婚約破棄と追放ですか? 辺境が王都すら越える経済圏になってしまいますが、よろしいのですね?

水上

文字の大きさ
30 / 100

第30話:薬剤抵抗性の悪夢と、小さき殺し屋たち

しおりを挟む
「死ね! 死ねぇ! なぜ死なんのだ貴様らァッ!!」

 隣の畑――ジェラルド殿下が管理する王家の菜園から、悲痛な絶叫が聞こえてきた。
 柵越しに見ると、殿下は防護服のような重装備に身を包み、背中に背負ったタンクから、紫色に濁った液体を噴射していた。

 刺激臭が漂ってくる。
 鼻の奥がツンとする、危険な化学薬品の臭いだ。

「……お嬢様。殿下は何と戦っておられるのですか? 見えないドラゴンでも?」

 セバスチャンがハンカチで鼻を押さえながら尋ねる。
 私はトマトの葉を裏返してチェックしながら答えた。

「いいえ。ドラゴンより厄介な敵よ。アブラムシとハダニね」

 殿下の畑の作物は、無惨な姿になっていた。
 葉は縮れて変色し、茎にはびっしりと小さな虫がへばりついている。
 殿下が必死に薬を撒いているが、虫たちはシャワーでも浴びているかのように平然としている。

「グレイ! この薬は効かんぞ! ドラゴンの猛毒という触れ込みだっただろうが!」

 殿下が怒鳴ると、側に控えていたグレイ伯爵が脂汗を拭いながら言い訳をした。

「お、おかしいですな……。先週までは劇的に効いたのですが。きっと、今年の害虫は魔王の加護を受けた突然変異種なのです! 殿下、さらに強力な地獄の業火薬を使いましょう! お値段は倍になりますが……」

「ええい、金なら払う! 早く持ってこい!」

 典型的なカモね。
 私は呆れて、柵の近くまで歩み寄った。

「ごきげんよう、殿下。……相変わらず、熱心にをされていますわね」

「なんだと!? 品種改良だと!?」

 殿下が噴霧器のノズルを私に向けそうになるのを、グレイが慌てて止める。

「ええ。貴方がやっているのは駆除ではありません。弱い個体だけを殺して、薬剤に耐えられる強い個体だけを選別して残す……、エリート育成ですわ」

 私は柵に肘をついて解説した。

「害虫は、世代交代が早いのです。強力な薬剤を使いすぎると、たまたまその薬に耐性を持った突然変異体が生き残る。彼らが子供を産めば、次は薬が効かない軍団が誕生する。……これを薬剤抵抗性の発達と言います」

 私は殿下の足元、枯れ果てた土を指差した。

「しかも、貴方が撒いたその強力な毒は、害虫を食べる益虫まで皆殺しにしてしまった。天敵がいなくなった畑で、薬剤に耐性を持ったスーパー害虫が爆発的に増える。……これをリサージェンス現象と呼びます」

「ぐ、ぬ……!」

 殿下は言葉に詰まったが、すぐに鼻を鳴らした。

「ふん! 屁理屈はいい! ならばどうすればいいと言うんだ! 魔法薬で死なない虫を、手で潰せとでも言うのか!」

「いいえ。手を使う必要はありません。……彼らに任せればいいのです」

 私は足元に置いていた小さな木箱を持ち上げた。

「私の畑にも、風に乗って害虫が飛んできました。でも、薬は使いません。……出番よ、私の可愛い私兵団」

 私は箱の蓋を開けた。
 中には、枯れ草のようなものが入っている。
 私はそれを、害虫がついた野菜の葉の上に、パラパラと振りかけた。

「枯れ草……? ゴミを撒いて何になる!」

 殿下が嘲笑する。
 だが、セバスチャンが眼鏡の位置を直し、そのゴミを凝視した。

「……お嬢様。何か、赤いものが動いておりますぞ。それに、あの小さなダニのようなものも」

「ええ。紹介するわ。赤いマントの騎士ナナホシテントウ。そして、目に見えない暗殺者チリカブリダニよ」

 私が撒いたのは、野外で採集してきたテントウムシと、捕食性のダニだ。

「テントウムシは、アブラムシの大好物。一匹で一日に百匹以上を貪り食う大食漢よ。そしてチリカブリダニは、厄介なハダニを専門に襲って体液を吸う、プロの殺し屋」

 私はルーペ越しに、その戦場を観察した。
 葉の上では、一方的な虐殺が始まっていた。

 薬剤で死ななかったアブラムシたちが、テントウムシの強靭な顎に捕まり、次々と捕食されていく。
 逃げ惑うハダニは、俊敏な捕食ダニに背後から襲われ、干からびていく。

「こ、これは……」

 殿下が口を開けて見守る中、私の畑の害虫たちは、またたく間に数を減らしていった。

「これが天敵農法。自然界の食物連鎖を利用した、最も安全で、かつ抵抗性を持たれない駆除方法よ」

 私は空になった箱をポンと叩いた。

「害虫は薬には慣れるけれど、食われることには慣れないわ。……しかも、この傭兵たちはタダで、勝手に増えて働き続けてくれる。コストパフォーマンス最強の軍隊ね」

「タ、タダだと……!?」

 殿下の顔色が、噴霧器の薬液と同じ紫色になった。
 彼は害虫を殺すために、莫大な金を払って高価な薬を買い、その結果、畑を毒で汚染し、害虫を最強に育て上げてしまった。
 対して私は、庭で拾った虫を放っただけで、完全勝利を収めた。

