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第3話:雑草という名の黄金
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数日間の馬車の旅を終え、ソフィアたちがクロード公爵領に到着したのは、空がどんよりとした鉛色に染まる夕暮れ時だった。
「……到着だ。ようこそ、我が絶望の庭へ」
馬車を降りたアレックスが、自嘲気味に両手を広げた。
ソフィアは目の前に広がる光景に息を呑んだ。
そこに広がっていたのは、豊かな農地でも美しい花畑でもなかった。
見渡す限りの荒れ地。
そして、屋敷の周りを埋め尽くすように生い茂る、背の高い緑色の雑草の海だった。
風が吹くと、ざあざあと不気味な音を立てて緑の波が揺れる。
「ひどいものだろう? ここは痩せた土地でね。小麦も育たなければ、羊を飼う牧草地にするにも地盤が悪い。育つのはこの忌々しい雑草だけだ」
出迎えた初老の執事が、申し訳なさそうに頭を下げた。
「旦那様、おかえりなさいませ。またこの魔女の草が増えてしまいまして……。草刈りをしても、すぐに生えてくるのです」
「ああ、触るなよソフィア。その草は性格が悪い」
アレックスが警告するように言った。
「葉や茎に鋭い刺毛があり、ギ酸やヒスタミンを含んだ毒液が入っている。触れれば火傷のような激痛が走るぞ。まさに無価値で有害な、植物界の廃棄物だ」
無価値で、有害。
その言葉が、実家で穀潰しと呼ばれていた自分と重なり、ソフィアの胸がちくりと痛んだ。
けれど――。
(……待って)
ソフィアは恐る恐るその雑草に近づいた。
背丈は一メートル以上。
真っ直ぐに伸びた茎。風に揺れるその姿は、確かに刺々しいが、どこか力強さを感じさせる。
ソフィアはハンカチを手袋代わりに巻き付け、そっと茎の部分を掴んでみた。
「おい、危ないぞ!」
「……硬い」
ソフィアは呟いた。
茎はしっかりとしていて、折ろうとしても簡単には折れない。
皮を少し爪で剥いでみる。
表皮の下に、白く、筋張ったものがぎっしりと詰まっているのが見えた。
「アレックス様、これは……、ただの雑草じゃありません」
「何?」
「この草、イラクサ(ネトル)ですわ。確かにトゲは痛いですが、この茎……、見てください」
ソフィアは剥がした皮を差し出した。
「とても強い繊維が含まれています。引っ張っても切れません。これ、もしかしたら麻(リネン)の代わりになるかもしれません」
ソフィアの言葉に、アレックスの目の色が学者のそれに変わった。
彼はすぐさまモノクルを装着し、ソフィアが差し出した茎を覗き込む。
「……ほう。維管束周辺の厚壁組織か。確かに、セルロースの配列が非常に緻密だ」
彼はブツブツと独り言を呟きながら、茎を折り、断面を凝視した。
「だが、繊維がペクチン(植物の糊)で固着されているな。このままではただの硬い棒だ。糸にするには、この糊を溶かして繊維をバラバラに抽出しなければならない」
「はい。昔、本で読んだことがあります。川に浸けて腐らせるレッティングという方法があると……」
「水浸法か。微生物の発酵作用でペクチンを分解するわけだ」
アレックスは急にニヤリと笑った。
それは、難解なパズルを見つけた子供のような顔だった。
「だが、自然発酵など待っていられないな。私はせっかちなんだ。――セバスチャン! 大鍋と灰(アルカリ)、それから熱湯を用意しろ!」
「は、はい!」
執事が慌てて走り去る。
数十分後。
屋敷の裏庭には、魔女が毒薬を作るような大鍋が設置され、グツグツと湯が煮えたぎっていた。
アレックスは採取したイラクサの茎を大量に鍋に放り込み、さらに暖炉の灰から抽出したアルカリ水を投入した。
「ペクチンは酸性多糖類だ。アルカリ性の熱湯で煮沸すれば、加水分解が促進され、繊維(セルロース)だけが残るはずだ」
湯気が立ち上る中、アレックスは楽しそうに鍋をかき混ぜる。
ソフィアもその横で、固唾を飲んで見守った。
やがて、彼はトングで茎を取り出し、水桶の中でジャブジャブと洗った。
緑色の表皮や果肉が溶けて流れ落ちる。
