大罪人の娘・前編

いずもカリーシ

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第弐章 戦国乱世、お金の章

第十八節 天才に勝利できる唯一の方法

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戦いの『天才』・北畠顕家きたばたけあきいえ

二度も大敗をきっした最強の敵に対して、幕府軍はなりふり構わない物量作戦で対応することに決める。
どれだけ犠牲が出ようが次々と新手を送り込んで顕家あきいえ率いる奥州おうしゅう軍の兵力を確実にいでいくのだ。

「顕家を討てば大金が手に入るぞ!」
欲に釣られてあらゆる場所から人々がいて出た。
奥州軍と幕府軍との兵力差は、もう絶望的に開いてしまっている。

ある『作戦』に最後の望みを託した顕家。
全軍を男山おとこやま[現在の京都府八幡市]に布陣させた。

男山は、京の都の目と鼻の先にある。
奥州軍が京の都の攻略を狙って布陣したことは明らかであり、幕府は数倍もの大軍を配置して備えた。

ところが!
しばらくすると……
幕府軍の大将たちから次々と悲鳴が上がり始めた。

「まずい!
このままでは軍が崩壊してしまう!」


一体何が起こっていたのだろうか?

 ◇

これより少し前のこと。

幕府軍の総大将を務めていたのは、名前を高師直こうのもろなおと言ういくさの『玄人くろうと』であった。
後醍醐天皇ごだいごてんのう側で戦った2人の名将・新田義貞にったよしさだ楠木正成くすのきまさしげ湊川みなとがわの戦いで既に撃破していた。

男山にいる奥州軍が京の都を目指す場合、複数の経路がある。
どの経路を封鎖するかで悩むところではあるが……
幕府軍が圧倒的な兵数を誇っている以上、全ての経路を封鎖するように軍勢を配置するのが最も『常識』的な作戦だろう。

ところが!
師直もろなおは、平然とその常識を無視した。
最短距離の経路のみに全軍を集結させ、他の道には偵察兵ていさつへいだけを起いて、どうぞ通ってくださいと言わんばかりの露骨な配置を行う。

非常識な命令にあきれ返った幕府軍の大将たちは、師直もろなおに迫った。
「なぜここに全軍を?
奥州軍が他の道を通ったら終わりではござらぬか」

師直の答えは淡々たんたんとしていた。
「そうなれば我らの勝ちじゃ」

大将たちは全く理解できない。
「は?
なぜ勝ちと?」

「奥州軍の強みは、圧倒的な『早さ』にある。
遠回りした時点でその強みは消えよう。
山という有利な地形を捨て、しかも早さのない奥州軍ならば……
恐れる必要はない。
追撃して無防備な背後を突くだけのこと」

「そうだとしても。
これは『非常識』な守り方では?」

「顕家を甘く見るな!


「は?
なぜ負けと?」

各個撃破戦法かっこげきはせんぽうの餌食となるではないか」
「そんな馬鹿な。
奥州軍が攻めてくれば、直ちに分散した兵を集めて挟み撃ちにすれば良い。
むしろ包囲殲滅ほういせんめつの好機であろう」

「顕家を甘く見るな!
兵が集まる前に必ず撃破されるわ。
凡人ぼんじん』の常識が、天才に通用するわけがない」

師直もろなおの言い方に、大将たちも腹を立てたようだ。
「随分と顕家を贔屓ひいきにしているようだが。
幕府軍の総大将ともあろう御方が、味方よりも敵を高く評価するとは……
利敵行為りてきこうい』ではないか?」

「素人に毛が生えた程度の奴に、利敵行為の意味が分かるとでも?
笑わせるな。
我ら幕府軍は兵数だけは圧倒的だが、所詮は大名の寄せ集めではないか。
大名は『恩賞』が目当てで軍勢を出しているのであろう?」

「……」
「それとも。
幕府のために命懸いのちがけで戦う覚悟があると?」

「……」
「これが幕府軍の実態よ。
一方の奥州軍は、顕家の『こころざし』に共感する者ばかりであるらしい」

「……」


「聞き捨てなりませんな。
我ら大名の軍勢が、奥州の軍勢より劣っているとでも?」

「ああ、はるかに劣っているわ。
美濃国みののくにで惨敗したのもそのせいであろう。
どの大名も奥州軍の早さを分かっていたにも関わらず!
勝てそうな場面でいくさに加わろうとする薄汚い大名どもは、『意図的』に到着を遅らせていた。
?」

「……」
「奥州軍よりはるかに劣っている事実に、ようやく気付いたか。
あれだけ多くの兵を死なせて何の教訓も得ていないとは……
うぬら凡人ぼんじんが顕家と百回戦っても、一回も勝てないだろうな」

