愛屋及烏の褥

石田空

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空っぽの後宮

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 やがて馬車は城に停まり、降りたアンジェリカは、侍女と共に騎士に連れられていった。
 本来ならばいくら敵国とはいえど姫君の婚姻だ。形だけでも歓迎ムードだろうが、今は戦争の空気が漂っているせいで、本当に警備以外の人員を入れてないようだった。

「このたびはご結婚誠におめでとうございます。殿下も歓迎しておりますよ」
「そうですか」

 どう見ても歓迎ムードではない閑散とした状況に、アンジェリカは辟易とした。
 やがて城内を通り過ぎ、その奥へと通る。
 獅子皇国は代々一夫多妻制であり、婚姻したあとは後宮に入れられる。アンジェリカが初婚のはずだが、いずれ他の婚姻がまとまれば貴族令嬢なり他国の姫なりが後宮を埋めていくのだろう。
 そう思いながら、騎士に連れられた先を見て、思わずアンジェリカは「……え?」と声を上げた。
 彼女の想像していた後宮は、侍女やメイドがたくさんいて、上から下まで女性の、もっと煌びやかな場所を想定していたが。そこはメイドはかろうじていて、掃除をしているものの、それ以外に人がいなかった。

「これはどういうことですか? たしかに姫様と殿下は初婚とはお伺いしましたが……いくらなんでも人が少な過ぎなくありませんか!?」

 たまりかねて、アンジェリカの侍女であるユールが声を荒げた。
 それに騎士が「落ち着いてください」と返した。

「殿下のご意向ですよ。白狼王国は一夫一妻制とお伺いしておりますから、できる限り皇太子妃の気を害さないようにと、今の時点では殿下も皇太子妃様以外の妃を取る気はございません」
「ですけど! 使用人がこれだけ少なくては……!」
「これも殿下のご意向ですよ。殿下はよく白狼王国のことをご見聞なさっていましたから。いくら停戦中とはいえど、他国の使用人たちに傅かれては皇太子妃様もお寛ぎすることすら困難でしょうと。婚儀はもうしばらくしたら執り行いますが、まずはひと晩お休みくださいませ」
「本当に信用してよろしいんですね?」
「こればかりは、自分も殿下を信用してくださいとしかお伝えできません」

 そうきっぱりと言い切られ、最後に「ここが皇太子妃様の暮らす部屋になります」と広い部屋に通された。
 空のよく見える庭があり、そこにはバターカップ、ワスレナグサ、スズランと、白夜の頃に咲く花が咲き誇っていた。

「ここでお待ちくださいませ。今晩、殿下のご挨拶がございますから。その前の食事も出しますので、お楽しみくださいませ」
「……ありがとう」

 それだけ告げると、騎士は立ち去っていった。
 閑散としている部屋で、アンジェリカはユールとふたりだけ。ユールはその中で、懐からトネリコの杖を取り出すと、防音結界を施した。
 ユールはアンジェリカの侍女という名目で彼女に同行しただけで、本来は魔術師団所属の魔術師である。彼女が後宮を乗っ取る手伝いをするべく上からの命令により同行したのだが、ここまで人がいないことは想定していなかったのである。

「どうなさいますか、姫様。これだけ人払いが済まされているのは、もう我々の計画がどこからか漏れた可能性がございます」
「でも……皇太子は今晩ここに来る。ただの挨拶だとは思えないわ」
「ええ……おそらくは、初夜、でしょうねえ……」

 騎士はあれだけ皇太子をいいように言ってはいたが、信用ならなかった。
 そもそも長年に渡って戦ってきた白狼王国を孤立させ、白旗を上げさせたのは獅子皇国なのである。指揮官が皇帝なのか騎士団長なのかまでは、さすがにアンジェリカも聞いてはいないが。それまで受けた屈辱を忘れたことはなかった。
 アンジェリカはアルファであり、彼を屈服させるために派遣された訳だが。彼女がいかに強いアルファであったとしても、力の上では獅子皇国の人間に白狼王国の人間が勝てないことは既にわかっている。
 だからこそ、確実に彼の性を強制的に変えるための罠を仕掛けなければいけなかった。
 ユールは杖をくるくると回し、マナを編み上げる。