あとに残ったのは――。
「……綺麗」
ソフィアは思わず声を上げた。
そこにあったのは、白銀色に輝く、細くしなやかな繊維の束だった。
濡れたその繊維は、夕陽を浴びてキラキラと光っている。
まるで、宝石のように。
「素晴らしい……! 強度は綿の二倍以上、光沢はシルクに近い。おまけに中空構造(ストロー状)になっているから、保温性も高そうだ」
アレックスが繊維を指で梳きながら、興奮気味に分析する。
「ソフィア、君の言う通りだ。これは雑草じゃない。加工次第で、最高級のリネンをも凌駕する黄金の草だ」
黄金。
今まで厄介者として刈り取られ、捨てられていた草が、宝物に変わった瞬間だった。
「この領地には、これが山ほど自生しているのですよね?」
「ああ。嫌になるほどな。……つまり、我々は元手ゼロで、無限の資源を持っていることになる」
アレックスは立ち上がり、見渡す限りの雑草の海を見つめた。
さっきまでの絶望の庭という言葉は撤回されたようだ。
「ククク……、傑作だ。王都の連中は、高い金を払って他国から麻を輸入しているが、我々は無数にある資源で極上の布を織れる」
彼は振り返り、ソフィアの手を取った。
まだ泥と植物の汁で汚れたままの手を。
「大手柄だ、助手殿。君の観察眼は、私の予想を超えて優秀らしい」
「……私、役に立てたでしょうか」
「役に立つどころの話ではない。君はこの領地の財務状況を救う女神だ」
真っ直ぐな称賛の言葉に、ソフィアの顔がカッと熱くなる。
マリアンヌにドレスを汚されたと罵られた日。
実家で「お前は何の役にも立たない」と言われ続けた日々。
それらが、アレックスの言葉で少しずつ上書きされていくようだった。
「さあ、忙しくなるぞ。まずはこの繊維を紡績し、試作品を作る。ブランド名はどうするか……。クロード・リネンか? いや、発見者に敬意を表してソフィア・クロスにするか?」
早口で構想を練り始めた公爵の背中を見ながら、ソフィアは胸の前で小さく拳を握った。
ここなら、やれるかもしれない。
大好きな布に囲まれて、この人と一緒に、新しい何かを作り出せるかもしれない。
領地の隅に生い茂るイラクサが、風に揺れてざわめいた。
それはもう不気味な音ではなく、これから始まる快進撃を祝う拍手のように、ソフィアには聞こえた。
「……到着だ。ようこそ、我が絶望の庭へ」
馬車を降りたアレックスが、自嘲気味に両手を広げた。
ソフィアは目の前に広がる光景に息を呑んだ。
そこに広がっていたのは、豊かな農地でも美しい花畑でもなかった。
見渡す限りの荒れ地。
そして、屋敷の周りを埋め尽くすように生い茂る、背の高い緑色の雑草の海だった。
風が吹くと、ざあざあと不気味な音を立てて緑の波が揺れる。
「ひどいものだろう? ここは痩せた土地でね。小麦も育たなければ、羊を飼う牧草地にするにも地盤が悪い。育つのはこの忌々しい雑草だけだ」
出迎えた初老の執事が、申し訳なさそうに頭を下げた。
「旦那様、おかえりなさいませ。またこの魔女の草が増えてしまいまして……。草刈りをしても、すぐに生えてくるのです」
「ああ、触るなよソフィア。その草は性格が悪い」
アレックスが警告するように言った。
「葉や茎に鋭い刺毛があり、ギ酸やヒスタミンを含んだ毒液が入っている。触れれば火傷のような激痛が走るぞ。まさに無価値で有害な、植物界の廃棄物だ」
無価値で、有害。
その言葉が、実家で穀潰しと呼ばれていた自分と重なり、ソフィアの胸がちくりと痛んだ。
けれど――。
(……待って)
ソフィアは恐る恐るその雑草に近づいた。
背丈は一メートル以上。
真っ直ぐに伸びた茎。風に揺れるその姿は、確かに刺々しいが、どこか力強さを感じさせる。
ソフィアはハンカチを手袋代わりに巻き付け、そっと茎の部分を掴んでみた。
「おい、危ないぞ!」
「……硬い」
ソフィアは呟いた。
茎はしっかりとしていて、折ろうとしても簡単には折れない。
皮を少し爪で剥いでみる。
表皮の下に、白く、筋張ったものがぎっしりと詰まっているのが見えた。
「アレックス様、これは……、ただの雑草じゃありません」
「何?」
「この草、イラクサ(ネトル)ですわ。確かにトゲは痛いですが、この茎……、見てください」
