婚約破棄と追放ですか? 辺境が王都すら越える経済圏になってしまいますが、よろしいのですね?

水上

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第42話:巨大な緑のジャングルと、咲かない花

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 秋の気配が近づいてきたある日。
 王都の社交界は、ジェラルド殿下が流したある噂で持ちきりだった。

「聞いたか? 殿下が今度こそ起死回生の作物を手に入れたらしいぞ」

「なんでも、南方の帝国から取り寄せた太陽の豆とか」

「背丈は大人の身長を超え、収穫量は通常の十倍だそうだ!」

 その噂を聞きつけた私は、セバスチャンと共に王家の農場へと向かった。
 そこには、確かに異様な光景が広がっていた。

「見ろ、マリアンヌ! この圧倒的な生命力を!」

 ジェラルド殿下が、鬱蒼と茂る緑の森の前で高笑いしていた。
 それは豆畑と呼ぶにはあまりに巨大だった。
 茎は私の手首ほどに太く、葉は大きく広がり、草丈は優に二メートルを超えている。
 見渡す限り、青々とした緑の壁だ。

「どうだ! 貴様のジャガイモなど足元にも及ばん! これが南方帝国原産のジャイアント・ソイだ! これだけ巨大に育ったのだ、収穫の時期になれば、どれほどの豆が採れるか想像するだけで震えるわ!」

 殿下は巨大な葉を愛おしそうに撫でた。
 隣にいるグレイ伯爵も、揉み手をしながら追従する。

「ええ、ええ! 葉がこれだけ茂っているということは、栄養満点の証拠。じきに花が咲き、袋いっぱいの豆が鈴なりになりますぞ!」

「……なるほど。確かに立派なですね」

 私は日傘を回しながら、冷静にそのジャングルを見上げた。

「ですが殿下。……残念ながら、その豆は永遠に実りませんわ」

「はぁ? 何を言っている? こんなに元気じゃないか!」

「元気すぎることが問題なのです。……セバス、今の季節の夜の長さはどれくらいかしら?」

「へ? 夜ですか? 今は夏至を過ぎたばかりですから、夜は短いですな。八時間ほどでしょうか」

「ええ。それが答えよ」

 私は巨大な豆の木を指差した。

「殿下。貴方はこの種を、遥か南の帝国から取り寄せたと言いましたね。……あそこは赤道に近い国です。対して、我が国は北に位置する高緯度の国」

「場所が違うから何だと言うんだ! 土なら貴様が言った通り、肥料をたっぷりやったぞ!」

「場所が違うということは、日長……、つまり、昼と夜の長さが違うということです」

 私は基礎講義を始めた。

「植物にはね、体内時計があるのです。彼らは葉で夜の長さ(暗期)を測り、季節を感じ取って花を咲かせるタイミングを決めています。これを光周性と言います」

 私は一枚の巨大な葉を摘み取った。

「大豆の多くは短日植物です。……つまり、夜が一定時間以上長くならないと、花を咲かせないという性質を持っています。赤道付近の品種なら、なおさらその傾向が強い」

「夜が……、長いと?」

「ええ。南の国は一年中、夜が長い。だから彼らはすぐに花を咲かせます。……ですが、北国である王都の夏はどうですか? 『夜が短い』のです」

 私は空を指差した。

「この『ジャイアント・ソイ』にとって、王都の夏の夜は短すぎます。彼らの体内時計はこう判断しているのです。『おや? まだ夜が短いぞ。今はまだ春か初夏だ。花を咲かせる時期じゃない。もっと体を大きくする時期だ!』とね」

「な、なんだと……?」

「その結果がこれです。花を咲かせることを忘れ、ひたすら茎と葉だけを伸ばし続ける蔓惚け状態。……見てご覧なさい。こんなに巨大なのに、蕾の一つもないでしょう?」

 殿下は慌てて緑のジャングルを掻き分けた。
 二メートルを超える巨木のような豆の木。
 だが、どこを探しても花はない。
 あるのは青々とした葉と、太い茎だけ。

「う、嘘だ……! 花は!? 豆はどこだ!?」

「ありません。……秋が深まり、夜が十分に長くなる頃には、王都には霜が降ります。花が咲く前に寒さで枯れるのがオチですね」

「そ、そんな……! 高かったんだぞ! 南の奇跡だと聞いて、なけなしの予算を叩いたのに!」

 殿下はその場に崩れ落ちた。
 彼の周囲を覆う巨大な緑の壁。
 それは豊作の象徴ではなく、無知の記念碑だった。

「……お嬢様。これ、どう見ても失敗作ですが、植物としては元気なのですな」

 セバスチャンが呆れ半分、感心半分で言う。

「ええ。環境が合わないだけで、植物に罪はないわ。……殿下、提案があります」

 私は絶望する殿下に声をかけた。

「実がならない豆の木でも、使い道はあります」

「つ、使い道……? 食べるのか? この硬い葉を?」

「人間は食べられませんが、動物なら喜びます。……これを青刈りして発酵させれば、栄養満点の家畜飼料になりますわ」

 私はガストンを呼び寄せた。

「ガストンさん。この巨大な草を全て買い取りなさい。……アースガルド領で飼い始めた牛たちの冬の餌にしましょう。このサイズなら、相当な量の飼料になるわ」

「御意に! 二束三文で買い叩かせていただきます!」

 ガストンが嬉々として鎌を構える。
 殿下は力なく頷くしかなかった。
 起死回生の奇跡の豆は、結局、私の牧場の牛の餌として処分されることになったのだ。

「……マリアンヌ。お前はなぜ、そんなことまで知っているんだ。石だけでなく、植物の気持ちまで分かるのか?」

 殿下が涙目で問う。

「気持ちではありません。……緯度と品種の適合性です」

 私は刈り取られた巨大な葉を一枚拾い、殿下の肩に乗せてあげた。

「南のものを北に植えれば、育つとは限らない。……適地適作。農業の基本中の基本ですわ」

 自分の足元の緯度すら知らずに、遠くの奇跡にすがった代償。
 それは、豆一粒すら残さない、ただの巨大な草の山だった。

 王都の畑から、また一つ殿下の夢が消え、代わりにアースガルドの牛たちが肥え太っていく。
 私の勝利は、もはや揺るぎないものとなっていた。
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