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――何はともあれ。
あれで黙らせたと思うようじゃ皐ちゃんもまだまだね。こんなに材料があるのに、黙って見過ごすようなあたしじゃありません。
十時過ぎ。練習を終えた皐たちが帰ったのを見計らって、真っ暗な店に忍び込んだ。邪魔な姉はふたりへ閉店を任せて彼氏と飲みに出かけていたので、店内にはもう誰も居ない。
落ち込んでいるのは性に合わないので、行動あるのみだ。
店内の灯りを煌々と点し、鼻歌でテンションを上げて捜索を開始。いつもはるひに追い出されるのであまり詳しくはないが、染毛剤のある場所はすぐに分かった。
「多分……これかな?」
ファイルされてあった説明書を読みながら液を用意し、制服の上に白いケープを羽織り鏡の前に座った。
樹里さんの色は鮮やかすぎるので一度脱色しないといけない。今まで一切染めたことのないひなたは恐る恐るブリーチに取りかかる。
ふと、皐が真っ白の頭だった日のことを思い出した。
折しもその日はクリスマス。皐はサンタの格好をしてひなたの前に現れたのだ。
「メリークリスマス、ひな!」
小学生だったひなたが喜んだのは、サンタが来たからだけではなかった。
その当時の天野美容室は、一席ではなく五席はあった。従業員は両親だけ。忙しかったため、クリスマスをまともに過ごしたことがなかったひなたは、はるひに頼まれたとはいえ、一緒に過ごしてくれる皐の存在と優しさが嬉しかった。
思えば、あの頃からひなたにとって皐は特別な存在だった。
高校を卒業して東京へ行ってしまった皐は、五年経った去年の夏、再び両親の代わりにサンタをしに戻ってきた。今度ははさみを片手に携えたサンタだ。
皐の知り合いだという樹里が店に見習いとして来るまでは、五つ離れた兄として慕っているだけだったというのに。
彼が樹里を特別扱いしていると気がついてしまってから、ひなたは前のように対処できなくなってしまった。自分が嫉妬していることにも。
嫌な子になりたくないもの。
だから考えた。
カーマインレッドは目的なんかじゃない。手段。
樹里さんを拒絶する方向じゃなく、あたしが樹里さんみたいになって皐ちゃんに好いて貰えるように。これは自己改革の第一歩なの。
皐ちゃんが好きな、大人な樹里さんになりたいの。
「ひっなちゃん」
不意にかけられた呼びかけに驚いて、全身は一気に硬直する。あわてて立ち上がって、椅子を引き倒してしまった。
「……は、はい?」
「してあげよっか、髪」
振り返ると、帰ったはずの樹里が立っていた。彼女はいつもの笑顔ではなく、若干引きつった何ともいえない表情を浮かべている。
「お弁当箱の忘れ物しちゃったから取りに戻ったんだけど、灯りが点いてるんだもの。店長かと思ったらひなちゃんじゃない。しかもまだらにしちゃってるし。まぁ、私が治してあげるから安心して」
「え、まだら?」
鏡の中のひなたは、三毛猫のような状態になっていた。白のような金のような灰色のような髪は目指す理想像とあまりにも違って、言葉を失う。
どうしよう、これじゃあ皐ちゃんに呆れられちゃう。
だが、僅かな自尊心が首を振らせる。
「い、いいです。あたし自分で」
「駄目よ、こんなじゃ外も歩けないでしょ。それに髪が傷むんだから。ちゃんとプロに任せなさい。……といっても見習いの私だけどね」
彼女は有無を言わせず、ひなたを椅子にくくりつけた。
「それに私の色を真似たいっての、ちょっと嬉しいじゃない?」
あなたが好きだからそう言ったんじゃないのに。
準備をする樹里に真実を告げることができずに、ひなたはただ任せるままになった。
樹里ははっきりとした顔立ちの美人だ。背もあるので、皐と並ぶと絵になる。いつも皐の後ろで補佐的に動いてはいるが、詳しい技術の分からないひなたが見てもてきぱきと仕事をしていて有能だと思う。
皐が樹里を好きになるのも当たり前。
鏡に映る彼女を見れば見るほど、自分の子供な部分が際だって嫌になる。
ひなたのひなは雛鳥のひな。大人な皐には釣り合わないんだと突きつけられているみたいで。
「さあ、魔法をかけてあげるからね」
彼女の優しい手がひなたの髪を変えていく。
ねえ、本当に魔法をかけてくれるの? あたしを見て皐ちゃんも驚くくらい?
ひなたは皐が言うはずもない歯の浮くようなセリフを想像して苦笑した。
しばらくされるがままになっていたひなただったが、ビニール手袋の中から煌めく光に気がついて声を上げた。
……指輪? でもこの場所って。
「樹里さん、け、結婚してたの?」
「え? ああ、指輪? 帰るところだったから付けたままだったのね」
樹里は照れながら、左手を掲げた。
開いた口が塞がらないひなたに気がつく様子もなく、樹里は手を動かしながら話し始める。
「そうね、もう三年になるかな。皐先輩の友達なんだけど。高校卒業してすぐ結婚したの」
聞けば、一緒に働くことになったのもそもそもその友達からの紹介だったそうだ。
「皐先輩って、東京の最前線で働いていたじゃない? 私も上京したかったんだけど、結婚しちゃったからここを出るに出られなくって。天野さんにお世話になるようになってからは、先輩がいつも細かい点とかも指導してくれるから技術面で凄く助かってるのよ」
そんな彼女の言葉も耳を通過していくだけ。
つまり、皐ちゃんは最初から振られてるの? それどころか友達の奥さんに横恋慕してるってこと?
