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しおりを挟むまだ中学生である息子に酒を買いに行かせた椎名貴市は、その帰りが遅い事に苛立ち、家から外に出た。距離のあったコンビニにまで息子を迎えに行くつもりは無かったが、様子見がてら、ふらふらとその辺りを徘徊していた。――そのさなか、貴市は道端で立ち話をしていた男性の二人組に出くわしてしまう。二人組は貴市の存在に気が付いていなかったらしく、ちょうど「椎名貴市がヒトを殺した」との噂話に花を咲かせていた。
「……ケッ」と貴市は唾を吐く。
苛立ちの余り、目の前の二人をブン殴ってやろうかとも考えたが、その苛立ちは全てまとめてその「デマ」の発信源にぶつけてやろうと心に決めていた貴市は、拳を固く握り締めるにおさまった。
拳を固く握り締めながら、その二人組との擦れ違い様――貴市の耳に入った言葉が、
「――本当だって。だってよ、俺はこの目で見たんだから」
その「デマ」の「情報源」が「自白」をした一言であった。
……指の爪がてのひらに刺さるほど強く拳を握り締めた貴市は、
「てめえかぁ……」
と鬼の形相でその二人組に振り返った。
他に誰も居ない――一人息子は出掛け、女房はもう居ない――自宅にその男性を引き摺り込んだ貴市は、とりあえず一発、男の左頬をブン殴った。
「ひあ……ッ」と男は床に転がる。
「……てめえはその目で見たんだってなあ。この俺がヒトを殺すところを」
言いながら貴市は、床に転がっている男の腹を蹴り上げた。
「……俺はバカだからよお、そんなコトぁまるっきり、覚えちゃいねえんだ。……なあ、教えちゃくれねえかなあ。俺が何時、誰をブチ殺したってんだ、ああッ!?」
「ひぃ……ッ」と床に転がったまま、背中を丸めた男の脇腹を、貴市は重く踏み締める。
「……ああ。解かったわ。俺がヒトをブチ殺すのは『今』だ。相手は『てめえ』か……」
静かに囁き、貴市は男の顔面に自身の爪先を差し出した。……「いいのか? 蹴るぞ、蹴るぞ、蹴っちまうぞ」とばかりに、その足首をチラチラと揺らす。
「あ、アンタはッ!」と男はその身を丸めたまま、震える声を張り上げた。
「俺の弟を轢き殺した! バイクでッ! 酔っ払い運転だったッ!」
男の告発に、貴市は「……ああ?」と眉間の辺りに深いしわを寄せた。
「……俺ぁバイクで事故ったコトなんか、イッペンもねえぞ……? ……何だ、コラ。てめえの勘違いじゃねえのか。オイ。……因縁、付けてんじゃねえぞ、コラッ!」
貴市は声を張り上げて、男の顔……ではなく、ケツを蹴った。
しばらくの間、彼を悩ませていたその馬鹿な「デマ」の正体が、何かの「陰謀」や、誰かの「逆恨み」ではなく、単なる「勘違い」であったという「答え」に、椎名貴市は、正直な気持ち、ほっとしてしまったのであった。――しかし。
「……お前だ。椎名貴市だ、間違いないッ!」
男は涙に濡れた赤い目を貴市に向けて……一生懸命に貴市を睨んでいた。
「お前のせいで……弟は今も家から出られない。バイクや車の排気音が恐ろしくて、恐ろしくて、マトモに道を歩けないッ!」
「……はあ?」
男の叫びに、貴市は酷く表情を歪め、首を捻る。
「……『マトモに道を歩けねえ』って……てめえの弟は、生きてんじゃねえかッ!? 何、言ってんだ、てめえは。頭、オカシイのか? コラッ!」
そんな、貴市の怒鳴り声にも負けず、男は声を裏返して、吼え返す。
「『未来体験』だよッ! 俺の体験した『未来』で、お前は俺の弟を轢き殺したんだッ!」
「…………」と数瞬の間、呆気に取られてしまった貴市は、そのすぐ後で、
「てめえは……ざけたコト、抜かしてんじゃねえぞッ! コラぁッ!」
男の顔面に思いっ切り、右足の甲を叩き込んだ。
「あひゃ……ッ」と男は血飛沫を吐き飛ばしながらに、後ろへ転がる。
どちらの言動に「理」があるのやら……。貴市にしてみれば、身に覚えの無い事を吹聴されたわけであり、この男性にしてみれば「未来」の椎名貴市にされた事によって、弟が今も外を歩けないという「実害」を被っているのである。
……吹聴の仕返しに暴力を振るう貴市も貴市であるし、「未来」の出来事を現在に持ち込んで、貴市の「悪事」を誰彼構わずに触れ回った男性も男性であった。
「知るかよ、ンなコトぁッ! 夢見てンじゃねえぞ、コラッ! 『未来』だか何だか知らねえが、ソッチの『俺』がヤッタコトに文句があんなら、ソッチの『俺』に言えや、コラッ! ――この俺に文句が言いてえんなら、シッカリ、この俺に轢き殺されてから、来いやッ! オオッ!?」
途中で一度、ほっと息を抜いてしまっているという事実が却って、無性に、貴市の腹立ちを倍加させてしまっていた。
蹴る、踏む、殴る。殴る、殴る、蹴る。散々に暴行を繰り広げる椎名貴市に、ふと、