ソフィアは剥がした皮を差し出した。
「とても強い繊維が含まれています。引っ張っても切れません。これ、もしかしたら麻(リネン)の代わりになるかもしれません」
ソフィアの言葉に、アレックスの目の色が学者のそれに変わった。
彼はすぐさまモノクルを装着し、ソフィアが差し出した茎を覗き込む。
「……ほう。維管束周辺の厚壁組織か。確かに、セルロースの配列が非常に緻密だ」
彼はブツブツと独り言を呟きながら、茎を折り、断面を凝視した。
「だが、繊維がペクチン(植物の糊)で固着されているな。このままではただの硬い棒だ。糸にするには、この糊を溶かして繊維をバラバラに抽出しなければならない」
「はい。昔、本で読んだことがあります。川に浸けて腐らせるレッティングという方法があると……」
「水浸法か。微生物の発酵作用でペクチンを分解するわけだ」
アレックスは急にニヤリと笑った。
それは、難解なパズルを見つけた子供のような顔だった。
「だが、自然発酵など待っていられないな。私はせっかちなんだ。――セバスチャン! 大鍋と灰(アルカリ)、それから熱湯を用意しろ!」
「は、はい!」
執事が慌てて走り去る。
数十分後。
屋敷の裏庭には、魔女が毒薬を作るような大鍋が設置され、グツグツと湯が煮えたぎっていた。
アレックスは採取したイラクサの茎を大量に鍋に放り込み、さらに暖炉の灰から抽出したアルカリ水を投入した。
「ペクチンは酸性多糖類だ。アルカリ性の熱湯で煮沸すれば、加水分解が促進され、繊維(セルロース)だけが残るはずだ」
湯気が立ち上る中、アレックスは楽しそうに鍋をかき混ぜる。
ソフィアもその横で、固唾を飲んで見守った。
やがて、彼はトングで茎を取り出し、水桶の中でジャブジャブと洗った。
緑色の表皮や果肉が溶けて流れ落ちる。
あとに残ったのは――。
「……綺麗」
ソフィアは思わず声を上げた。
そこにあったのは、白銀色に輝く、細くしなやかな繊維の束だった。
濡れたその繊維は、夕陽を浴びてキラキラと光っている。
まるで、宝石のように。
「素晴らしい……! 強度は綿の二倍以上、光沢はシルクに近い。おまけに中空構造(ストロー状)になっているから、保温性も高そうだ」
アレックスが繊維を指で梳きながら、興奮気味に分析する。
「ソフィア、君の言う通りだ。これは雑草じゃない。加工次第で、最高級のリネンをも凌駕する黄金の草だ」
黄金。
今まで厄介者として刈り取られ、捨てられていた草が、宝物に変わった瞬間だった。
「この領地には、これが山ほど自生しているのですよね?」
「ああ。嫌になるほどな。……つまり、我々は元手ゼロで、無限の資源を持っていることになる」
アレックスは立ち上がり、見渡す限りの雑草の海を見つめた。
さっきまでの絶望の庭という言葉は撤回されたようだ。
「ククク……、傑作だ。王都の連中は、高い金を払って他国から麻を輸入しているが、我々は無数にある資源で極上の布を織れる」
彼は振り返り、ソフィアの手を取った。
まだ泥と植物の汁で汚れたままの手を。
「大手柄だ、助手殿。君の観察眼は、私の予想を超えて優秀らしい」
「……私、役に立てたでしょうか」
「役に立つどころの話ではない。君はこの領地の財務状況を救う女神だ」
真っ直ぐな称賛の言葉に、ソフィアの顔がカッと熱くなる。
マリアンヌにドレスを汚されたと罵られた日。
実家で「お前は何の役にも立たない」と言われ続けた日々。
それらが、アレックスの言葉で少しずつ上書きされていくようだった。
「さあ、忙しくなるぞ。まずはこの繊維を紡績し、試作品を作る。ブランド名はどうするか……。クロード・リネンか? いや、発見者に敬意を表してソフィア・クロスにするか?」
早口で構想を練り始めた公爵の背中を見ながら、ソフィアは胸の前で小さく拳を握った。
ここなら、やれるかもしれない。
大好きな布に囲まれて、この人と一緒に、新しい何かを作り出せるかもしれない。
領地の隅に生い茂るイラクサが、風に揺れてざわめいた。
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