恋の被害者は誰なのか…

夕鈴

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初めての欲

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翌日エレオノーラはジャスティンを用意した馬車に乗せ、私有地の泉を訪ねた。
泉のほとりの木陰にピクニックの用意をさせ、エレオノーラは人払いをした。
エレオノーラは膝の上にハンカチを置き、ジャスティンを見つめた。

「私のお膝でお昼寝されませんか?」
「僕にはそこに触れる権利は」

エレオノーラが勉強のために読んだ恋愛小説で膝枕を断られる場面はなかった。お断りされた誘いを撤回させる方法も恋愛小説で学んでいたエレオノーラは拗ねた顔をした。


「私は美術館に展示される意思のない花の彫刻ではありません。私がいいと言っているのに、お嫌なら結構ですわ」

エレオノーラに不満そうな顔で睨まれたジャスティンは首を横に振って、そっと膝に頭を乗せた。
目を閉じずに、ずっとエレオノーラを見ているジャスティンの目をエレオノーラは手で覆った。

「エレオノーラ様!?」
「私のやりたいことを全て叶えてくださるとおっしゃったのは嘘ですか?」
「嘘ではありません。ただ、これは…」
「私のしたいことですよ。ジャスティン様がお嫌でなければ、されるがままになさってくださいませ。一曲歌ってもよろしくて?」
「エレオノーラ様の美声を聞けるなんて光栄の極みです」

エレオノーラは微笑み、子守歌を歌う。
膝に重みを感じ、ようやく力を抜いて眠ったジャスティンの目元から手を解く。
ぐっすり眠っている顔を見て、エレオノーラはふぅと息を吐いた。

「膝枕の研究をしましたが、初めて役に立ちましたね」

私有地のためにエレオノーラ達以外はいない澄んだ泉を眺めながら、時々子供のような無邪気な寝顔に視線を移す。
王宮舞踏会を終えてから、エレオノーラは家族とジャスティンとしか会っていない。
ジャスティンはエレオノーラに噂が立たないように、訪れるのは貸し切りにした場所か私有地で他の貴族の目に入らないように配慮している。
馬車も公爵家の紋章がないものを使い、ジャスティンが通っていることは互いの家の者しか知らない。

「公爵家嫡男なのに、らしくないことをされますが、ご自分の影響力をよくわかってらっしゃいますね」

外堀を埋めず、権力を使わず、エレオノーラの心を尊重する誠実さを持つ人は初めてだった。
エレオノーラへの贈り物の制作のために睡眠時間を削るのはやめて欲しいが、贈り物にこめられた熱意は伝わってくる。
エレオノーラは婚約解消の書類にサインをして、父に預けただけで公爵令嬢らしいことを何もしていない。
家族は今まで不休で働いたからしばらく休んでいいとエレオノーラの社交を免除してくれている。
家族やジャスティンと賑やかに過ごしているいるため、エレオノーラは王宮舞踏会で感じた胸の空虚は感じていない。
婚約者に求められるままに生きてきたエレオノーラの心はエルヴィスでいっぱいだったが、今は違うもので埋められつつある。
エルヴィスと過ごしていた時は感じることを許さなかった感情が今は自由に躍っていた。
家族との晩餐はどんな食事よりも美味しく、もっと一緒に過ごしたい気持ちになることやジャスティンと過ごす時間は刺激的で驚きや楽しい気持ちに満たされ、子供の頃に憧れた心のままに振舞うことができている。
出かける前に妹からもらったチョコレートを持っていることを思い出したエレオノーラは一欠片、口に入れた。ほのかなチェリー酒の風味にうっとりと微笑む。
好みの味にさらに気分が良くなったエレオノーラは膝の上に視線を落とすとゆっくりとジャスティンが目を開けた。
ジャスティンはエレオノーラに膝枕されていることを想い出し、慌てて起き上がる。

「おはようございます。お食事にしましょうか」

エレオノーラは慌てるジャスティンに微笑み、グラスとボトルを持った。
エレオノーラはそれぞれの手にグラスとボトルを持ち、ジュースを注ごうとしたが、ボトルが重いため手が震えている。
ジャスティンが手を伸ばす前に、エレオノーラが注いだジュースはグラスから溢れた。
エレオノーラがジュースに濡れる前にジャスティンがボトルとグラスを取り上げた。
こぼれたジュースがジャスティンの手と腕を濡らす。

「これは僕がいただいても?」
「ええ。ごめんなさい」
「お気になさらず。エレオノーラ様が注いでくださったこと、とても嬉しく思います。それにこの上なく美味しいです」

