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第四章 富百合
9 鑑定してみた
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「では、文集を見せてください」
用意してあった文集を手渡すと、エイミは子どもの遊びみたいに、もの凄い早さでぱらぱらと1ページずつめくった。
最後までめくり終わると、一旦閉じて、ぱっ、とあるページを開く。
1人当たり1ページを使って、様々な設問に答える部分と、自由に記入する部分とに分けて、レイアウトを組んである。
「座右の銘:好きこそ物の上手なれ。高校生活一番の思い出:クラスのみんなと出会えたことです。特に棗と出会えてラッキーだったよ」
不意に室越棗の名前が目に飛び込んできて、俺の胸がちくりと痛んだ。
そのページの記入者は、磯川霞だった。俺の痛みなどにはお構いなく、エイミが文集を広げて説明する。
「ここに『好き』、クラスの『ス』、ラッキーの『キ』、ですますの『す』と全部揃っています。どうです、似ていますか」
全然違う、とは言い切れない程度に、似ているようには思われた。
片やボールペンで、片やマジック書きである。全く同じ、とまでは断言し辛い。
俺の様子を見て取ったのか、エイミがまた別のページを開いた。
「座右の銘:忍耐。高校生活一番の思い出:大きな事故もなく、無事に過ごすことができてよかったと思います」
担任が書きそうな字面と文章であったが、よく見ればアオヤギエイミとある。
こちらは筆ペンで書いたらしいが、確かに写真の文字とは癖が異なっていた。また違うページが現れる。
「座右の銘:人生いい加減。高校生活一番の思い出:合宿を抜け出して、焼き肉を食いに行ったこと(肉の匂いで即座にばれて怒られた)」
名前を確認するまでもなく、俺が書いたものであった。まだ1年も経っていないのに、遠い昔の出来事みたいに思える。そして書き残した内容がまた、若気の至りという感じで、恥ずかしかった。
「いかがでしょうか」
エイミに促されて、我に返った。慌てて見比べるふりをする。比べるべき字は一文字もないのだが、当然、写真の文字とは別物だ。書き手の違いで、同じ文字でも全く違うものに見えることが、よく理解できた。
「あ、そうか。うん、これも違うな。なるほど、磯川の字に似ている」
「あくまでも、手持ちの資料の中では磯川霞の書いた字に似ている、というだけです。専門家に、2つの字を書いた人間が同一人物か、調べてもらうこともできます。とりあえず、警察に届けてみますか」
俺は、エイミの微妙な言い回しに気付いた。
「受け付けてもらえるのか。何の罪に当たるんだろうな」
「カメラが磯川の仕業とすると、仕掛けたのは先日、ユーキ様のお部屋に入った時である可能性が高いので、住居侵入では難しいでしょう。盗まれた物もないようですし、せいぜい覗きといったところでしょうか。全く別人の仕業、という可能性も捨てきれませんが」
「この間、アオヤギの部屋を覗いていた奴が、仕掛けたのかもしれない」
「それが誰だったのか、思い出されましたか」
「全然」
思い出すどころか、日が経つにつれて、ますます記憶がぼやけていくばかりである。残っているのは、不気味な感情で、これは日が経つにつれて、むしろ増幅するように思われた。
「びっくりチョコでユーキ様が怪我でもなされば、傷害の線で捜査できるのではないか、と思いますが、法律に定められたような被害が出ないと、警察も動きにくい、と聞いたことがあります」
「こんな時期に、怪我する訳にいかないだろう」
「ごもっともです」
指摘すると、エイミはしれっと答えた。俺がうん、と言ったら、やりかねない感じだ。盗聴器の件といい、こいつも別の意味で怖い。
警察には届けないことにした。しかし、後で何かの証拠にもなるかもしれない、ということで、霞が置いていったと思われる箱も、カメラもまとめて紙袋へ入れて、とっておくことにした。
怨念のこもったチョコレートなど、食べる気もしない。
物騒なプレゼントを片付け、エイミを部屋から追い出すと、俺はいそいそと富百合から届いた箱を取り出した。丁寧に表書きの紙を剥がし、包装を取り除いた。
可愛いピンクの小箱が現れた。蓋を取ると、鳥の巣みたいな細長い紙の山の真ん中に、淡いブルーのカードが入っている。
