陶器では、逆立ちしても出せない音でしょう?」
ガストンの喉が鳴った。
彼は商売人だ。
この白い器が、貴族たちの社交界でどのような革命を起こすか、瞬時に計算したはずだ。
重くて野暮ったい陶器を使っている貴婦人たちが、この透き通るような白いカップを見た時、どう反応するか。
「……独占販売権は?」
ガストンの声が、少し掠れていた。
「まずは小規模な取引から。実績を見て考えさせていただきますわ。ただし、支払いは現金と……、食料でお願いしたいの」
「食料?」
「ええ。小麦、野菜の種、それに茶葉。我が領にはまだ、これらを生産する余力がありませんから」
ガストンはカップを愛おしそうに撫で回し、それからニヤリと笑った。
それは獲物を見つけた狼の笑みではなく、頼もしいパートナーを見つけた商人の笑みだった。
「いいでしょう。マリアンヌ様、あなたはとんでもない山師だ。死の荒野から、こんな白い黄金を掘り出すとは」
「地質学者と呼んでくださる?」
「ハハッ、違いありませんな! ……契約成立だ! 持って来た荷馬車を空にして、代わりにこの白い器と鉄を積んでいくとしましょう!」
ガストンが右手を差し出す。
私はその手をしっかりと握り返した。
一時間後。
ガストンの馬車は、我が領の特産品を満載にして去っていった。
代わりに屋敷の倉庫には、当面の食料となる小麦粉の袋と、野菜の種、そして何より――
「お、お嬢様……! こ、これが、お金……!」
セバスがテーブルの上に積み上げられた金貨の山を見て、震えていた。
ガストンが置いていった前金だ。
王都の公爵家で見ていた額に比べれば微々たるものだが、今の私たちにとっては莫大な軍資金である。
「これで屋根が直せる。窓ガラスが入る。そして……」
私は金貨を一枚つまみ上げ、その輝きを見つめた。
「紅茶が飲めるわ、セバス」
「はい……! はい、最高級の茶葉を取り寄せましょう! 泥水ではなく、本物の紅茶を!」
セバスが涙ぐんでハンカチで目元を拭う。
私も少しだけ、肩の荷が下りた気がした。
鉄を作り、磁器を作り、金を稼いだ。
生存競争の第一段階はクリアだ。
「さて、資金ができれば次は燃料ね」
私は窓の外、広大な湿地帯へと視線を移した。
もうすぐ冬が来る。
この屋敷のスカスカの壁では、いくら修理しても寒さは防げない。
薪を買うコストも馬鹿にならない。
「セバス。次はあの湿地帯へ行くわよ」
「は? お金ができたのですから、薪を買えば……」
「いいえ。あそこにも燃える泥があるのよ」
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