妹に婚約者を奪われた上に断罪されていたのですが、それが公爵様からの溺愛と逆転劇の始まりでした

水上

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第15話:極寒の地を温めろ

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 王都での商戦に勝利し、ゼガン男爵の商会を傘下に収めたクロード公爵家には、連日多くの客が訪れていた。
 その中でも一際異彩を放っていたのが、北方の軍事大国ノルド王国からの使節団だった。

「……公爵殿。我々が求めているのは、我が国の過酷な冬に耐えうる、新時代の防寒具だ」

 応接室のソファに深々と腰掛けた使節団長、巨漢の将軍ガルドが低い声で切り出した。
 ノルド王国は万年雪に閉ざされた極寒の地だ。
 彼らの兵士は屈強だが、寒さという見えざる敵に常に悩まされているという。

「我が国の兵士は、厚手の毛皮や何層にも重ねたウールを着込んで戦っている。だが、それでは重すぎて動きが鈍り、剣を振るうのにも体力を消耗する。……軽く、かつ暖かい服が必要なのだ」

 ガルド将軍の切実な訴えに、ソフィアは同情した。
 クロード領も寒いが、北国は比ではないだろう。重い装備で雪の中を行軍する苦労は想像に難くない。

「なるほど。要件定義は軽量化と高断熱の両立か」

 アレックスは紅茶を一口啜り、不敵に笑った。

「物理法則において、矛盾する要素だな。暖かさを得るには厚みが必要で、厚みを出せば重くなる。それがこれまでの常識だ」

「やはり、不可能か……」

「誰が不可能だと言った? 常識など、洗濯前のシミのようなものだ。落としてしまえばいい」

 アレックスは指を一本立てた。

「将軍。世界で最も軽く、最も優れた断熱材が何かご存じか?」

「……希少な魔獣の毛皮か?」

「いいや。だ」

 きょとんとする将軍を置き去りにし、アレックスはソフィアに合図を送った。

 ソフィアはワゴンに載せていた、今回の新発明品を提示した。
 それは、一見するとただの薄い肌着のように見えた。
 色は地味なベージュで、ペラペラとしている。

「なんだこれは? こんな薄い布一枚で、北の寒風が防げるとでも?」

「見た目で判断するのは早計だな。……ソフィア、拡大図を」

 ソフィアが黒板に図を広げる。
 そこには、糸の断面図が描かれていた。
 普通の糸は中が詰まっているが、この糸は中心に穴が開いており、まるでマカロニのような形状をしていた。

「これは中空繊維だ」

 アレックスが解説を始めた。

「極寒の海に住むシロクマの毛は、中心が空洞になっていることをご存じかな? 彼らはその空洞の中に動かない空気(デッドエア)を溜め込むことで、極寒の海でも体温を維持している」

 彼は図の空洞部分を指差した。

「空気の熱伝導率は、水や布地よりも圧倒的に低い。つまり、空気は熱を伝えない遮断壁なのだ。この糸は、繊維の中に人工的に空気の層を作り出している。これにより、見た目は薄くても、分厚いウールと同等か、それ以上の保温性を発揮する」

「さらに」とソフィアが付け加えた。

「中が空洞ですから、同じ太さの普通の糸に比べて、重さは三割ほど軽くなります。実際に持ってみてください」

 半信半疑で肌着を受け取ったガルド将軍は、その軽さに目を見開いた。

「……軽い。まるで羽毛のようだ」

「さあ、論より証拠。外へ出て実験といこうか」

 真冬の王都の庭園。

 アレックスは実験用のマネキンを二体用意していた。
 一体には従来通りの分厚いウールのコートを、もう一体には開発した中空繊維の肌着の上に薄手のシャツ一枚を着せている。
 それぞれの内部には、お湯を入れた革袋(湯たんぽ)が仕込まれていた。

「一時間放置した後、内部の温度低下を測定します」

 寒風吹きすさぶ中、一時間が経過した。
 アレックスが温度計を確認し、結果を発表する。

「厚着マネキン、温度低下はマイナス15度。対して、中空繊維マネキン……、マイナス12度」

 ガルド将軍が唸り声を上げた。

「馬鹿な……! あんなペラペラの肌着一枚の方が、毛皮のコートより暖かいだと!?」

「これがデッドエアの魔法だ。体温で温められた空気が、中空糸の中に閉じ込められ、外へ逃げない」

 アレックスはニヤリと笑った。

「この肌着を兵士の制服の下に一枚着せるだけでいい。重いコートは不要になり、機動力は劇的に向上するでだろう。……どうかな、将軍? この見えない空気の鎧、お買い上げでよろしいかな?」

 ガルド将軍は震える手でアレックスの手を握りしめた。

「買おう! 全軍に配備する! 言い値で構わん、すぐに生産してくれ!」

「……ソフィア、契約書だ。オプションで速乾機能もつけておけ。汗冷え防止になる」

 商談成立。

 それは、クロード公爵家が巨万の富を得た瞬間であると同時に、北方の軍事バランスさえも変えてしまう革命的な契約だった。

 その夜、屋敷に戻ったソフィアは、試作品の中空繊維の肌着を自分でも着てみていた。
 薄いドレスの下に着ているだけなのに、ポカポカと温かい。まるで、春の日差しを纏っているようだ。

「……本当にすごいです、アレックス様。空気って、こんなに温かかったんですね」

 暖炉の前でくつろぐアレックスに伝えると、彼は本から目を離さずに答えた。

「ああ。だが、欠点が一つある」

「欠点、ですか?」

「中空糸は構造上、潰れやすい。強い圧力をかけすぎると空洞が塞がって保温性が落ちる。……だから」

 アレックスは本を置き、立ち上がってソフィアの元へ歩み寄った。
 そして、そっと彼女を抱きしめた。
 ふわりと包み込むような、優しいハグだった。

「君を抱きしめる時は、こうやって優しくしなければならないな。大切な空気の層(デッドエア)を潰さないように」

 耳元で囁かれた言葉に、ソフィアの顔が肌着の保温効果以上に熱くなる。

「あ、アレックス様……」

「……うん、やはり人肌の熱伝導が一番効率的だ。中空繊維も悪くないが、君の温かさには敵わないな」

 科学的な分析をしているようで、その実はただイチャついているだけの公爵様。

 ソフィアは彼の胸に顔を埋めながら思った。
 どんなに寒い冬が来ても、この人のそばにいれば、心まで凍えることは二度とないだろう、と。

 極寒の地を温める発明は、二人の愛の温度をも上昇させる結果となったのだった。
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