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第14話:甘撚りの嫉妬
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王都における平民の絹やクロード・レースの爆発的なヒットは、当然ながら既存の商人たちの利益を脅かしていた。
特に、これまで高価な絹織物や、輸入物のレースを独占的に扱ってきた古い商会にとって、安価で高品質なクロード領の製品は目の上のたんこぶだった。
ある日の午後。
商業ギルドの定例会議に出席したアレックスとソフィアは、入室するなり冷ややかな視線を浴びた。
「……来たぞ、田舎の成り上がり公爵だ」
「安物をばら撒いて、市場の品位を落とす破壊者め」
ひそひそ話が聞こえる中、一人の男が立ちふさがった。
王都で手広く繊維業を営む男爵、ゼガンだ。
彼は派手な宝石をジャラジャラとつけ、脂ぎった顔で二人を睨みつけた。
「やあ、クロード公爵。随分と景気がよろしいようですな。しかし、噂を聞きましたぞ? お宅の布は腐りやすいと」
「ほう? 初耳だな」
アレックスが眉一つ動かさずに答える。
ゼガン男爵は、勝ち誇ったように懐から一枚の布切れを取り出した。
それは確かにソフィア・クロスの端切れだったが、ボロボロにほつれ、少し引っ張っただけで千切れてしまいそうな状態だった。
「見ろ! これが証拠だ! お宅の布は、少し使っただけでこのように脆くなる。安かろう悪かろうの粗悪品だ! こんなものを売りつけられた平民たちが可哀想だ!」
周囲の商人たちがざわめく。
「やはりな」
「綿ごときが絹の真似事をするからだ」
と、同調する声が上がる。
ソフィアは青ざめた。
「そんな……、嘘です! 私たちの布は、強度試験を何度もクリアしています。そんなに簡単に千切れるはずがありません!」
「現にここにあるじゃないか! 言い訳は見苦しいぞ、小娘!」
ゼガンが怒鳴りつける。
しかし、アレックスは涼しい顔でそのボロボロの布を摘み上げた。
そして、モノクル越しに繊維の状態を一瞥すると、ふっ、と鼻で笑った。
「……なるほど。手の込んだ工作だ」
「な、何だと?」
「この布の糸、わざと撚りを戻しているな?」
アレックスは周囲の商人たちに見えるように、布の糸を指で摘んで見せた。
「繊維というものは、バラバラのままでは弱い。それをねじり合わせる――つまり撚りをかけることで、繊維同士に摩擦が生まれ、強靭な一本の糸となる。撚る回数が多ければ多いほど(強撚)、糸は硬く、強くなる」
彼はゼガンが持っていた布の糸を、指先で簡単に引き抜いた。
「だが、この布の糸は、人為的に逆回転を加えられ、撚りが極端に緩められている。いわゆる甘撚り以下の状態だ。これでは繊維が結束しておらず、ただの綿の塊だ。引っ張れば千切れて当然だ」
アレックスは、その鋭い視線をゼガン男爵に向けた。
「ゼガン男爵。君は部下に命じて当家の布を購入させ、手作業で糸をほぐし、わざと脆く加工したものを不良品として提示した。……実に非生産的な努力だ」
「な、ななな、何を証拠に!」
「証拠? 簡単だ。このほぐれた繊維の隙間に、微細なオリーブオイルが付着している。君が糸をほぐしやすくするために塗った潤滑油だろう? 当家の工場では、製造過程でオリーブオイルなど使わない」
アレックスはゼガンの指先を指差した。
「そして君のその指。さっきからテーブルクロスで拭っているようだが、まだ油でテカっているぞ」
ゼガン男爵が慌てて手を隠す。
その挙動が何よりの自白だった。
会場の空気が一変する。
嘲笑の対象が、公爵から男爵へと移り変わる。
「くっ……! だから何だ! たかが小細工一つ見抜いたくらいで! 私の商会は王都で百年の歴史があるんだ! 新参者が調子に乗るな!」
逆上したゼガンは、支離滅裂な罵倒を始めた。
アレックスは、やれやれと肩をすくめ、ソフィアに向かって呟いた。
「見ろ、ソフィア。彼の主張は、まさに甘撚りの糸そのものだ」
「え?」