「くそっ……! グレイ! テントウムシだ! 今すぐテントウムシを買ってこい! 金なら出す!」

 殿下が叫ぶと、グレイ伯爵は困った顔で頭をかいた。

「そ、それが……、テントウムシなど市場には売っておりません。それに、今の強力な薬剤が残留している殿下の畑に放っても、益虫たちはすぐに死んでしまいますぞ」

「な、なんだとォォォ!?」

 殿下はその場にへたり込んだ。
 彼の畑はもう手遅れだ。
 毒まみれの土と、無敵の害虫だけが残る不毛の地。

「……自然を支配しようとする傲慢さが招いた結果ですわ」

 私は青々と茂る自分の畑のトマトをもぎ取り、服でキュッと拭いて齧った。
 瑞々しい酸味と甘みが口に広がる。

「セバス。収穫した野菜は、消毒なしで市場に出せるわ。マリアンヌ印の無農薬野菜として、プレミア価格で売りましょう」

「承知いたしました。……それにしてもお嬢様、虫を使って虫を制すとは。相変わらず、えげつない……、いえ、合理的な戦術ですな」

「褒め言葉として受け取っておくわ」

 隣の畑から聞こえる殿下の嘆き声をBGMに、私は夏の収穫を祝った。
 小さな殺し屋たちは、今も葉の裏で静かな仕事を続けている。
 彼らに支払う報酬は、殿下の畑から逃げてきた害虫たちで十分だ。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

「『お前に書く手紙などない』と言った婚約者へ、私は7年間手紙を書き続けた——ただし、届け先は別の人でした」

歩人
ファンタジー
辺境伯令嬢リゼットは、婚約者に7年間手紙を書き続けた。返事は一度もなかった。 「お前に書く手紙などない。顔も覚えていない」——婚約破棄。しかしリゼットは 泣かなかった。手紙の本当の届け先は、最初から別にあったから。前世の情報分析 能力で辺境の異変を読み解き、暗号として織り込んだ7年分の手紙。それを受け取り 続けていたのは第一王子。リゼットは誰にも知られず、王国を守っていた。 婚約破棄の翌朝、王子からの手紙が届く。「7年間、ありがとう。迎えに行く」

婚約を奪った義妹は王太子妃になりましたが、王子が廃嫡され“廃嫡王子の妻”になりました

鷹 綾
恋愛
「お姉様には、こちらの方がお似合いですわ」 そう言って私の婚約者を奪ったのは、可憐で愛らしい義妹でした。 王子に見初められ、王太子妃となり、誰もが彼女の勝利を疑わなかった――あの日までは。 私は“代わり”の婚約者を押し付けられ、笑いものにされ、社交界の端に追いやられました。 けれど、選ばれなかったことは、終わりではありませんでした。 華やかな王宮。 厳しい王妃許育。 揺らぐ王家の威信。 そして――王子の重大な過ち。 王太子の座は失われ、運命は静かに反転していく。 離縁を望んでも叶わない義妹。 肩書きを失ってなお歩き直す王子。 そして、奪われたはずの私が最後に選び取った人生。 ざまあは、怒鳴り声ではなく、選択の積み重ねで訪れる。 婚約を奪われた姉が、静かに価値を積み上げていく王宮逆転劇。

婚約破棄された公爵令嬢ですが、戻らなかっただけです

鷹 綾
恋愛
王太子カイル殿下から、社交界の場で婚約破棄を言い渡された公爵令嬢リュシエンヌ。 理由は―― 「王太子妃には華が必要だから」。 新たに選ばれたのは、愛らしく無邪気な義妹セシリア。 誰もが思った。 傷ついた令嬢は泣き、縋り、やがて戻るのだと。 けれどリュシエンヌは、ただ一言だけ告げる。 「戻りません」 彼女は怒らない。 争わない。 復讐もしない。 ただ――王家を支えるのをやめただけ。 流通は滞り、商会は様子を見始め、焦った王太子は失点を重ねる。 さらに義妹の軽率な一言が決定打となり、王太子妃候補の座は静かに消えた。 強いざまあとは、叫ぶことではない。 自らの選択で、自らの立場を削らせること。 そして彼女は最後まで戻らない。 支えない。 奪わない。 ――選ばれなかったのではない。 彼女が、選ばなかったのだ。 これは、沈黙で勝つ公爵令嬢の物語。