美味しそうにジュースを飲み干すジャスティンにエレオノーラの落ち込みそうだった気持ちが浮上する。
ジャスティンは汚れていない手で、グラスを持ち、ジュースで満たしエレオノーラに渡す。
エレオノーラは受け取ったグラスを置いて、ジュースで濡れたジャスティンをハンカチで拭く。
ジュースで汚れた手袋をそっと脱がそうとするエレオノーラの腕をジャスティンが掴む。

「このままで」
「べとべとして気持ち悪いでしょう」
「エレオノーラ様のお目を汚してしまいますので」
「え?私はどんなものも目を背けないようにと教えられてきました。もしや奴隷の刻印でも隠していらっしゃる?なら、非合法の貴方様の主を裁かないといけませんね」
「わかりました。いつまでも隠しておけるものではありませんよね」

ジャスティンが手袋を外すと手には小さな傷がたくさんあった。
エレオノーラはジャスティンの手をじっくりと観察して首を傾げた。

「奴隷の刻印はありませんし、指も5本ありますね。なにを隠す必要がありましたの?」
「硬くて、傷だらけの手など、汚いでしょ?」
「私がこぼしたジュースの所為で汚れてしまいましたが、他にも汚れは見当たりませんよ」

首を傾げるエレオノーラにジャスティンが一瞬だけ泣きそうな顔をしたが、すぐに微笑み誤魔化した。
エレオノーラはなぜか寂しさに襲われた。

「エレオノーラ様はどこまでも僕を魅了しますね。手を洗ってきたいのですが、お一人にはできませんので、一緒に来てくださいますか?それとも、供を呼びますか?」
「今日は二人っきりと決めておりますので、私もご一緒しますわ。次こそはきちんとお食事の用意を致しますわ」
「次は僕にも手伝わせてください。一緒にしましょう。お願いですから」

立ち上がったジャスティンは汚れていない手をエレオノーラに差し出す。
エレオノーラは差し伸べられる手に、手を伸ばし重ねると胸の寂しさが和らいだ。
ジャスティンは上着を脱ぎ、泉でジュースで汚れた手と手袋と上着を洗う。
手慣れた様子で洗濯をするジャスティンにエレオノーラは感心する。

「お上手ですね。私もできるでしょうか」
「力がいりますので、慣れるまではエレオノーラ様には大変かと思いますよ」
「ジャスティン様が努力して身に着けたものですものね……私が重ねてきたものは、意味があるのでしょうか………」
「意味のないものなど存在しません。エレオノーラ様が問うてくだされば、僕が意味を教えて差し上げます。貴方が成し遂げてきたものは誇れるものばかりです。洗濯の腕とは比べものにならないほど偉大なことです」

洗濯してるジャスティンは瞳を潤ませたエレオノーラの顔は見えない。
今まで周囲からの称賛に心が動いたことは一度もなかったエレオノーラの心にジャスティンの言葉が溶け込んでいく。
こぼれそうな涙を落とさないように指で拭ったエレオノーラはジャスティンに触れたい衝動に襲われ、泉の中に手を入れた。
洗濯しているジャスティンの片手の手首をエレオノーラは掴んだ。

「エレオノーラ様!?」
「触れたくなりましたの」

ジャスティンはエレオノーラの言葉に赤面しながら、泉から手を出す。

「お気持ちはとても嬉しいのですが、水が冷たいので、泉に手をいれるまえに教えていただければ、こんなに冷たくなられて…」

エレオノーラの掴んだ手を泉から出したジャスティンは空いた手で上着を置いた。
ハンカチを器用に取り出し、ジャスティンは片手でエレオノーラの濡れた手を拭く。
エレオノーラのお腹が空腹の音を鳴らした。

「エレオノーラ様のお好きなようにしていただきたいのですが、そろそろ食事にしましょうか」

エレオノーラは羞恥で顔を赤くし、聞かなかったフリをするジャスティンの言葉に頷く。
ジャスティンの手首を放したエレオノーラは寂しさに襲われる。
汚れていない手袋をした手をエスコートのために差し出したジャスティンの手袋をしていない手に、エレオノーラは手を伸ばす。
エレオノーラに指を掴まれたジャスティンは困ったように笑う。

「光栄ですが、エレオノーラ様が歩きにくいので、手を繋ぎませんか?」

エレオノーラは頷き、ジャスティンの手を握ると優しく握り返す手に微笑む。
寂しさがなくなり、エレオノーラはジャスティンと手を繋いで足を進める。
二人で食事の用意をして、食事を終えた頃には風が冷たくなっていた。
帰りの馬車でエレオノーラはジャスティンの隣に座り、手を繋いだ。
それから、馬車や二人の時にエレオノーラがじっとジャスティンの手を見つめると、ジャスティンが手袋を脱ぐようになった。
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