カードの下には、一口大のハート型のチョコレートが、きれいに並べられていた。
7個あって、それぞれに1文字ずつアルファベットがピンクのチョコで書かれていた。THANK YOUとある。
俺はカードを開いた。カラフルなペンで、丸々とした漫画みたいな文字が、丁寧に綴られていた。
「フジノ先輩へ。お世話になりました。おかげで、富百合は、試験を無事乗り越えることができました。これからも一緒に頑張りましょうね。このチョコを食べたら、後できっといいことがありますよ。富百合より」
読み終わって、俺はカードにキスしたい気持ちに駆られた。
先刻カメラが見つかったことを思い出して、思い留まる。カメラは取り外した、とわかっているが、見張られている気持ちになってしまった。
早速Yの字を食べた。これまで味わったことのない旨味が、口中に広がった。富百合の手作りに違いなかった。たちまちOもUもなくなった。
勢いに任せると全部食べ尽くしてしまいそうだ。勿体ない。
俺はカードをチョコの上に乗せて、箱ごと冷蔵庫へしまうことにした。すぐにでもお礼の電話をしようかとも思ったが、相手も受験生であることを思い出した。
3月のホワイトデーにはお返しをするぞ、と改めて気合いを入れた。
その後は特におかしなこともなく、2次試験を迎えた。会場は志望大学である。
めちゃめちゃ寒かった。足元から氷のような冷気が染み込んでくる。
しかし、試験会場は暖房が効いて暖かかった。
あんまり思い通りに素直に解けたので、却って俺は、不安になりながら会場を後にした。
まるで、去年一問も解かなかった仇のように、すらすら答えを記入することができた。去年は別の大学を受けたのであるが。
さすがに論述問題で満点をとるのは難しかろうが、予想通りならば、ほぼ満点の成績となる筈である。自分で書いておきながら、にわかに信じられなかった。
「もっとご自分の実力を評価なさればいいのです」
帰りの車中で不安を打ち明けると、エイミは目を半開きにして応えた。目は開いているものの、眠っているようでもある。魚みたいだ。
間もなく俺も試験の緊張が解けて、心地よい振動に身を任せて眠ってしまった。
エイミに揺り起こされた時には、あと5分で降車駅に到着する、というアナウンスが終わりかけていた。途中下車だから、素早く下りなければならない。
「夕飯、どうなさいますか」
「疲れた。面倒臭い」
帰途、店に寄るのも億劫だった。列車を降りて、一刻も早く家に帰りたかった。
「有り合わせでよろしければ、私がお作りします」
「頼む」
アパートに戻ると、新聞受けに封筒が挟まっていた。
ピンクの封筒で、宛名も差出人の名もない。富百合が送ってくれた、チョコレートの箱を思わせる色であった。
俺は疲れも吹き飛ぶ思いで、部屋へ入って、いそいそと封を切った。
中にはチケット1枚と、紙片が1枚入っていた。
「早く来てね。ずっと待っているから」
きれいに印刷された文字は、1行だけであった。
俺はもう一度封筒を確認したが、差出人の名前は、やはり見つからなかった。
チケットを見る。
フューチャーランドの、特別無料優待券であった。権堂姉妹の父親が経営する、近未来型遊園地である。
テレビCMを見たことはあるが、入ったことはない。
するとこれは、富百合ではなく、権堂遥華が送ってきたものであろうか。
「これからも一緒に頑張りましょうね。このチョコを食べたら、後できっといいことがありますよ」
と富百合は手紙をくれたが、いいことというのは、このチケットのことであろうか。
初デートに遊園地を選ぶとは、如何にも女子高生らしい。
他方、遥華が実験に協力した俺への礼として、招待券を渡すというのも、ありそうな話である。
もう、予備校でフタケと会うことも滅多にないので、直接俺に送ったと考えれば、納得できる。
疲れた頭で考えても、結論は出なかった。
俺は封筒を持って、エイミの部屋へ行った。
エイミがあり合わせで作った飯を食べながら、俺は差出人不明の封筒が来たことを説明し、お茶の用意ができたところで、現物を見せた。
「富百合ちゃんかな。やっぱり遥華さんの方かな」
「磯川霞だと思います」
一番思い出したくない名前を挙げられた。俺の心情を無視して、エイミは解説する。
