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【6】

【前】すべてが終わったら

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 街の明かりがひとつまたひとつと灯る頃、目を覚ますざわめきがある。
 フードを目深に被った少年が行き着いた先には古い木製の扉。取っ手だけがツルツルに光っている。少年は躊躇なく扉を開き周囲を見回した。空席は殆ど無く、どのテーブルにも役目を終えた酒瓶が転がっている。
 酒は夢と現の狭間へ誘い、魅惑的な女達は一時の快楽へと誘う。酒場とは人の欲が面白いほど垣間見える場所でもあり、夜の闇に紛れて生きる者達がどこからかその姿を現す…そんな場所だ。

 少年は気になる人物を見つけては話し掛ける。しかし楽しい時間を邪魔されて不機嫌にならない者はいない。鬱陶しいと追い払われ、時に怒鳴られる。視線すらまともに合わない時も珍しくない。決して狭くはない店内で一時間ほど粘ってみたが成果はほぼゼロに近かった。

 そのうち客からのクレームが入ったのか、マスターに追い出されてしまった。辛うじて手に入った情報は股聞きの股聞き、噂話からの憶測等々頼りにならないものばかりだったが、無いよりはマシだ。
 少年はため息をつく。もし変装ではなく…そう、姿来ていたらもう少し話しが出来たのかもしれない。以前酒場で貰った『人類の英知』は今もベッドの下に収納されたまま、活躍の機会を待ち望んでいる。

 しかし女一人で酒場を彷徨くのは厄介事に巻き込まれるリスクも増えてしまう。まだ調べていない酒場は数多くあるというのに、余計なことで時間を食われるのは考えものだ。さて、どうしたものか……。


 白み始めた空。朝の鐘がなる前に戻らねば。
 馬にまたがり、城へと手綱を打ち付けた。

━━…━━…━━…━━…━━…━━…━━…━━


 城で一位二位を争う程の日当たり持つこの部屋では、ピカピカに磨かれた床の上を二匹の狼が気持ちよさそうに寝ころんでいる。
 野生に住む仲間達はこの暖炉の温かさを知ることが無いまま生涯を終えるのだろう。「気の毒な奴らだ」、カロンがそう思った……かどうかは知らないが、まどろんだ白狼の視線の先には二人の主が立っていた。

 そのうちの一人、ポルトはダーナー公が屋敷へと戻りカールトンの姿も消えた城内で、静かに胸をなで下ろしていた。いつ何が起きるかわからない、そんな緊張感は前線にいた頃を思い出させる。
 仕事の合間に仮眠をとってはいるが、目の下のクマはだんだんと濃くなっている。容姿を気にする性格でなくて良かった。

「さてここに一枚の始末書があります」

 机の上には今日も数え切れない書簡がサンドウィッチのように重ねられている。フォルカーがその中の一枚を手に取り、目の前の従者にピラリと見せた。

 頭に「?」を飛ばしている彼女の為に王子は要約して説明する。

「お前、風呂壊したのね」
「っ!!」

 まるで雷にでも討たれたような衝撃にポルトの目は光の速さで逸らされた。雨の代わりに冷や汗を流しながら。

「柱一本、脱衣所の棚が四カ所に壁六カ所、床石八個が破損欠損…と。理由は風呂場に突然現れたネズミに驚いて転び、且つ退治しようとしたから…ねぇ」
「………っ!!」

 冷や汗が止まらない。先日カールトンと戦って壊した風呂場の詳細が今彼の手に握られているのだ。やっぱりカールトンに申告させれば良かった。彼ならどんな窮地に陥ったとしても自分で何とかするだろう。

「最初はお前がまた阿呆なことやったんだなーって思ったんだけどさ…おかしくね?」
「な・何が…ですか?」
「野山で猪獲ってくるような奴が今更ネズミに驚くか?」
「っ!!」
「それにいつ誰か入ってくるかもわからねぇような使用人用の大風呂に、が入るとか…。信じられねぇんだけど」

 ポルトは何かを堪えるように固く目を閉じ顔を伏せ押し黙った。
 そしてふと思いついたように空(天井)を仰ぐ。
 押し殺したような空気が彼女の深刻さを演出した。

「広いお風呂に入りたかった……!」
「はぁ?」
「いつも洗濯用の桶だから…!汚れもの用ではなく人間用に入りたかった……!」
「俺の使えば良いじゃん、そこにあるし」