「一応姫様のアルファとしての圧迫感を強くするための術式は敷きました。あと、念のために彼が夜に閨事に訪れた際に誘えるよう、飲み物にも媚薬を仕込んでおきましょう」
「ええ……」

 ユールがせっせとまだ顔を合わせてもいない皇太子のために、屈服させるための秘策を講じているのを、アンジェリカは申し訳なく思って見つめていた。

(ユールにひどいことをしているわね、私は……私は……皇太子を殺すためにここまで来たんだもの。このことはユールにもバレてはいけないわ)

 アンジェリカは長い銀髪の中に、短剣を混ぜて持ち込んでいた。幸いにもユールが彼のための飲み物に薬を盛ってくれ、アンジェリカのアルファの圧迫感にも細工を施してくれているのだから、さすがの屈強な獅子皇国の人間も一瞬だけでも身動きは取れなくなるはず。
 問題は、アンジェリカが屈強な獅子皇国の人間の心臓を貫けるのかということだ。

(でも……あれは殺さないと駄目だわ。そのために私はここまで来たんだもの)

 アンジェリカは爛々とした瞳をして、ユールの閨事の準備を見守っていた。

****

 食事の時間になり、そこでようやくメイドたちが食事を運んできてくれた。

「お口に合うとよろしいのですが……」

 サケのマリネはハーブのいい香りがし、ミートボールにも味わい深いスパイスが使われていた。ビーツのサラダもおいしく、獅子皇国と白狼王国にも、食文化だけはそこまで遜色がなかったのかと思いながら全てを平らげた。
 最後に獅子皇国産の強い酒が食後酒として進められたが、さすがに断った。

「殿下が後々お越しくださいますのに、ひどい姿は見せられませんから。その代わり、酒を殿下と一緒に飲めるようにしていただけないでしょうか?」
「それはかまいませんが……よろしいのですか?」
「はい、今は結構です」

 メイドは困った顔で酒を残して帰っていったが、その酒をユールは嗅いえ顔をしかめた。

「この酒……強過ぎます。初夜を迎える妻に飲ませていい強さではございません」
「やっぱり信用されてないってことね」
「逆に言ってしまえば、閨事で屈服させてしまえばいいと、下に見ているということです。いい機会ですから思い知らせてやりましょう」

 そう言いながらユールは、酒に手早く杖を突きつけると、マナを編みはじめた。
 あれだけ鼻を突き刺すほどに強かった酒の激臭が、柔らかくかぐわしい花の匂いに姿を変えた。

「晩酌として飲むのに、匂いが変わり過ぎやしない?」
「かまいませんよ。どうせ姫様が屈服させる相手ですから。匂いの善し悪しで警戒しないでしょう」
「どうかしらね。これだけ警戒しているのがわかっているのに、策もなしにこちらにやってくるのかしら」

 アンジェリカはできる限り皇太子は卑劣であれと祈った。
 顔の美醜はどうでもいい。卑劣で卑怯で傲慢で、どうか一瞬たりとも気の置けない相手であらぬことをと祈っていた。
 今の時点でアンジェリカにとって、一度も顔を合わせていない婚約者のことは充分嫌いであったが、もっと憎悪を向けさせてくれる相手であれと祈った。
 殺さないといけない相手なのだから、ひとかけらでも彼に心を寄せたくはなかった。
 どれだけ面が醜くても、心の綺麗な善良な人は殺しにくい。どれだけ見目が美しくても、愚かで醜悪な人であったのならば平気で刃を突きつけられる。
 どうか、アンジェリカにとって醜く愚かな人でありますようにと、ユールの奮闘を申し訳なく思いながらも、彼女は祈らずにはいられなかった。
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