「一見すると太く、ボリュームがあるように見える(虚勢を張っている)。だが、繊維(根拠)同士の結束が緩く、内部はスカスカだ。だから、少し論理の張力をかけただけで、プツリと千切れてしまう」
アレックスは冷徹な瞳でゼガンを見下ろした。
「君の嘘も、そして経営状態もな」
「……は?」
「調べさせてもらったよ。君の商会、主力商品の絹が売れずに在庫の山を抱えているそうじゃないか。その穴埋めのために、高利貸しから相当な額を借り入れているようだが」
アレックスは懐から一枚の書類を取り出し、テーブルに叩きつけた。
「その債権、私が買い取らせてもらった」
ゼガン男爵の目が飛び出るほど見開かれた。
「は……、い、今、なんと……?」
「君への貸付金は、今この瞬間から私が管理する。即時返済を求めたいところだが……、まあ、無理だろうな。君の商会にはもう、返済能力がない」
アレックスは書類を指先で弾いた。
「選択肢を与えよう。破産して路頭に迷うか、私の傘下に入り、当家の製品を売るための下請け販売店になるか。……もっとも、君のような甘撚りの思考回路では、当家の厳格な品質管理基準には耐えられないかもしれないが」
ゼガン男爵は膝から崩れ落ちた。
百年の暖簾を誇った商会が、たった数分の論理と経済力によって、完全に解体された瞬間だった。
静まり返る会議室で、アレックスはソフィアの手を取り、優雅に退出を促した。
「行こう、ソフィア。ここは空気が淀んでいる。換気の悪い部屋はカビの温床だ」
「あ……、はい、アレックス様」
廊下に出ると、アレックスはふぅ、と息を吐いた。
「……不愉快な時間だったな。君をあんな油汚れの前に立たせてすまなかった」
「いいえ。……でも、すごかったです。あんな一瞬で、オイルの付着まで見抜くなんて」
「当然だ。君が織った布が、あんな無様な切れ方をするはずがない。私は君の仕事のクオリティを誰よりも信頼している」
彼はソフィアの手を強く握り直した。
「我々の絆は強撚糸だ。どんなに強く引っ張られても、摩擦でお互いを支え合い、決して切れることはない。……誰にも邪魔はさせないさ」
その言葉は、どんな甘い愛の囁きよりも力強く、ソフィアの心を震わせた。
商売敵を完膚なきまでに叩き潰した魔王のような公爵様は、自分の助手に対してだけは、とことん過保護で甘いのだった。
特に、これまで高価な絹織物や、輸入物のレースを独占的に扱ってきた古い商会にとって、安価で高品質なクロード領の製品は目の上のたんこぶだった。
ある日の午後。
商業ギルドの定例会議に出席したアレックスとソフィアは、入室するなり冷ややかな視線を浴びた。
「……来たぞ、田舎の成り上がり公爵だ」
「安物をばら撒いて、市場の品位を落とす破壊者め」
ひそひそ話が聞こえる中、一人の男が立ちふさがった。
王都で手広く繊維業を営む男爵、ゼガンだ。
彼は派手な宝石をジャラジャラとつけ、脂ぎった顔で二人を睨みつけた。
「やあ、クロード公爵。随分と景気がよろしいようですな。しかし、噂を聞きましたぞ? お宅の布は腐りやすいと」
「ほう? 初耳だな」
アレックスが眉一つ動かさずに答える。
ゼガン男爵は、勝ち誇ったように懐から一枚の布切れを取り出した。
それは確かにソフィア・クロスの端切れだったが、ボロボロにほつれ、少し引っ張っただけで千切れてしまいそうな状態だった。
「見ろ! これが証拠だ! お宅の布は、少し使っただけでこのように脆くなる。安かろう悪かろうの粗悪品だ! こんなものを売りつけられた平民たちが可哀想だ!」
周囲の商人たちがざわめく。
「やはりな」
「綿ごときが絹の真似事をするからだ」
と、同調する声が上がる。
ソフィアは青ざめた。
「そんな……、嘘です! 私たちの布は、強度試験を何度もクリアしています。そんなに簡単に千切れるはずがありません!」
「現にここにあるじゃないか! 言い訳は見苦しいぞ、小娘!」
ゼガンが怒鳴りつける。
しかし、アレックスは涼しい顔でそのボロボロの布を摘み上げた。
そして、モノクル越しに繊維の状態を一瞥すると、ふっ、と鼻で笑った。
「……なるほど。手の込んだ工作だ」
「な、何だと?」
「この布の糸、わざと撚りを戻しているな?」