婚約破棄はあなたの意思でしたわね? ~王太子を廃嫡に追い込み、義妹を平民に落とした公爵令嬢は新時代の王妃になります~

鷹 綾
恋愛
王立学園の卒業舞踏会―― 公爵令嬢ヴェルミリアは、王太子アルヴァリオから突然の婚約破棄を言い渡された。 「俺は、君の義妹セシルを愛している」 涙を浮かべる“可哀想な妹”。 それを守ると宣言する王太子。 社交界はヴェルミリアを冷酷な姉と断じた。 けれど彼女は、ただ微笑んだ。 なぜなら―― 王家が回っていたのは、彼女の裏調整と資金管理のおかげだったから。 婚約破棄の翌日、王家の事業は次々と停止。 王太子の無責任な契約、義妹の盗用、不正資金の流れが暴かれていく。 守ると誓ったはずの義妹を、王太子は切り捨てる。 だがもう遅い。 王太子は廃嫡。 義妹は爵位剥奪のうえ平民落ち。 二人はすべてを失う。 そして―― 「責任を共有できるなら、共に歩みましょう」 冷静沈着な第二王子との正式婚約。 王国再建の中心に立つのは、かつて捨てられたはずの公爵令嬢だった。 婚約破棄はあなたの意思でしたわね? 選んだ未来の責任を―― きちんとお取りいただきます。

「10歳の頃の想いなど熱病と同じ」と婚約者は言いました──さようなら【完結】

星森 永羽(ほしもりとわ)
恋愛
王太子フリードリヒの婚約者として、幼い頃から王妃教育を受けてきたアメリア・エレファウント公爵令嬢。 誰もが羨む未来を約束された彼女の世界は、ある日突然1人の少女の登場によって揺らぎ始める。 無邪気な笑顔で距離を(意図的に)間違える編入生ベルティーユは、男爵の庶子で平民出身。 ベルティーユに出会ってから、悪い方へ変わっていくフリードリヒ。 「ベルが可哀想だろ」「たかがダンスくらい」と話が通じない。 アメリアの積み上げてきた7年の努力と誇りが崩れていく。 そしてフリードリヒを見限り、婚約解消を口にするが話は進まず、学園の卒業パーティーで断罪されてしまう……?! ⚠️ 本作は AI の生成した文章を一部に使っています

追放された悪役令嬢、規格外魔力でもふもふ聖獣を手懐け隣国の王子に溺愛される

黒崎隼人
ファンタジー
「ようやく、この息苦しい生活から解放される!」 無実の罪で婚約破棄され、国外追放を言い渡された公爵令嬢エレオノーラ。しかし彼女は、悲しむどころか心の中で歓喜の声をあげていた。完璧な淑女の仮面の下に隠していたのは、国一番と謳われた祖母譲りの規格外な魔力。追放先の「魔の森」で力を解放した彼女の周りには、伝説の聖獣グリフォンをはじめ、可愛いもふもふ達が次々と集まってきて……!? 自由気ままなスローライフを満喫する元悪役令嬢と、彼女のありのままの姿に惹かれた「氷の王子」。二人の出会いが、やがて二つの国の運命を大きく動かすことになる。 窮屈な世界から解き放たれた少女が、本当の自分と最高の幸せを見つける、溺愛と逆転の異世界ファンタジー、ここに開幕!

お好きになさって下さい、私は一切気にしませんわ

Kouei
恋愛
婚約者のクレマンド様は、いつも私との約束を破ってばかり。 理由は決まって『従妹ライラ様との用事』 誕生日会にすら来なかった彼に、私はついに告げた。 「どうぞ、私以外のご令嬢をエスコートするなり、お出かけするなり、関係を持つなり、お好きになさって下さい。私は一切気にしませんわ」 二人の想いは、重なり合えるのだろうか …… ※他のサイトにも公開しています。

『「君は飾りだ」と言われた公爵令嬢、契約通りに王太子を廃嫡へ導きました』

ふわふわ
恋愛
「君は優秀だが、王妃としては冷たい。正直に言えば――飾りとしては十分だった」 そう言って婚約者である王太子に公然と切り捨てられた、公爵令嬢アデルフィーナ。 さらに王太子は宣言する。 「王家は外部信用に頼らない」「王家が条文だ」と。 履行履歴も整えず、契約も軽視し、 新たな婚約者と共に“強い王家”を演出する王太子。 ――ですが。 契約は宣言では動きません。 信用は履歴の上にしか立ちません。 王命が止まり、出荷が止まり、資材が止まり、 やがて止まったのは王太子の未来でした。 自ら押した承認印が、 自らの継承権を奪うことになるとも知らずに。 公然侮辱から始まる、徹底的な強ザマァ。 救済なし。 やり直しなし。 契約通りに処理しただけですのに―― なぜか王太子が廃嫡されました。

処理中です...