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第四章 富百合

4 何もなかった

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 「あけましておめでとうございます。本年もよろしくお願い申し上げます」

 朝食にはエイミにもらったおせち料理を食べて、電話をすると、エイミはまず年始の挨拶をした。俺は初詣に出かける仕度をするように言った。

 「あの、それはご親切に、ありがとうございます」

 エイミは戸惑った声を出した。

 「俺の後をつけるんじゃなくて、一緒に行くんだからな」
 「は。どなたかと、ご一緒されますか」

 まだ状況がわかっていないらしい。
 一番には富百合と行きたいのであるが、連絡先がわからない。コトリは雪と行くだろうし、フタケは両親と行くだろう。
 1人で初詣に行っても構わないが、どうせエイミがついてくるつもりなら、俺は場所を知らないことであるし、案内させようと思ったのだ。

 「いないから、そう言っているんだ」
 「かしこまりました」

 出てみると、エイミは普段と変わらない、地味な格好で来ていた。実家で挨拶に来る際は、互いにそれなりの服を着ていた。期待していた訳ではない。
 俺も、似たような服装である。道にはまだ雪が残り、日陰は凍ってツルツルだ。

 エイミの案内で、お参りに行った。
 目指す社の前には、赤い提灯が下げられたアーケードの商店街があり、元旦早々、大勢の人出で賑わっていた。

 俺もエイミも人より背が高いので、視界が利く。人の頭が、波のように前後に動いていた。

 入り口の門には赤い仁王像が並立していて、それをくぐると石畳が本堂へ続く。本堂の前には広く階段がしつらえてある。人の流れに沿って進むうちに、賽銭箱の前まで来た。

 「大学に合格して、無事入学することができますように」

 俺は祈った。合格するだけでは足りない。真相を知った母が、何を始めるかわからないからである。無事に入学して、卒業までお願いしたいところであるが、それは向こうへ行ってからのことにした。

 あっちにも霊験れいげんあらたかな神仏が大勢いらっしゃる。目を開けると、エイミの視線とぶつかる。

 「早いな」
 「そうですか」

 外に出ても、エイミは相変わらずだった。
 俺が何かに目を留めると、その時々で適切な解説を差し挟む分は話したが、余計な口を利かない。

 これから落とそうという女の子と違い、気を遣わなくていいのは楽だった。自分用に土産を買って帰り、夜はエイミの部屋で雑煮と食べた。


 新年早々、予備校へ来た俺は、自分が受ける授業の教室を確認するより先に、理系数学の授業が行われる教室を確認した。

 通りすがりに覗けるような、位置関係にはなかった。
 俺は用もないのに、しばらく掲示板の前をうろうろしていたが、そのうち人が増えてきて、しかも富百合の姿が見えないので、諦めて自分の教室へ行った。

 午前中の授業を終えると、俺は素早く食堂へ行った。余り早く行ったので、ほぼ誰もいない。普段の日ならば、授業をさぼったか、午後までの時間つぶしのために予備校生が溜まり場を作っているところであるが、この時期には、そんなに暇な人間はいない。

 俺は定食を載せたトレイを持って、入り口がよく見えるテーブルに陣取った。お茶を飲みながら、入り口を見やる。
 次々と人が入ってくるのに、富百合の姿はない。
 段々混雑してきて周囲の席が埋まり始めたので、俺は箸をつけることにした。

 「フジノ先輩、あけましておめでとうございます」

 顔を上げるまでもなく、富百合とわかった。俺は嬉しさを押し隠し、わざとぶっきらぼうな顔つきをした。

 「あけまして、おめでとう」

 富百合は俺の斜め向かいの席に座って、家から持ってきた弁当を広げた。おせち料理が詰まっていた。
 俺の視線に気付いた富百合は、にっこり笑った。

 「おせちも三日過ぎると、みんな食べ飽いてまうで、余って困るんです」
 「そういえば、家でもそうだったかもしれない」

 エイミに作ってもらったおせちは、分量が少ないので既に食べ尽くしていたが、家に居た頃は、余った煮豆がいつまでもお茶請けに出てきた記憶があった。

 食べ飽きたと言う割には、富百合は旺盛な食欲で、弁当を平らげた。食べる環境が変われば、目先が変わって食欲も回復するのだろう。

 「初詣行きましたか」
 「うん」
 「私も行きました。すごい人出で、賽銭が前の人のえりに入ってみゃあそうでした」

 富百合は、年末年始にあった出来事を、楽しそうに話した。
 昼休みの時間は、あっという間に過ぎ去った。

 「じゃあ、また明日」
 「あ、明日ね」

 帰り際に会う気がないと知って、俺は内心がっかりした。その気持ちを努めて顔に出さないよう、苦労した。

 午後の授業を終えると、俺は建物の出入り口まで急いで降りた。その辺りは、予備校生の待ち合いスペースになっていた。
 目立たない隅から、出入り口を見通せる位置を確保し、壁の張り紙を見る振りをしながら、富百合が通りかかるのを待った。

