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 たまたま見ていたテレビで「猫好き」を自称する女性タレントが、

「わたし、猫のお腹に顔をうずめるのが好きなんですよぉ。もふもふーって」

 と言っていた。それだけなら達矢も「へえ~」で済んだのだが、

「犬じゃ駄目なんですよぉ。猫じゃないと。同じじゃないです。犬は駄目」

 などと続けたものだから。それを聞いた「犬」が大好きな達矢は、

「ええーッ。『駄目』とか言われると……えーッ」

 自分自身ではよく分かっていなかったが、客観的に見れば負方面だと思われる妙な感情に苛まれてしまったのだった。

 その日の夜遅く。今夜も今夜とてお隣の鈴木虎呼郎宅に押し掛けていた達矢は、

「おじさん。お腹見せて。お腹。おーなーかーッ」

 と虎呼郎に迫った。

「お、お腹?」

 三十七歳の中年男性である鈴木虎呼郎だったが、学生時分はバリバリの運動部に所属していた事もあって貯金ならぬ貯筋が幾らか残されていた。メタボではないどころかこの年齢の男性にしては十分に引き締まった腹をしているという自負はあったが、それでも「見せて」と真正面から請われてしまうと何となく怖じけてしまう。躊躇してしまう。恥ずかしいというよりは身構えてしまう。変な緊張をしてしまっていた。

「みーせーてーッ。みーせーてーッ」

「あ、ああ。まあ、腹くらいなら」

 虎呼郎は腹に力を込めて、腹筋を引き締めながらシャツの前をめくり上げた。

「んー……」と達矢は鼻先が触れてしまいそうな至近距離から、虎呼郎のかろうじて割れていた腹をじーっと見詰める。

「しょ、少年?」

 腹に力を込めたまま、虎呼郎は困惑の声を上げる。

 達矢は虎呼郎の腹を見詰めたまま、

「毛、生えてる」

 呟いた。虎呼郎は「う……」と言葉に詰まりながら顔を熱くする。

 腹に毛が生えているといっても、ほんの少しだ。モジャモジャではない。

 ヒゲや脇毛やスネ毛は人並みに生えていた虎呼郎だったが胸毛や腕毛や耳毛なんかは無いに等しく薄かった。腹、へそ、下腹部辺りも「ギャランドゥ」といった感じではなかった為、脱毛や剃毛といった処理は全くしていなかった、してこなかったからそりゃあ何本かの毛はチョロチョロと生えっ放しになっていたかもしれないが目立つようなものではなかったはずだ。目立っていれば処置をする。じーっと見詰められなければ見付からないような腹毛を指摘されてしまい、恥ずかしいやら照れるやら。

 そんな虎呼郎の心情に関しては何も察していない御様子で達矢は、

「もふもふーッ」

 今やすっかりと市民権を得てしまっていたネットスラング――もしくはオタク用語だとオジサンである虎呼郎は感じていた単語を口走っていた。何も知らない一般人が悪気も何もなくすんなりとオタク的な用語を口にしている姿を見ると、申し訳ないというか、ちょっと恐縮してしまうのは何故だろうか。

 同人誌等も虎呼郎は完全に読む専で「自分はオタクです」と胸を張って言うには、本当のオタク方に対して遠慮のような気持ちがあったが、そんな虎呼郎にして一般の方々に浸透してしまった元オタク用語に関しては「どうも。ウチのコがスミマセン」といった心境だった。

 そもそも「もふもふ」は毛深くて柔らかいものに対して使う擬音的な言葉だ。虎呼郎の腹は毛深くも柔らかくもなかった。ふんッとばかりに力を込めている今などは特にカチカチ(当社比)だ。

 ――などと明後日な事を考えて軽く現実逃避していた理由は、「もふもふーッ」の声と共に達矢が虎呼郎の腹に顔をうずめていたからであった。また細くて短い両腕はしっかりと虎呼郎の背中側に回されていた。あたかも「大好き」とばかりにホールドされてしまっていた。

 現実はこそばゆい。逃避でもしていなければ達矢の喉元辺りに強烈なカウンターを叩き込んでしまいかねなかった。そんな事になれば即、出頭である。

 達矢は鼻と口、右頬、鼻と口、左頬、鼻と口といった具合に顔を左右に振りながら虎呼郎の腹に擦り付けていた。力を込めて引き締められていた腹筋が――くすぐった過ぎる。もう駄目だ――脱力によって比較的に柔らかくなる。

 最早カチカチではなくなってしまっていた虎呼郎の腹に達矢はより強く、より深くその顔を押し付け続けていた。ぐりぐりぐりぐりぐり……。

「――だはははッ」と虎呼郎は我慢し切れずに笑ってしまった。

「あ」と達矢が声を上げる。虎呼郎の腹から少しだけ顔を離して達矢が言った。

「ごめんなさい。おじさんのお腹の毛、食べちゃった」

 ほぼ真下の角度からゴメンナサイ顔の上目遣いで「大事な毛だった?」と、口から「俺の縮れ毛」を生やした少年に窺われてしまった虎呼郎は、

「どうして急に俺の腹が見たいとか。もふもふだとか言い出したのだろうか。先日の『あーん』もそうだが。いや、大人から見た子供の行動は基本的に突飛か。いちいちどうしてと理由を聞く事は無意味なのかもしれない。三十年前、カッコ良いカタチの石を拾ってきて自室の窓枠に並べていた事や自転車にまたがってとりあえず隣町まで行ってしまったりした事に明確な訳は無かった。『少年』とはそういった生き物だ」

 ブツブツブツ……と目の前の現実を遮断するかのようにまた明々後日な事で脳内を埋め尽くそうとしていた。


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