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第44話:未来を紡ぐ手
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結婚式から、数年の月日が流れた。
かつて絶望の庭と呼ばれたクロード公爵領は、今や大陸有数の繊維産業都市へと変貌を遂げていた。
イラクサの畑は黄金色に輝き、川沿いには染色工房が建ち並ぶ。
街を行き交う人々は、丈夫なデニムや、色鮮やかな合成インディゴの服を身に纏い、その顔には活力と笑顔が溢れている。
そんな活気ある街を見下ろす公爵邸の庭園で、小さな騒動が起きていた。
「ううっ……、で、できないよぉ……」
三歳になる長男、レオが泣きべそをかいていた。
彼は自分で上着を着ようとしていたが、小さな指ではボタンを穴に通すことができず、癇癪を起こしてしまったのだ。
「あらあら、レオ。落ち着いて。お母様が手伝ってあげるわ」
すっかり大人の女性の気品を身につけたソフィアが、優しく手を差し伸べる。
だが、そこへ研究室から出てきたアレックスが待ったをかけた。
「手伝うのは簡単だが、それでは彼の自立心が育たない」
「でもあなた、まだ三歳ですよ? ボタンは指先の力が要りますから……」
「なら、ボタンを使わなければいい」
アレックスはニヤリと笑い、ポケットから植物の実を取り出した。
トゲトゲした楕円形の実――オナモミだ。
「レオ。これを私の服に投げてごらん」
レオは涙を拭い、ポイッと実を投げた。
実はアレックスのウールのセーターに、ピタリとくっついた。
「わあ! くっついた!」
「面白いだろう? この実のトゲの先は、小さなフックの形をしている。それが、セーターの繊維のループ(輪)に引っかかることで、強力にくっつくのだ」
アレックスはソフィアの方を向いた。
「ソフィア。これを模倣するぞ」
「えっ? このトゲトゲをですか?」
「そうだ。片方の布に硬いフック状の繊維を植え、もう片方に柔らかいループ状の繊維を植える。……この二枚を押し付ければどうなる?」
ソフィアはハッとした。
「押し付けるだけでくっついて、引っ張ればバリバリと剥がれる……! これなら、ボタンが苦手な子供でも、簡単に着替えができます!」
「その通り。子供だけじゃない。指先の力が弱くなった老人や、怪我をした人にとっても、画期的な留め具になるはずだ」
数ヶ月後。
クロード公爵家から新商品、マジックテープが発表された。
押すだけで留まる魔法のテープ。
そのキャッチコピーと共に売り出された子供服や介護用衣料は、またたく間に大ヒットとなり、多くの人々の生活を助けることになった。
夕暮れ時のサンルーム。
遊び疲れたレオを寝かしつけた後、ソフィアとアレックスは二人で紅茶を飲んでいた。
「……また一つ、世界を変えてしまいましたね」
ソフィアが微笑むと、アレックスは肩をすくめた。
「世界を変えたのではない。不便というバグを修正しただけだ」
「ふふ。相変わらず素直じゃありませんね」
ソフィアは、アレックスの白衣の袖口に、試作したばかりのマジックテープがついているのを見つけ、バリバリと音を立てて剥がしたりくっつけたりした。
「でも、あなたのその発明のおかげで、レオは自分で服を着られるようになって、大喜びでした。『パパすごい!』って」
「……ふん。まあ、教育的効果はあったようだな」
アレックスは照れ隠しにカップを傾けたが、その表情は父親の優しさに満ちていた。
ソフィアは、窓の外に広がる領地の風景を眺めた。
かつて濡れ衣を着せられ、居場所を失った自分が、今ではこうして愛する家族と、守るべき領民たちに囲まれている。
人生という織物は、どんな糸を通すかで、こんなにも鮮やかに変わるのだ。
「アレックス様」
「ん?」
「私、とっても幸せです。……あなたという経糸に出会えて、本当によかった」
ソフィアが寄り添うと、アレックスは自然に彼女の肩を抱き寄せた。
「私こそだ。君という緯糸がなければ、私の人生はただの丈夫なだけの麻袋で終わっていた」
彼はソフィアの髪にキスを落とした。
「これからも、忙しくなるぞ。マジックテープの次は、水を通すが空気は通さない透湿防水素材の構想がある。君の意見が必要だ」
「はい。どこまでもお供します」
二人の手元には、書きかけの設計図と、色とりどりの布切れが散らばっている。
それはまるで、未来の夢を描いたパッチワークのようだった。
嘘は見抜かれ、真実は織り上げられた。
けれど、二人の物語はまだ終わらない。
科学と愛の糸で、世界をもっと優しく、もっと美しく織り直していくために。
ソフィアとアレックスは顔を見合わせ、幸せそうに微笑んだ。