アレックスは周囲の商人たちに見えるように、布の糸を指で摘んで見せた。
「繊維というものは、バラバラのままでは弱い。それをねじり合わせる――つまり撚りをかけることで、繊維同士に摩擦が生まれ、強靭な一本の糸となる。撚る回数が多ければ多いほど(強撚)、糸は硬く、強くなる」
彼はゼガンが持っていた布の糸を、指先で簡単に引き抜いた。
「だが、この布の糸は、人為的に逆回転を加えられ、撚りが極端に緩められている。いわゆる甘撚り以下の状態だ。これでは繊維が結束しておらず、ただの綿の塊だ。引っ張れば千切れて当然だ」
アレックスは、その鋭い視線をゼガン男爵に向けた。
「ゼガン男爵。君は部下に命じて当家の布を購入させ、手作業で糸をほぐし、わざと脆く加工したものを不良品として提示した。……実に非生産的な努力だ」
「な、ななな、何を証拠に!」
「証拠? 簡単だ。このほぐれた繊維の隙間に、微細なオリーブオイルが付着している。君が糸をほぐしやすくするために塗った潤滑油だろう? 当家の工場では、製造過程でオリーブオイルなど使わない」
アレックスはゼガンの指先を指差した。
「そして君のその指。さっきからテーブルクロスで拭っているようだが、まだ油でテカっているぞ」
ゼガン男爵が慌てて手を隠す。
その挙動が何よりの自白だった。
会場の空気が一変する。
嘲笑の対象が、公爵から男爵へと移り変わる。
「くっ……! だから何だ! たかが小細工一つ見抜いたくらいで! 私の商会は王都で百年の歴史があるんだ! 新参者が調子に乗るな!」
逆上したゼガンは、支離滅裂な罵倒を始めた。
アレックスは、やれやれと肩をすくめ、ソフィアに向かって呟いた。
「見ろ、ソフィア。彼の主張は、まさに甘撚りの糸そのものだ」
「え?」
「一見すると太く、ボリュームがあるように見える(虚勢を張っている)。だが、繊維(根拠)同士の結束が緩く、内部はスカスカだ。だから、少し論理の張力をかけただけで、プツリと千切れてしまう」
アレックスは冷徹な瞳でゼガンを見下ろした。
「君の嘘も、そして経営状態もな」
「……は?」
「調べさせてもらったよ。君の商会、主力商品の絹が売れずに在庫の山を抱えているそうじゃないか。その穴埋めのために、高利貸しから相当な額を借り入れているようだが」
アレックスは懐から一枚の書類を取り出し、テーブルに叩きつけた。
「その債権、私が買い取らせてもらった」
ゼガン男爵の目が飛び出るほど見開かれた。
「は……、い、今、なんと……?」
「君への貸付金は、今この瞬間から私が管理する。即時返済を求めたいところだが……、まあ、無理だろうな。君の商会にはもう、返済能力がない」
アレックスは書類を指先で弾いた。
「選択肢を与えよう。破産して路頭に迷うか、私の傘下に入り、当家の製品を売るための下請け販売店になるか。……もっとも、君のような甘撚りの思考回路では、当家の厳格な品質管理基準には耐えられないかもしれないが」
ゼガン男爵は膝から崩れ落ちた。
百年の暖簾を誇った商会が、たった数分の論理と経済力によって、完全に解体された瞬間だった。
静まり返る会議室で、アレックスはソフィアの手を取り、優雅に退出を促した。
「行こう、ソフィア。ここは空気が淀んでいる。換気の悪い部屋はカビの温床だ」
「あ……、はい、アレックス様」
廊下に出ると、アレックスはふぅ、と息を吐いた。
「……不愉快な時間だったな。君をあんな油汚れの前に立たせてすまなかった」
「いいえ。……でも、すごかったです。あんな一瞬で、オイルの付着まで見抜くなんて」
「当然だ。君が織った布が、あんな無様な切れ方をするはずがない。私は君の仕事のクオリティを誰よりも信頼している」
彼はソフィアの手を強く握り直した。
「我々の絆は強撚糸だ。どんなに強く引っ張られても、摩擦でお互いを支え合い、決して切れることはない。……誰にも邪魔はさせないさ」
その言葉は、どんな甘い愛の囁きよりも力強く、ソフィアの心を震わせた。
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