「……そこまでにしておきなさイ」
玄関の方から、ネイティブな発音では無いが随分と流暢な日本語による静止の声が届けられた。――渋い、男の声だった。
「ああ……?」と貴市が振り向くと、そこには――スーツ姿の金髪が大きなサングラスを掛けて、立っていた。その身長は高く、胸板は厚かった。……しかし、
「……ンだ、オマエ。何、他人ン家に勝手に入ってんだ、コラ」
相手のガタイが幾らデカかろうが、貴市は少しも怯まない。……椎名貴市は以前の「ヘッド」時代、同じような体格のガイジンをブチノメシ、土下座をさせた事もあった。
……勝負の決め手は筋肉の量じゃねえ。彼はその一言に強い確信を抱いていた。
「……あなたの友人から聞いて、来ましタ。あなたは本当に見たのですカ? その男が、あなたの弟を轢き殺すシーン。そして、その光景を克明に覚えていル? 本当ですカ?」
「オイ、コラ。他人ン家に上がり込んでおいて、その家主をシカトたあ、良い根性だな」
金髪の外国人は、貴市の言葉を無視して、その足許で丸まっていた男性に声を掛けた。
「は……ハイッ! 見ました。覚えてます。全部――この男が悪いんですッ!」
男性は、藁にもすがる思いであったのだろうか、金髪の外国人に、助けを請うが如くの視線を投げ掛けた。
「……コラ。二人で話してンじゃねえぞ」と貴市は男の背中を踏み締める。
「ぐぇ……」と男は情けなく呻いた。
金髪の外国人は、そんな状態の男を前にしても、慌てた様子で助けに入るではなく、
「……見付けましタ。ようやく、一人目でス」
と、口の端っこをニヒルに歪めただけだった。
「た……助け……」
「ところデ。そちらの『加害者』のあなタ」
今度は、男の「助け」を無視して、外国人は貴市に語り掛ける。……どこまでもマイペースな男であった。
「ああ? 誰が『加害者』だ、コラ。てめえも『因縁』かあ?」
「あなたは覚えていないのですカ? その『未来』ヲ」
貴市の「応え」には無反応を貫き、自身の発言のみを通そうとする。ビジネスライクな外国人であった。……椎名貴市の一番、いけ好かないタイプの人間である。
「……知らねえよッ!」
「本当ですカ?」
「ッけえな! 知らねえっツッてんだろ!」
「……でしたら、あなたは不要ですネ」
金髪の外国人がその言葉を言い終わるのが先であったか、それとも、その「音」が先であったか――パンッ! と大きな破裂音が鳴った。
「な……なんじゃあ……?」
不思議そうな表情で椎名貴市は真っ赤に染まった自身の胸を、右の手で押さえる。
……そして。その体勢のまま、貴市はバタンと前のめりに倒れた。
「…………」と物言わぬ状態で自身の真横に倒れてきた「ソレ」に、床の男は、
「ひぁ……ッ!?」
と言葉になっていない悲鳴を上げた。
「ひ……ヒト、う、うった……撃った! テッポウ!? 撃った!」
「……何を騒いでいるのですカ?」
外国人は、のっそりとした歩調で、ゆっくりと男性に近付いた。
「ひ……ッ、ひぃ……ッ」と男はその場から逃げようともがいていたが、痛みからか、恐怖からか、その足腰には力が入らないようであった。
外国人は、男性を真上から見下ろして、言った。
「……彼を撃ったのは、あなたではありませんカ」
「は……、はあ……ッ?」
「彼の暴力に耐え兼ねて、あなたは、この拳銃で、彼を撃ってしまっタ」
「な、何を言って……拳銃なんて、お、俺が持ってるはず……」
「……ココはヤクザのスミカですヨ。拳銃の一つぐらい、転がっていて、オカシクはなイ。……その『ストーリー』に、不思議な無いと言っているのでス」
「な……何なんだ、アンタ……」
困惑の男性に、金髪の外国人はまたニヤリとニヒルな笑みを浮かべた。
「私は、あなたを助けに来たのですヨ」
「……は?」
「このままでは、あなたは殺人犯となりまス。頑張って、過剰防衛でしょウ」
「な……お、俺は、何もやってないっ!」
「『被害者』の悪い噂を吹聴していたという事実から、その精神を疑われてしまうかもしれませんネ。そうなれば今後は一生、病院の中ですヨ。……塀の中か、病院の中でス。この国の中には、もはや……あなたの『自由』はありませン。そんなあなたの身柄を、我が国で保護して差し上げようというのでス。とても手厚く……ですヨ。さあ。私と一緒に来てください。あなた……『ヒトゴロシ』には、なりたくないでしょウ……?」
――椎名貴也が父親から頼まれていた酒を持ってこの家に戻ってくるのは、彼らの去った十数分後であった。貴也はそこで土色に変わり果てた父親の亡骸を胸に抱き、大きな声を上げて泣く事となる。
そうして、椎名貴也はその肉親を全て、亡くしてしまったのだった。
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