その笑顔は、どんな宝石よりも輝く、最高級の天然素材のようだった。
かつて絶望の庭と呼ばれたクロード公爵領は、今や大陸有数の繊維産業都市へと変貌を遂げていた。
イラクサの畑は黄金色に輝き、川沿いには染色工房が建ち並ぶ。
街を行き交う人々は、丈夫なデニムや、色鮮やかな合成インディゴの服を身に纏い、その顔には活力と笑顔が溢れている。
そんな活気ある街を見下ろす公爵邸の庭園で、小さな騒動が起きていた。
「ううっ……、で、できないよぉ……」
三歳になる長男、レオが泣きべそをかいていた。
彼は自分で上着を着ようとしていたが、小さな指ではボタンを穴に通すことができず、癇癪を起こしてしまったのだ。
「あらあら、レオ。落ち着いて。お母様が手伝ってあげるわ」
すっかり大人の女性の気品を身につけたソフィアが、優しく手を差し伸べる。
だが、そこへ研究室から出てきたアレックスが待ったをかけた。
「手伝うのは簡単だが、それでは彼の自立心が育たない」
「でもあなた、まだ三歳ですよ? ボタンは指先の力が要りますから……」
「なら、ボタンを使わなければいい」
アレックスはニヤリと笑い、ポケットから植物の実を取り出した。
トゲトゲした楕円形の実――オナモミだ。
「レオ。これを私の服に投げてごらん」
レオは涙を拭い、ポイッと実を投げた。
実はアレックスのウールのセーターに、ピタリとくっついた。
「わあ! くっついた!」
「面白いだろう? この実のトゲの先は、小さなフックの形をしている。それが、セーターの繊維のループ(輪)に引っかかることで、強力にくっつくのだ」
アレックスはソフィアの方を向いた。
「ソフィア。これを模倣するぞ」
「えっ? このトゲトゲをですか?」
「そうだ。片方の布に硬いフック状の繊維を植え、もう片方に柔らかいループ状の繊維を植える。……この二枚を押し付ければどうなる?」
ソフィアはハッとした。
「押し付けるだけでくっついて、引っ張ればバリバリと剥がれる……! これなら、ボタンが苦手な子供でも、簡単に着替えができます!」
「その通り。子供だけじゃない。指先の力が弱くなった老人や、怪我をした人にとっても、画期的な留め具になるはずだ」
数ヶ月後。
クロード公爵家から新商品、マジックテープが発表された。
押すだけで留まる魔法のテープ。
そのキャッチコピーと共に売り出された子供服や介護用衣料は、またたく間に大ヒットとなり、多くの人々の生活を助けることになった。
夕暮れ時のサンルーム。
遊び疲れたレオを寝かしつけた後、ソフィアとアレックスは二人で紅茶を飲んでいた。
「……また一つ、世界を変えてしまいましたね」
ソフィアが微笑むと、アレックスは肩をすくめた。
「世界を変えたのではない。不便というバグを修正しただけだ」
「ふふ。相変わらず素直じゃありませんね」
ソフィアは、アレックスの白衣の袖口に、試作したばかりのマジックテープがついているのを見つけ、バリバリと音を立てて剥がしたりくっつけたりした。
「でも、あなたのその発明のおかげで、レオは自分で服を着られるようになって、大喜びでした。『パパすごい!』って」
「……ふん。まあ、教育的効果はあったようだな」
アレックスは照れ隠しにカップを傾けたが、その表情は父親の優しさに満ちていた。
ソフィアは、窓の外に広がる領地の風景を眺めた。
かつて濡れ衣を着せられ、居場所を失った自分が、今ではこうして愛する家族と、守るべき領民たちに囲まれている。
人生という織物は、どんな糸を通すかで、こんなにも鮮やかに変わるのだ。
「アレックス様」
「ん?」
「私、とっても幸せです。……あなたという経糸に出会えて、本当によかった」
ソフィアが寄り添うと、アレックスは自然に彼女の肩を抱き寄せた。
「私こそだ。君という緯糸がなければ、私の人生はただの丈夫なだけの麻袋で終わっていた」
彼はソフィアの髪にキスを落とした。
「これからも、忙しくなるぞ。マジックテープの次は、水を通すが空気は通さない透湿防水素材の構想がある。君の意見が必要だ」
「はい。どこまでもお供します」
二人の手元には、書きかけの設計図と、色とりどりの布切れが散らばっている。
それはまるで、未来の夢を描いたパッチワークのようだった。
嘘は見抜かれ、真実は織り上げられた。
けれど、二人の物語はまだ終わらない。
科学と愛の糸で、世界をもっと優しく、もっと美しく織り直していくために。
ソフィアとアレックスは顔を見合わせ、幸せそうに微笑んだ。
その笑顔は、どんな宝石よりも輝く、最高級の天然素材のようだった。
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