 次々と受講生が通り過ぎて行く。いつまで待っても来ない。

 賑やかな女子高生の一団が、通り過ぎた。富百合が中にいた。きゃらきゃらと甲高い声を上げながら、誰も俺には気付かずに、予備校を出て行った。

 俺は姿の見えなくなった富百合をしばらく見送り、それからのろのろと出口へ向かった。


 短期集中講座は、名前以上に短かった。富百合とご飯を一緒に食べた回数は、前半を合わせても両手で数えられるぐらいしかない。最終日の昼休みがやってきた。
 富百合はいつもと変わらず、にこにこしながら弁当を持って現れた。

 「今日で最後ですね」
 「そうだね」

 俺は食欲がわかず、いつもの定食ではなく、きしめんを注文していた。
 富百合はそうした俺の変化には全く気付かないようである。
 普段と変わらず、楽しげに話をしながら箸を進めた。

 食事はすぐに終わった。休み時間も、いつの間にか終わりかかっている。

 「そうだ。もし嫌じゃなかったら、フジノ先輩の住所と電話番号を教えてもりゃあませんか。後で、お礼をしてゃあんです」

 富百合はどこからか、可愛らしい絵のついたメモ帳とシャープペンシルを取り出した。
 俺の視界が急に冴え渡った。

 思わず母がいる方の住所を書きそうになり、慌ててぐちゃぐちゃに消す。返したメモを見て、富百合が不思議そうに首を傾げた。

 「あ、フジノ先輩って、ここの人じゃないんですか」
 「うん。言わなかったっけ」
 「そういえば、標準語使いましたね」

 相手の言葉遣いが微妙に変化したのを感じ取り、俺の鼓動が早くなる。富百合はへええ、と納得したような頷き方をして、席を立った。

 「それでは、短い間でしたが、とても楽しかったです。ありがとうございました。受験、お互いに頑張りましょうね」

 地元民が他県の人間と話す時の言葉遣いに変わっていくのを、俺は寂しい気持ちで聞いていた。

 「うん。須藤さんもお元気で」

 かろうじて、笑顔を返した。富百合は振り返らずに食堂を出て行った。
 その日の授業が終わった後、俺は前と同じように出入り口で待ち伏せした。

 仲間達に囲まれて出て来た富百合は、誰かを探す様子もなくほがらかに通り過ぎて行った。俺に残された希望は、富百合が住所と電話番号を知っている、ということだけであった。


 「そんなに好きなら、当たってみればよかったじゃないか」

 休み明けに出てきたコトリは、俺の話を聞いて開口一番に言った。

 予備校の授業は基本的に年末で終了し、後は現役2年生を対象とした授業や、2次試験に多い論文対策の授業や、面接対策の個人指導があるばかりで、出てこない人間も多い中、フタケやコトリは頻繁に登校していた。予備校生は自習室を使えるし、備え付けの資料も当然使うことができる。

 彼らの間のわだかまりは、俺の知らない間に解消していた。

 コトリについては、勉強の他、雪に会える、という理由も加わっている。2人の仲は継続しているようである。コトリが親元を離れていることも、長続きする原因の一つであろう。
 少なくとも合格するまでは、お互い両親には話さないことになっているそうである。

 「でも、最初から期間限定の代用品宣言されとる上に、お仲間連れてきてガードしとるようでは、まず無理だろうな。それに、現役受験生の女に手をつけるのはまずいがね。落ちたら、責任取らされるに」

 フタケが彼らしい忠告をした。

 「そうだよなあ。住所教えてあるし、もし大学に入学した後、外山先輩に振られて気が変わったら、電話してくれるかもしれない」
 「その頃にはおみゃあも引っ越しとるだろ。それとも、今から2浪する気か」
 「2浪して第1志望の大学に入った例は、聞いたことないよ」

 フタケとコトリが口々に言う。コトリもアドバイスを聞いて、フタケ派に宗旨替しゅうしがえした。
 1次試験も近いというのに、話を聞いて、親身に忠告してくれる2人を、俺はありがたい、と思った。

 富百合については、今更どうしようもないことは、俺にもわかっていた。

 「2人とも心配してくれて、ありがとう。とにかく、まず合格を目指すことにするよ」
 「そうそう。まずは合格」
 「合格しないと、何も始まらない」

 フタケ達に話をして、すっきりした俺は、授業に集中することができた。

 模試の成績だけ振り返れば、合格の可能性はA~Eの5段階中、ほぼA判定にあり、よほどのことがない限りは合格できそうであった。

 ただし、受験に絶対はない、と予備校講師もよく言っているように、本番最後の1問を解き終わるまで、油断は禁物であった。
 正確には、合格通知を目にするまで、油断してはいけないのである。
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