「印刷の文字に見覚えがあります。びっくり箱に入っていた物と、この紙に印刷された文字は、同じフォントでしょう。よくある字体でもあるので、ただちに特定の人物につながる証拠としては採用できないと思います。これ、いつポストに入れられたのでしょうね」
「いつって、今日じゃないのか。ああ、昨日から留守にしていたものな。それがどうかしたのか」
「国公立大学の2次試験日は前期後期それぞれの区分で、ほぼ同日に行われます。これを放り込んだのが3人のうち誰であれ、本日は試験で、ユーキ様がご不在であることを、知らない筈はありません」
霞も遥華も同じ国立大に通っている。まるっきり試験日を知らない、ということはあるまい、というのである。
そうだろうか。大学生の春休みは長い。その間、全然学校へ顔を出していなければ、途中に入試があって関係者以外立ち入り禁止になっていたところで、知らずに済まされるだろう。
富百合については、同日に試験を受けた筈である。知っていた、と推測するのは、妥当な線だ。
「今日、俺がここを留守にすることを知っていたとしたら、どうなるんだよ」
「その人物は、昨日来たのではないかと。この文は、すぐにフューチャーランドへ行くことを求めているように読み取れます。今日、試験が終わってすぐ帰宅しても、開園中に行くには、とても間に合いません」
「それで」
「入試の前日に、非常識な誘いをかけた目的は、受験妨害でしょう。今日の逢瀬に間に合うには、試験を放棄しなければならないのですから」
「だから磯川の仕業というのか」
エイミの筋立ては、疲れた俺の頭でも、荒唐無稽な話に聞こえた。バレンタインに送りつけられた、びっくり箱レベルの唐突さである。エイミも試験と長距離移動の上、飯まで用意させられて、疲れているのだ。俺のせいか。
単に、待ち合わせの日付を入れ忘れたとか。特に、富百合が差出人だったなら。
それに、富百合は、明日会うつもりで、今日の試験後、ここへ来たかもしれない。俺の住所は知っているし、志望校が地元だから、移動も容易だ。
俺は特別無料優待券を眺めた。
「須藤富百合と、連絡を取ることは、できないのですか」
「思い出した。チョコを送ってもらった時に、住所の控えがついていた」
俺の希望が、また輝きを取り戻した。
鍵を開けるのももどかしく、部屋へ戻ると控えを取り出した。呼び出し音はすぐに切れ、通話開始の音が聞こえた。
用意してあった文集を手渡すと、エイミは子どもの遊びみたいに、もの凄い早さでぱらぱらと1ページずつめくった。
最後までめくり終わると、一旦閉じて、ぱっ、とあるページを開く。
1人当たり1ページを使って、様々な設問に答える部分と、自由に記入する部分とに分けて、レイアウトを組んである。
「座右の銘:好きこそ物の上手なれ。高校生活一番の思い出:クラスのみんなと出会えたことです。特に棗と出会えてラッキーだったよ」
不意に室越棗の名前が目に飛び込んできて、俺の胸がちくりと痛んだ。
そのページの記入者は、磯川霞だった。俺の痛みなどにはお構いなく、エイミが文集を広げて説明する。
「ここに『好き』、クラスの『ス』、ラッキーの『キ』、ですますの『す』と全部揃っています。どうです、似ていますか」
全然違う、とは言い切れない程度に、似ているようには思われた。
片やボールペンで、片やマジック書きである。全く同じ、とまでは断言し辛い。
俺の様子を見て取ったのか、エイミがまた別のページを開いた。
「座右の銘:忍耐。高校生活一番の思い出:大きな事故もなく、無事に過ごすことができてよかったと思います」
担任が書きそうな字面と文章であったが、よく見ればアオヤギエイミとある。
こちらは筆ペンで書いたらしいが、確かに写真の文字とは癖が異なっていた。また違うページが現れる。
「座右の銘:人生いい加減。高校生活一番の思い出:合宿を抜け出して、焼き肉を食いに行ったこと(肉の匂いで即座にばれて怒られた)」
名前を確認するまでもなく、俺が書いたものであった。まだ1年も経っていないのに、遠い昔の出来事みたいに思える。そして書き残した内容がまた、若気の至りという感じで、恥ずかしかった。
「いかがでしょうか」
エイミに促されて、我に返った。慌てて見比べるふりをする。比べるべき字は一文字もないのだが、当然、写真の文字とは別物だ。書き手の違いで、同じ文字でも全く違うものに見えることが、よく理解できた。
「あ、そうか。うん、これも違うな。なるほど、磯川の字に似ている」
