妹に婚約者を奪われた上に断罪されていたのですが、それが公爵様からの溺愛と逆転劇の始まりでした

水上

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第16話:文化を売る雑誌

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 中空繊維の肌着が軍に採用され、平民の絹が飛ぶように売れる。
 クロード公爵家の資産は、かつての貧乏領地時代が嘘のように潤っていた。
 だが、アレックスはまだ満足していなかった。

「……足りないな」

 執務室で売上グラフを見つめながら、彼はペンを回した。

「売上は順調ですよ。これ以上、何を望まれるのですか?」

 ソフィアが淹れたてのコーヒーを置きながら尋ねる。

「ソフィア。人間が服を買う動機は二つある。一つは寒さを防ぐという物理的欲求。もう一つは美しく見られたいという社会的欲求だ」

「はい。ですから、私たちはその両方を満たす商品を作りました」

「甘いな。それではにしか売れない」

 アレックスは立ち上がった。

「私が支配したいのは市場ではない。大衆の脳内だ。必要ないけれど欲しい、これを着なければ時代遅れになる。……そういう強迫観念にも似た欲望を植え付ける必要がある」

 彼はニヤリと笑い、一枚の企画書を提示した。
 そこには、大きな文字でタイトルが書かれていた。

 ――月刊・糸と論理、創刊計画。

「これは……、本、ですか?」

「ただの本ではない。ファッション雑誌だ」

 アレックスの構想は、当時の常識を覆すものだった。
 それまでの服飾店は、ただ漫然と生地や服を並べて売るだけだった。
 客は自分のセンスで選ぶしかない。
 だが、この雑誌は違った。

「いいか、ソフィア。ただ服の絵を載せるだけではカタログだ。重要なのは情報を売ることだ」

 編集会議(という名の二人きりの作戦会議)で、アレックスは熱弁を振るった。

「例えば、この青いドレス。ただ『青いドレスです』と言っても客は買わない。だが、『この青は、知的な女性を演出し、肌の透明感を引き上げる魔法の色です』と書けばどうだ?」

「……なんだか、着てみたくなります」
「だろう? それが啓蒙……、もとい、マーケティングだ」

 アレックスはソフィアに羽ペンを渡した。

「君には、記事の執筆を頼む。難しい化学式は私が書くが、君は感情担当だ。服を選び、着る喜び。色合わせの楽しさ。そういった情緒的なエッセイを書け」

「私が……、記事を?」

 不安そうなソフィアだったが、布への愛なら誰にも負けない。
 彼女は夜な夜な、自分の想いを紙に綴った。

『春の訪れには、柔らかなピンクの綿(コットン)を。それは、凍っていた心を溶かす最初の一輪の花のような色です』

『強くありたい日は、深い紺色の麻(リネン)を。凛とした張りは、あなたの背筋を支えてくれるでしょう』

 ソフィアの言葉は、専門的でありながら詩的で、読む者の心に優しく染み渡るものだった。

 一方、アレックスは色彩調和の幾何学や繊維断面図から見る快適性の証明といった、やたらと理屈っぽい(だが説得力のある)コラムを執筆した。

 そして一ヶ月後。
 創刊号糸と論理が王都の本屋や服飾店に並んだ。

 反応は、劇的だった。

「ねえ、これ読んだ? 『今年の流行色は、科学的に証明された幸福の色』なんですって!」

「このコーディネート、素敵! 私もこんな風にスカーフを巻いてみたいわ!」

 雑誌は瞬く間に女性たちのバイブルとなった。

 貴族の令嬢から平民の娘まで、こぞって糸と論理を読み耽った。
 そこには、単なる服の広告ではなく、新しい生き方の提案があったからだ。

 特に、ソフィアが担当したお悩み相談コーナーは大人気となった。

『Q:自分に自信が持てず、地味な服ばかり選んでしまいます』

『A:服はあなたの味方です。まずは見えない裏地に、大好きな色を使ってみてください。それはあなただけの秘密の自信になります』

 そんな温かい回答が、読者の心を掴んで離さない。
 結果として、雑誌に掲載されたソフィア・クロスの服は、入荷する端から売り切れる社会現象となった。

     *

 一方、マリアンヌの実家であるベルベット商会では、当主とマリアンヌが歯ぎしりをしていた。

「おのれ、クロード公爵め……! こんな紙屑で客をたぶらかしおって!」

「お父様、私たちも出しましょう! もっと豪華な雑誌を!」

 対抗して彼らが出した雑誌、真の貴族は、高価な宝石や毛皮の写真を並べ、これを持たぬ者は貴族にあらず、と煽るだけの品のない内容だった。

 当然、読者からは、時代遅れ、成金趣味とそっぽを向かれ、逆にクロード公爵家の洗練されたブランドイメージを際立たせる結果となった。

     *

 「……勝利だな」

 増刷が決まった創刊号を手に、アレックスは満足げに笑った。

「やはりペンは剣よりも強し、だ。インクの染み一つで、大衆の美意識を書き換えることができた」

「でも、アレックス様。私が書いたエッセイ、少し感情的すぎませんでしたか? 論理的じゃないって、怒られるかと……」

 ソフィアが恐縮すると、アレックスは首を横に振った。

「いいや。君の文章は……、悪くなかった」

 彼は少し視線を逸らし、咳払いをした。

「私の論理が骨組みなら、君の言葉は血肉だ。骨だけでは人は動かない。君の文章には、読者の体温を上げる熱量があった」

「アレックス様……」

 彼なりの最大の賛辞に、ソフィアは顔をほころばせた。

「それに、この雑誌にはもう一つ目的がある」

「目的?」

「君の名を売ることだ。かつて泥棒猫と呼ばれた君を、この国のファッション・リーダーへと上書き保存する。……君を悪く言う声など、称賛の嵐でかき消してやるさ」

 それは、徹底的な復讐であり、不器用な守り方だった。
 雑誌の奥付には、編集長アレックスの名と並んで、筆頭エディターとしてソフィアの名が誇らしげに刻まれていた。
 
 こうしてクロード公爵家は、経済だけでなく、文化の覇権をも握り始めたのだった。
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