 南隣の部屋にはフォルカーの為に作られた浴室がある。大浴場というほどの規模はないが、広さはフォルカーでも両足が伸ばせるほどだ。こうした浴室は全てではないが他の部屋にも設置されている。
 排水設備は万全だし、当然ここはフォルカー以外に使う者はいない。窓を開けば城下町やその先の山々まで見渡せる絶景も楽しめる。

「王族用の浴室なんて使えませんよ!」
「お前が矢で怪我した時に身体洗ったのそこなんだけど…」
「!?」
「…………」
「わ・私の意志じゃないので…ノーカンです!」
「あ、そ。そんじゃネズミは?なんで壁が壊れるほど驚いたの」
「え」

 ネズミはネズミでも人間並みにデカくて人語を喋るやつですよ…!とは流石に言えない。

「ぁ~…ぅ~……」
「そこで考えるな」
「あ…!奴らは噛みつきます!」
「いや、今『あ…!』って言ったよね?思いついた時のやつだよね?」
「彼らの歯は大変鋭くてですね…!?
「衛兵の話じゃ、お前のいた時間にカールトンもいたんだってな」
「………………………」
「おい、どこ見てる」

 この人は一体何処まで知っているんだ……。何をどうしたらこの危機を脱することができるのだろう。
 フォルカーは悪意のある笑顔を浮かべる。

「皆が寝静まった時間にカールトンと二人、風呂場で何やってたの?」
「……………」
「従者同士、裸の付き合いとかしてたの?むしろナニを付き合わせてたの?お前達」

 ジト目で見られている。
 ちがう、アンタが考えているのよりもっと固くて尖ったやつ……。

「………」
「言えないの。あ、そう」
「…っ…っ」

 怒られるのかと思いきや、何故か彼は悲しそうに視線を落とした。

「そうか…お前もいよいよ…大人になる時が来たんだな」
「は…っ!?」

 その様はまるで娘を嫁に出す父親のようだ。

「いつかお前の帰る場所がここじゃ無くなる日が来るってわかってたが…。いざ来てみると寂しいものだな……」
「……っ」

 フォルカーはポルトに向かって「おいで」と言うように両手を広げた。

「最後にお前が帰るのはここだったろ?」
「………」
「……やっぱりもう違うのか?」

 彼の顔を見上げると、その言葉と表情に胸を締め付けられる。
 全部言えたらいいのに……。全部言えたら彼にこんな顔をさせることも無かったはずだ。もどかしさと罪悪感にかられた心が彼につま先を向けさせ、数歩踏み出させる。

 ――ふと頭上の笑顔が変わった。

  見上げる彼の口角は上がったまま、しかし目は全然笑ってない。
 迎えるように広げられていた手はひゅんと吹いた風に舞う葉のように翻り、腰に当てられた。

「なーんてな!」
「っ」
「人に言えないようなことをする悪い子は帰ってこなくてよろしい!」

 ポルトは踏み出した状態のまま、眉ひとつ動かせずに固まっている。

「悪いことしてるから言えねーんだろ?それならちゃんと話して謝りなさい。だいたい、俺とお前の仲だぞ?今更そこまでして隠すようなこともねぇだろ」
「――――……」
「ったく、お前ってヤツは…。結局尻を叩いてやらねぇと駄目っつーかなんつーか……」
「………」
「ん?」
「―――……」

 ポルトの足が一歩下がる。視線がゆっくりと床に落ち、胸の内が滲み出たかのように首を横に振り唇を噛んだ。

「……あれ?」

 くたびれたサーコートの裾をぎゅっと握り一度頭を下げ……


「ッ!」

 「嘘ッ!ごめんッ!!」と王子が血相を変えたのと、ポルトが全力の早足で扉へ向かったのはほぼ同時。

「嘘嘘嘘ッ!ごめんって!」

 半ば冗談で言ったつもりが予想以上の反応。
 細い手首を掴み顔を覗くと今にも泣きそうな顔をしたポルトが何かを堪えるように耳を真っ赤にしている。ぎっとフォルカーを睨み付けた。

「殿下だって人に言えないことばっかりしてたくせに…!そんな人に言われたくない!」
「そ・それは……!ってか、別に変なこと言っちゃいねーし!そんなに怒ることねーだろ!」
「どうせ私なんて何したって…どうしたって良い子になんてなれないもん!別にいいもん!!殿下のバーカ!!」
「なぬ!?」