「あくまでも、手持ちの資料の中では磯川霞の書いた字に似ている、というだけです。専門家に、2つの字を書いた人間が同一人物か、調べてもらうこともできます。とりあえず、警察に届けてみますか」
俺は、エイミの微妙な言い回しに気付いた。
「受け付けてもらえるのか。何の罪に当たるんだろうな」
「カメラが磯川の仕業とすると、仕掛けたのは先日、ユーキ様のお部屋に入った時である可能性が高いので、住居侵入では難しいでしょう。盗まれた物もないようですし、せいぜい覗きといったところでしょうか。全く別人の仕業、という可能性も捨てきれませんが」
「この間、アオヤギの部屋を覗いていた奴が、仕掛けたのかもしれない」
「それが誰だったのか、思い出されましたか」
「全然」
思い出すどころか、日が経つにつれて、ますます記憶がぼやけていくばかりである。残っているのは、不気味な感情で、これは日が経つにつれて、むしろ増幅するように思われた。
「びっくりチョコでユーキ様が怪我でもなされば、傷害の線で捜査できるのではないか、と思いますが、法律に定められたような被害が出ないと、警察も動きにくい、と聞いたことがあります」
「こんな時期に、怪我する訳にいかないだろう」
「ごもっともです」
指摘すると、エイミはしれっと答えた。俺がうん、と言ったら、やりかねない感じだ。盗聴器の件といい、こいつも別の意味で怖い。
警察には届けないことにした。しかし、後で何かの証拠にもなるかもしれない、ということで、霞が置いていったと思われる箱も、カメラもまとめて紙袋へ入れて、とっておくことにした。
怨念のこもったチョコレートなど、食べる気もしない。
物騒なプレゼントを片付け、エイミを部屋から追い出すと、俺はいそいそと富百合から届いた箱を取り出した。丁寧に表書きの紙を剥がし、包装を取り除いた。
可愛いピンクの小箱が現れた。蓋を取ると、鳥の巣みたいな細長い紙の山の真ん中に、淡いブルーのカードが入っている。
カードの下には、一口大のハート型のチョコレートが、きれいに並べられていた。
7個あって、それぞれに1文字ずつアルファベットがピンクのチョコで書かれていた。THANK YOUとある。
俺はカードを開いた。カラフルなペンで、丸々とした漫画みたいな文字が、丁寧に綴られていた。
「フジノ先輩へ。お世話になりました。おかげで、富百合は、試験を無事乗り越えることができました。これからも一緒に頑張りましょうね。このチョコを食べたら、後できっといいことがありますよ。富百合より」
読み終わって、俺はカードにキスしたい気持ちに駆られた。
先刻カメラが見つかったことを思い出して、思い留まる。カメラは取り外した、とわかっているが、見張られている気持ちになってしまった。
早速Yの字を食べた。これまで味わったことのない旨味が、口中に広がった。富百合の手作りに違いなかった。たちまちOもUもなくなった。
勢いに任せると全部食べ尽くしてしまいそうだ。勿体ない。
俺はカードをチョコの上に乗せて、箱ごと冷蔵庫へしまうことにした。すぐにでもお礼の電話をしようかとも思ったが、相手も受験生であることを思い出した。
3月のホワイトデーにはお返しをするぞ、と改めて気合いを入れた。
その後は特におかしなこともなく、2次試験を迎えた。会場は志望大学である。
めちゃめちゃ寒かった。足元から氷のような冷気が染み込んでくる。
しかし、試験会場は暖房が効いて暖かかった。
あんまり思い通りに素直に解けたので、却って俺は、不安になりながら会場を後にした。
まるで、去年一問も解かなかった仇のように、すらすら答えを記入することができた。去年は別の大学を受けたのであるが。
さすがに論述問題で満点をとるのは難しかろうが、予想通りならば、ほぼ満点の成績となる筈である。自分で書いておきながら、にわかに信じられなかった。
「もっとご自分の実力を評価なさればいいのです」
帰りの車中で不安を打ち明けると、エイミは目を半開きにして応えた。目は開いているものの、眠っているようでもある。魚みたいだ。
間もなく俺も試験の緊張が解けて、心地よい振動に身を任せて眠ってしまった。
エイミに揺り起こされた時には、あと5分で降車駅に到着する、というアナウンスが終わりかけていた。途中下車だから、素早く下りなければならない。
「夕飯、どうなさいますか」
「疲れた。面倒臭い」