あたしにも少しはチャンスがあるってこと?
あれで黙らせたと思うようじゃ皐ちゃんもまだまだね。こんなに材料があるのに、黙って見過ごすようなあたしじゃありません。
十時過ぎ。練習を終えた皐たちが帰ったのを見計らって、真っ暗な店に忍び込んだ。邪魔な姉はふたりへ閉店を任せて彼氏と飲みに出かけていたので、店内にはもう誰も居ない。
落ち込んでいるのは性に合わないので、行動あるのみだ。
店内の灯りを煌々と点し、鼻歌でテンションを上げて捜索を開始。いつもはるひに追い出されるのであまり詳しくはないが、染毛剤のある場所はすぐに分かった。
「多分……これかな?」
ファイルされてあった説明書を読みながら液を用意し、制服の上に白いケープを羽織り鏡の前に座った。
樹里さんの色は鮮やかすぎるので一度脱色しないといけない。今まで一切染めたことのないひなたは恐る恐るブリーチに取りかかる。
ふと、皐が真っ白の頭だった日のことを思い出した。
折しもその日はクリスマス。皐はサンタの格好をしてひなたの前に現れたのだ。
「メリークリスマス、ひな!」
小学生だったひなたが喜んだのは、サンタが来たからだけではなかった。
その当時の天野美容室は、一席ではなく五席はあった。従業員は両親だけ。忙しかったため、クリスマスをまともに過ごしたことがなかったひなたは、はるひに頼まれたとはいえ、一緒に過ごしてくれる皐の存在と優しさが嬉しかった。
思えば、あの頃からひなたにとって皐は特別な存在だった。
高校を卒業して東京へ行ってしまった皐は、五年経った去年の夏、再び両親の代わりにサンタをしに戻ってきた。今度ははさみを片手に携えたサンタだ。
皐の知り合いだという樹里が店に見習いとして来るまでは、五つ離れた兄として慕っているだけだったというのに。
彼が樹里を特別扱いしていると気がついてしまってから、ひなたは前のように対処できなくなってしまった。自分が嫉妬していることにも。
嫌な子になりたくないもの。
だから考えた。
カーマインレッドは目的なんかじゃない。手段。
樹里さんを拒絶する方向じゃなく、あたしが樹里さんみたいになって皐ちゃんに好いて貰えるように。これは自己改革の第一歩なの。
皐ちゃんが好きな、大人な樹里さんになりたいの。
「ひっなちゃん」
不意にかけられた呼びかけに驚いて、全身は一気に硬直する。あわてて立ち上がって、椅子を引き倒してしまった。
「……は、はい?」
「してあげよっか、髪」
振り返ると、帰ったはずの樹里が立っていた。彼女はいつもの笑顔ではなく、若干引きつった何ともいえない表情を浮かべている。
「お弁当箱の忘れ物しちゃったから取りに戻ったんだけど、灯りが点いてるんだもの。店長かと思ったらひなちゃんじゃない。しかもまだらにしちゃってるし。まぁ、私が治してあげるから安心して」
「え、まだら?」
鏡の中のひなたは、三毛猫のような状態になっていた。白のような金のような灰色のような髪は目指す理想像とあまりにも違って、言葉を失う。
どうしよう、これじゃあ皐ちゃんに呆れられちゃう。
だが、僅かな自尊心が首を振らせる。
「い、いいです。あたし自分で」
「駄目よ、こんなじゃ外も歩けないでしょ。それに髪が傷むんだから。ちゃんとプロに任せなさい。……といっても見習いの私だけどね」
彼女は有無を言わせず、ひなたを椅子にくくりつけた。
「それに私の色を真似たいっての、ちょっと嬉しいじゃない?」
あなたが好きだからそう言ったんじゃないのに。
準備をする樹里に真実を告げることができずに、ひなたはただ任せるままになった。
樹里ははっきりとした顔立ちの美人だ。背もあるので、皐と並ぶと絵になる。いつも皐の後ろで補佐的に動いてはいるが、詳しい技術の分からないひなたが見てもてきぱきと仕事をしていて有能だと思う。
皐が樹里を好きになるのも当たり前。
鏡に映る彼女を見れば見るほど、自分の子供な部分が際だって嫌になる。
ひなたのひなは雛鳥のひな。大人な皐には釣り合わないんだと突きつけられているみたいで。
「さあ、魔法をかけてあげるからね」
彼女の優しい手がひなたの髪を変えていく。
ねえ、本当に魔法をかけてくれるの? あたしを見て皐ちゃんも驚くくらい?
ひなたは皐が言うはずもない歯の浮くようなセリフを想像して苦笑した。
しばらくされるがままになっていたひなただったが、ビニール手袋の中から煌めく光に気がついて声を上げた。
……指輪? でもこの場所って。
「樹里さん、け、結婚してたの?」
「え? ああ、指輪? 帰るところだったから付けたままだったのね」
樹里は照れながら、左手を掲げた。
開いた口が塞がらないひなたに気がつく様子もなく、樹里は手を動かしながら話し始める。
「そうね、もう三年になるかな。皐先輩の友達なんだけど。高校卒業してすぐ結婚したの」
聞けば、一緒に働くことになったのもそもそもその友達からの紹介だったそうだ。
「皐先輩って、東京の最前線で働いていたじゃない? 私も上京したかったんだけど、結婚しちゃったからここを出るに出られなくって。天野さんにお世話になるようになってからは、先輩がいつも細かい点とかも指導してくれるから技術面で凄く助かってるのよ」
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