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サヨナラの終わり その40
しおりを挟むもう何度目だろう、キャンパスは新しい大学生であふれていた。
僕は少し気恥ずかしい思いをして三度目の二年生としての受講科目を申請した。
ニューパラダイスのバイトは、大学生活を中心とするためには時間的なことと体力的なことで継続は不可能だった。
二月の下旬に「大変お世話になりながら申し訳ないのですが、このままだと大学を八年かかっても卒業できそうにないので、今月末で辞めたいのです」と申し出た。
豆狸は「大学が大事や。田舎のご両親のためにもちゃんと卒業せなアカン」と逆に少し説教を食らい、すんなりと了承を得た。いよいよ今夜がバイトの最後という日、帰りの送迎マイクロバスの中でミチが僕の隣の席に座った。
「今日で最後だって?」
「そうだよ」
「なぜもっと早く教えてくれなかったの?」
ミチは僕の腕を自分の胸に押し付けながら言った。
昨年の暮れに一度関係を持ってから、彼女は僕のために前よりもさらに客からチップを要求してくれたし、帰りのマイクロバスの中でもときどき僕の横に座って、他の従業員に分からないようにキスをしてきた。
「急に決めたんだ、このままだと大学を卒業できないからね。大学に戻るんだよ」
ミチはしばらく黙っていたが思いついたように僕の手を握って、耳元で「一緒に降りて」とささやいた。
僕はミチには種類の異なった好意を持っていた。
なんと表現すれば良いのだろう、決して同情ではなく、いわば戦友或いは同郷のよしみといったものに近い不思議な気持を抱いていた。それは心に抱くには気持ちの良い感情だった。
マイクロバスが北白川通りに入って、彼女のアパートが近づいてきた。
僕は「今夜は泊めてくれるかな?」とミチに言った。彼女は唇を広げて笑い、そして僕の手を引いてバスを降りた。
優里や江美と別れてから僕はミチと一度関係を持ったきり、すっかり女性との接触はなかった。
様々なことをすべて振り返り、反省や後悔を続けていると、女性への肉体的な欲望は起きなかった。
例えば不特定な女性と交渉を持ったとして、そんな方法で混乱した気持を鎮めることなど不可能だった。
言い換えれば、身体にどっかりと落ち着かない迷い心が居座っている間は、性欲が入り込んでくる隙間はなかった。
ミチはストレートな女性で、覆い隠すことのない彼女からの好意を僕は日ごろから悪くは思っていなかった。
マイクロバスを降りてミチのアパートへ行く途中で、彼女は欲望を我慢できなかったのか、僕の手を引いて小さな公園へ入っていった。
鉄棒やジャングルジムが並んでいる奥に大きな木があり、そのうしろが陰になっていた。
ミチはバッグを投げ捨てるように置いていきなり抱きついてきた。
ルージュで濡れた唇が僕の唇に重ねられた。少しウイスキーの匂いがする吐息が僕の鼻にかかった。
でもそれは官能的な悪くない匂いだった。
風俗の世界にいる女だが、男が「やすらぎ」だけを求めるならミチのような女は最適だと思った。
僕に大学という目的がなければ同居しても良い素敵な女だった。
それがミチとの最後の夜のことだった。僕はニューパラダイスを辞めたが、京都から離れることができなかった。
毎年四月の造幣局の通り抜けが終わると、次の繁忙期である夏祭りまでテキ屋の仕事も一段落する。
地方から関西へ出てきているテキ屋衆のなかにも一時故郷へ帰るものが多い。
僕も大学へ戻り、受講申請している講義を一つも漏らさず受けた。
法学部なので当たり前のように法律に関する科目が多いが、いずれもその歴史や概論で実際的なものではなく、講義は退屈だった。でも、もうこれ以上は落第できないので単位のためだけに受けた。
優里からの返事はずっと届かなかった。別れてからもう七ヶ月も経っていた。
付き合っているころにこれくらいの期間会わなかったこともあったが、そのころは手紙が週に一度は届いていた。
アパートの段ボール箱の中ある百通以上の手紙だけが寂しく残った。
それらを読み返してみると、まるで懐かしい歌が聴こえてきたときのように、そのころの情景が浮かび上がってきた。
優里への思いがつのるばかりだった。
四月下旬のある夜、僕は優里の寮へ思い切って電話をかけた。
電話をかけるまでにアパートの中の敷地を何周も歩き回り、外へ出て住宅街を一周して帰ってきて、ようやく公衆電話のダイヤルに指が届いた。
時刻は午後十時を過ぎていた。何度かのコールのあと優里ではない女性が電話に出た。
「夜遅くにすみません。小野寺といいますが、長峰優里さんはいらっしゃいますか?」
女性は少しお待ちくださいと言った。
電話の向こうでドアを叩く音と話し声が聞こえた。
紡績工場の面会室で初めて優里と会ったときのように、心臓がガンガンと銅鑼の鐘のように鳴った。
「はい、長峰です」
「夜遅くにごめん。どうしても少しだけでも話をしたくて電話してみたんだ」
優里はしばらく黙っていた。そして「手紙の返事を書かなくてごめんなさい」と言った。
僕は涙が出そうになった。
「書かなかったのじゃないのよ、本当は何度も返事を書いたの。でも出せなかったの。ごめんなさい」
「優里・・・」
僕は涙で言葉が詰まった。
しばらく沈黙が続いた。そして優里は「電話してくれてありがとう。でも今夜は話せないわ、ごめんなさい」と言った。
「優里、会いに行ったらだめかな?会いたいんだ、勝手なことばかり言っているのは分かってる。でも・・・」
「ごめんなさい、手紙・・・書くから。電話・・・ありがとう」
優里も涙声だった。
「じゃあ、おやすみなさい」と言って優里は電話を切った。僕はしばらく受話器を握ったまま動けなかった。
会いたいと伝えた僕の言葉に対しての返答は得られなかったが、ほんの少しでも優里と話せたことが嬉しかった。
部屋に戻り、ベッドにもぐりこんでからもずっと優里のことを考え続けた。
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