 ドンと身体を突き飛ばしポルトは扉を開く。入り口で見張りをしていたローガンが目を丸くした。

「ポルト?どうし……」

 言葉を最後まで聞くこともなく、ポルトは廊下を走り出す。

「そいつを捕まえろ!!」
「!?」

 近衛兵が反応し、ローガンの足も鞭を入れられた馬のように動いた。いつもの痴話喧嘩なのだろうか?でもそれくらいでポルトがあんな顔になるものなのか…?
 角でメイドとぶつかった所でモリトール卿に首根っこを掴まれたポルト。引きずられるように部屋の前まで帰ってきた。

「職務放棄とは良い身分だな。せめて離職申請を出してからにしろ」
「……っ」

 放り出すかのように手を離すと、その様を部屋から見ていた狼達が低い声をあげた。床石を一蹴りし、ポルトとモリトール卿の間に入ったシーザーが姿勢を低く保つ。唸り声をあげながら耳を下げ白い牙を剥きだした。その間にカロンがポルトの服を噛み室内へと引きずるように引っ張っていく。

「……」

 黒狼を見下げるモリトール卿。言葉をかけることすら億劫だとでも言うように剣に手を置く。

「待て、シーザー!」

 フォルカーの声で辛うじて止まってはいるが、シーザーとモリトール卿のにらみ合いは終わらない。今にも一戦交えそうな緊張感が空気を奮わせた。


「団長、お下がりを」
「?」
「ここは俺が」

 ローガンがモリトール卿を下がらせシーザーの視界に入らないようにする。狼の前に片膝をつくように座ると、腰に下げてあるポーチから取りだしたのは小さな茶色の塊。
 黒い鼻先少し離した先で二三度匂いをかがせ、床の上に置くと「よし!」と声をかけた。
 しかしシーザーは見向きもしない。モリトール卿の去った後を睨みつけている。

「シーザー、もう大丈夫だ」
「――――ゥ…ッ」
「シーザー、もう大丈夫だ。お前は主人を守ったんだなぁ、本当に偉いぞぉっ!おやつは後でもっといーっぱいあげるからな?心配ならポルトの所へ行って顔を舐めておあげ」

 見慣れた顔にシーザーは唸り声を小さくした。
 ローガンはおやつをくれるし、主人であるポルトと仲良くしている姿をよく見ている。狼的には『好き』な人物ではないのだろうが、喧嘩をして良い相手かどうかシーザーは迷っているようだ。

「シーザー!!伏せッ!!」

 聞き慣れた声に反射的に従う黒狼。その間にフォルカーが首輪を掴んだ。
 見上げた金色の瞳がフォルカーのしかめっ面を映す。尻尾が内側にくるんと丸まった。どこか申し訳なさそうにしているシーザーを王子は両手でもみくちゃに撫でてやり、「良くやった」と何度も褒めてやる。
 ポルトを守ろうとし、そして主の命令に従ったその額に何度もキスを落とした。労うように身体を軽く叩くと下がっていた尻尾が上がり左右に大きく揺れる。 

「これは何だ?」
「いつ猟のお供に出ても良いように(本当はいつワンコに出会っても良いように)、量は多くないですが常備しております」
「ふーん。お前、変なもん持ってるな」

 フォルカーが肉を拾って黒い鼻先に持っていくと、今度は警戒もなく一口で食べた。まだ足りないとでも言うようにフンフンと匂いをかいでは指先を舐める。

「シーザーっ」

 部屋の奥でポルトが両手を広げる。大好きなフォルカーに沢山褒められ、おやつまでもらったシーザーはご機嫌な様子で戻っていった。

「アレクシス、すまんな。余計な仕事をさせた」

 騒ぎが収まり、隣の部屋から出てきたのはモリトール卿だ。

「恐れながら殿下、貴方は問題要素の多いものを側に置きすぎているのでは?」
「俺は賑やかな方が好きなんだよ。その分部下が優秀だから大丈夫だって」

 そう言って口角を上げる王子にモリトール卿のため息が落ちた。

「ローガン、お前もご苦労だった」
「いえ、とんでもありません」

 背をかがめたフォルカーが「あとな」と声を落とす。

「テーブル埋めるくらいの甘いもん、持ってこい」
「……は?」
「あとミートパイだ。蜂蜜ミルクも忘れるな。温かいやつだぞ」

 部屋の奥では意気消沈気味のポルトが狼に抱きついたまま身体を小さくしている。そういえばこっちの解決はまだだった。
 少し罰の悪そうな王子の表情にローガンは目尻を下げる。 

「はい、直ちに」
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