帰途、店に寄るのも億劫だった。列車を降りて、一刻も早く家に帰りたかった。
「有り合わせでよろしければ、私がお作りします」
「頼む」
アパートに戻ると、新聞受けに封筒が挟まっていた。
ピンクの封筒で、宛名も差出人の名もない。富百合が送ってくれた、チョコレートの箱を思わせる色であった。
俺は疲れも吹き飛ぶ思いで、部屋へ入って、いそいそと封を切った。
中にはチケット1枚と、紙片が1枚入っていた。
「早く来てね。ずっと待っているから」
きれいに印刷された文字は、1行だけであった。
俺はもう一度封筒を確認したが、差出人の名前は、やはり見つからなかった。
チケットを見る。
フューチャーランドの、特別無料優待券であった。権堂姉妹の父親が経営する、近未来型遊園地である。
テレビCMを見たことはあるが、入ったことはない。
するとこれは、富百合ではなく、権堂遥華が送ってきたものであろうか。
「これからも一緒に頑張りましょうね。このチョコを食べたら、後できっといいことがありますよ」
と富百合は手紙をくれたが、いいことというのは、このチケットのことであろうか。
初デートに遊園地を選ぶとは、如何にも女子高生らしい。
他方、遥華が実験に協力した俺への礼として、招待券を渡すというのも、ありそうな話である。
もう、予備校でフタケと会うことも滅多にないので、直接俺に送ったと考えれば、納得できる。
疲れた頭で考えても、結論は出なかった。
俺は封筒を持って、エイミの部屋へ行った。
エイミがあり合わせで作った飯を食べながら、俺は差出人不明の封筒が来たことを説明し、お茶の用意ができたところで、現物を見せた。
「富百合ちゃんかな。やっぱり遥華さんの方かな」
「磯川霞だと思います」
一番思い出したくない名前を挙げられた。俺の心情を無視して、エイミは解説する。
「印刷の文字に見覚えがあります。びっくり箱に入っていた物と、この紙に印刷された文字は、同じフォントでしょう。よくある字体でもあるので、ただちに特定の人物につながる証拠としては採用できないと思います。これ、いつポストに入れられたのでしょうね」
「いつって、今日じゃないのか。ああ、昨日から留守にしていたものな。それがどうかしたのか」
「国公立大学の2次試験日は前期後期それぞれの区分で、ほぼ同日に行われます。これを放り込んだのが3人のうち誰であれ、本日は試験で、ユーキ様がご不在であることを、知らない筈はありません」
霞も遥華も同じ国立大に通っている。まるっきり試験日を知らない、ということはあるまい、というのである。
そうだろうか。大学生の春休みは長い。その間、全然学校へ顔を出していなければ、途中に入試があって関係者以外立ち入り禁止になっていたところで、知らずに済まされるだろう。
富百合については、同日に試験を受けた筈である。知っていた、と推測するのは、妥当な線だ。
「今日、俺がここを留守にすることを知っていたとしたら、どうなるんだよ」
「その人物は、昨日来たのではないかと。この文は、すぐにフューチャーランドへ行くことを求めているように読み取れます。今日、試験が終わってすぐ帰宅しても、開園中に行くには、とても間に合いません」
「それで」
「入試の前日に、非常識な誘いをかけた目的は、受験妨害でしょう。今日の逢瀬に間に合うには、試験を放棄しなければならないのですから」
「だから磯川の仕業というのか」
エイミの筋立ては、疲れた俺の頭でも、荒唐無稽な話に聞こえた。バレンタインに送りつけられた、びっくり箱レベルの唐突さである。エイミも試験と長距離移動の上、飯まで用意させられて、疲れているのだ。俺のせいか。
単に、待ち合わせの日付を入れ忘れたとか。特に、富百合が差出人だったなら。
それに、富百合は、明日会うつもりで、今日の試験後、ここへ来たかもしれない。俺の住所は知っているし、志望校が地元だから、移動も容易だ。
俺は特別無料優待券を眺めた。
「須藤富百合と、連絡を取ることは、できないのですか」
「思い出した。チョコを送ってもらった時に、住所の控えがついていた」
俺の希望が、また輝きを取り戻した。
鍵を開けるのももどかしく、部屋へ戻ると控えを取り出した。呼び出し音はすぐに切れ、通話開始の音が聞こえた。
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