「……」
「話は終わった。
わしの命令に従いたくないのなら国元くにもとへ帰られよ。
幕府への謀反と見て、後で討伐するまでのこと。
首を洗って待っているがいい」

こうして幕府軍は一つに固まった。

 ◇

顕家は、得意の各個撃破戦法を封じ込まれたことになる。

高師直こうのもろなお……
やるではないか。
よくぞ大名の寄せ集めを一つに固めたものよ。
だが、これで決定的な『弱点』をさらけ出したことになるぞ」

幕府軍を見下ろしていた顕家は一言こうつぶやく。
その後、奥州軍は何日経っても男山から微動だにしなくなった。

「『動かざるごと山のごとし』
か。
顕家……
相変わらず見事よのう。
敵でありながら、これほど惹かれる将は他にはおらん。
おぬしは一体、何を狙っている?」
師直もろなおは男山を見上げてはつぶやいていた。

数日経って、師直はようやく気付く。
こう叫んだ。

「し、しまった……
顕家にしてやられた!
!」

周りにいた者たちは、師直の言葉にただただ驚いている。
「顕家が軍を置き去りにして消えたと?
そんな非常識なことは有り得ません。
男山は重要な拠点ではありませんか」

おのれが有り得ないと思っても、他の者が全て同じように思うと決めてかからぬことじゃ。
そういう独りよがりの者が敵の罠に引っ掛かるのだぞ?」

「……」
「敵の身になって考えよ。
顕家の目的はなんじゃ?
男山を守ることか?」

「いえ……
京の都を攻略することにございます」

「顕家が京の都を攻略するには、我らの軍勢を突破せねばならん。
しかし、我らは大軍で一つに固まっている。
少数の奥州軍が攻めても突破など不可能に決まっている」

「援軍を待っているのでは?」
「わしも最初はそう考えたが……
援軍を待つなど、顕家らしくない」

「顕家らしくない?」
「わしはずっと顕家のことを考えていた。
だからこそ、分かるのじゃ。
あの男ならば……
必ず我らの『弱点』を突こうとするだろう、とな」

「我らの弱点?
大軍で一つに固まり、隙などありませんが」

「いや、決定的な弱点がある!
急ぎ兵糧ひょうろうの補給を担当している者を呼べっ」

大軍を養うには、莫大ばくだいな食糧がいる。
大軍であるほど補給が断たれたときは致命傷だ。


大軍の持つ決定的な弱点、それは補給が『生命線』となることだ。

 ◇

担当者はすぐに駆け付けた。

「実は数日前より……
兵糧の補給が断たれているとの情報が、相次いで届いております」

「やはりそうか!」
「補給のために応援を送っても、連絡すら取れなくなってしまうのだとか」

「送ってもすぐに討たれているのだろう。
あまりにも手際が良すぎる」

「も、もしや……
顕家が自ら兵を率いて襲っていると?」

河内国かわちのくに和泉国いずみのくに[合わせて現在の大阪府]に多数の偵察兵ていさつへいを放て。
急げっ!」

奥州軍に関東を荒らされた幕府軍は、その補給を西日本に頼っている。
補給物資を積んだ船は瀬戸内海から大阪湾を通って淀川よどがわ大和川やまとがわを上り、河内国と和泉国へと至っていた。

師直もろなおは、船から補給物資を降ろす『拠点』が片っ端から狙われていると予想した。

 ◇

予想は見事に的中する。

偵察兵からの報告によると……
船から補給物資を降ろす拠点が片っ端から破壊され、あちこちに補給部隊の兵士の死体が転がっていたらしい。
かろうじて生き残った兵士に聞くと、こう報告したという。

「風のように現れ、風のように消えていくのです」
「林のように静かで、全く気付きませんでした」
「火のような勢いで、あまりに恐ろしく……」

「早きこと風のごとし、静かなること林の如し、攻めること火の如し、動かざること山の如し」
武田信玄の軍旗で有名な風林火山であるが……
もっと前に軍旗にしたのが、北畠顕家である。

顕家の狙いに確信を抱いた師直もろなおは、ある『作戦』を立てた。


1338年5月22日。
石津いしづという拠点が顕家に襲撃される。

そこへ偶然、師直率いる幕府軍が突っ込んできた。
顕家は奮戦するも運悪く重傷を負ってしまう。
後醍醐天皇が最も期待を寄せた天才も、わずか21歳で死んだ。

師直のような玄人くろうとによる辛抱強い作戦こそが……
天才に勝利できる『唯一』の方法なのかもしれない。


【次節予告 第十九節 正しいか間違いかの区別ができない者たち】
明智光秀はこう言います。
「読み書きを学ぶことをおこたり、正しいか間違いかの区別ができない大人になれば……
同類の友しかできず、他人から利用され、操られ、結果として損な人生を送ることとなろう」
と。
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