婚約破棄と追放ですか? 辺境が王都すら越える経済圏になってしまいますが、よろしいのですね?

水上

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第36話:捨てられた民と、人的資源のゴールドラッシュ

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「マリアンヌ様! お助けください! どうか芋を、慈悲を!」

「子供が飢えているんです! 何でもしますから!」

 王都の郊外、アースガルド商会の倉庫前には、連日長蛇の列ができていた。
 最初は王都の貧民層だけだったが、ここ数日でその層が変わってきていた。
 泥だらけの荷物を背負い、疲れ切った顔をした農民たち――ジェラルド殿下の領地や、周辺の農村から逃げ出してきた食糧難民たちだ。

「……増える一方ですな」

 別邸のバルコニーからその光景を見下ろし、セバスチャンが沈痛な面持ちで言った。

「我々が提供できるジャガイモにも限りがあります。これだけの人数、全てを養うのは不可能です。……心を鬼にして、配給を制限せねばなりません」

「養う? 言葉が違うわ、セバス」

 私は温かいカブのポタージュを飲みながら、冷徹に訂正した。

「彼らは養われるべき弱者ではないわ。……喉から手が出るほど欲しい人的資源よ」

「はぁ? 資源、ですか? 着の身着のままの難民たちが?」

「ええ。アースガルド領は今、深刻な人手不足に悩んでいるでしょう? 鉄の増産、磁器の輸出、そして新たな鉱山の採掘……。ハンスやガンツたちが悲鳴を上げるほど仕事があるのに、人が足りない」

 私は眼下の群衆を指差した。

「そこへ、農業経験があり、体力もあり、働く意欲に満ちた数千人の労働者が、向こうから歩いてきてくれたのよ。……これは難民危機ではないわ。労働力のゴールドラッシュよ」

 その時、倉庫の前で騒ぎが起きた。
 ジェラルド殿下が率いる近衛兵たちが、列を作っていた難民たちを槍で威嚇し始めたのだ。

「ええい、散れ! 散らばらんか! 薄汚い乞食どもが!」

 殿下が馬上で叫んでいる。

「王都の景観が損なわれるだろうが! 貴様らは私の領地から勝手に逃げ出した脱走者だ! 恥を知れ! さっさと森へ帰ってキノコでも探してろ!」

「で、殿下! 畑は全滅し、家も流されました! 帰る場所などありません!」

「どうかお慈悲を! 我々は殿下に税を納めてきたではありませんか!」

 農民たちが縋り付くが、殿下は鞭を振り上げた。

「うるさい! 税を納める畑がないなら、貴様らに価値はない! ただの穀潰しだ! ……おい、追い払え! 抵抗するなら斬っても構わん!」

 民を財産ではなく消耗品としか見ていない。
 危機に際して民を捨てる王族。
 その姿に、私は静かな怒りを覚えた。

「……セバス。拡声器を持ってきて」

「はい。……また演説ですか?」

「いいえ。求人募集よ」

「――お待ちになって、殿下」

 私がバルコニーから声を張り上げると、殿下と兵士たちの動きが止まった。
 群衆の視線が一斉に私に集まる。

「マ、マリアンヌ! また貴様か! 私の掃除を邪魔するな!」

「掃除? もったいないことをなさいますのね。……貴方は今、国一番の宝をドブに捨てようとしているのですよ?」

「宝だと? この薄汚い連中がか? 冗談も休み休み言え!」

 殿下が鼻で笑う。
 私は彼を無視し、震える難民たちに向かって微笑みかけた。

「皆さんに提案があります。……パンが欲しいですか? 暖かい家が欲しいですか? 家族に腹一杯食べさせたいですか?」

「ほ、欲しいです! そのためなら悪魔に魂だって売ります!」

 一人の男が叫んだ。

「魂はいりません。私が欲しいのは、貴方たちの腕と時間です」

 私は高らかに宣言した。

「アースガルド領は、全希望者を正規雇用します! 仕事は山ほどあります。鉱山での採掘、磁器の運搬、新たな農地の開拓。……給金は王都の相場の二割増し。もちろん、三食の食事と、暖房完備の住居を保証します!」

 シン、と静まり返る広場。
 あまりの好条件に、誰もが耳を疑っている。

「う、嘘だ……。そんな夢みたいな話……」

「嘘ではありません! 現に、私の領地では人手が足りなくて困っているのです。……これは施しではありません。契約です。働かざる者食うべからず。ですが、働く者には相応の対価と、人間らしい生活を約束します!」

 私が言い終わるより早く、歓声が爆発した。

「行きます! 俺を行かせてくれ!」

「私、機織りができます! どんな仕事でもします!」

「アースガルド万歳! マリアンヌ様万歳!」

 雪崩を打って人々が押し寄せる。
 それは暴動ではなく、希望への疾走だった。
 私の部下であるガストンたちが、手際よく即席の雇用受付デスクを開設し、次々と契約書にサインをさせていく。

「な、な、なんだと……!?」

 殿下は呆然と、自分の足元から民が去っていくのを見つめていた。

「おい、待て! 貴様ら、王族の領地を捨てるのか!? あの女の土地に行けば、一生泥まみれだぞ!」

 殿下が叫ぶが、誰も振り返らない。
 一人の老農夫が、去り際に殿下に向かって唾を吐いた。

「泥まみれ? 結構なことだ。あんたの領地じゃ、泥すら食えねぇんだからな!」

「き、貴様ぁぁぁ!!」

 殿下は顔を真っ赤にして剣を抜こうとしたが、誰も彼を相手にしていなかった。
 王の権威など、一切れのパンの前では無力だ。

「……勝負あり、ですな」

 セバスチャンが満足げに頷いた。

「殿下は民をお荷物として切り捨て、お嬢様は資産として拾い上げた。……この差は、いずれ国力として決定的な違いを生むでしょう」

「ええ。彼らは、一度捨てられた痛みを知っている。だからこそ、救ってくれた場所のために、誰よりも強く、忠実に働いてくれるわ」

 私は眼下の光景を見つめた。
 数千人の新たな領民。
 彼らはアースガルド領の第二期成長を支えるエンジンとなる。

「さあ、忙しくなるわよセバス。彼らを運ぶ馬車の手配と、領地での仮設住宅の建設……、ハンスたちに伝書鳩を飛ばして。今年の冬は、もっと賑やかになりそうだとね」

 雨上がりの空に、微かな虹がかかっていた。
 王都の人口が減り、辺境の人口が増える。

 国の重心が、音を立てて北へと傾き始めていた。
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