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第二章 便利屋として
023 袋の鼠
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「それだけ跡形もなく消した。情報を消せる位置にいる人間も関わってるって? そう言いたいんだな」
「それもある。あとは……」
ローストビールを刺したフォークを止め、ウィルは遠くを見つめる。
「いや、やっぱりいい。俺の思い過ごしだ」
「気になるだろ」
「いいから食え。次は?」
「まだ半分も食べてないよ」
「お前の好きなフルーツもあるぞ」
「それはデザート。後で食べる」
イアンは女性と楽しげに談笑し、ワイングラスを持っている。
上背もある女性はモデルのようだが、見覚えがあると思ったら映画に出ていた俳優だった。
「綺麗だな」
「ああいう人がタイプ? リサは?」
「リサも綺麗さ。彼女にはまた会いたいね」
「違う意味で、だろ。あまり聴取まがいなことはしないでくれよ」
「帰りにでも寄ってみるか?」
「そうだね……手術してから一度も会ってないや」
アルコールは控えて正解だ。けれどフルーツの誘惑には勝てなくて、オレンジとグレープを少しつまんだ。
帰り際、パーティーを誘ってくれたイアンにお礼を言おうとしたが、監督だけあってもみくちゃ状態だった。ダリルにだけ挨拶を済ませ、会場を後にする。
アルコールを摂取したわけでもないのに、衣服に染みついた匂いで酔いが回りそうだ。
リサの店に向かう途中、ウィルのハンドルを握る手に力がこもるのをリックは見逃さなかった。
「やけにパトカーが多いな」
「パトカー? 覆面?」
「ああ」
「そういえば、この前の美術館で出会った子供はどうなったんだろうな」
「人攫いはアメリカ全土にはびこっている」
「わざわざ私服で張り込みするほど重要人物だったってこと? あの母親は」
リサの店は相変わらず繁盛していて、駐車場がほぼ埋まっていた。
ドアを開けると、リサはカクテルを作っている最中だった。シェイカーを振り、サファイア色の液体をカクテルグラスに注ぐ。嬉しそうに受け取る男性は、店で何度か見かけたことのある人だ。リサに熱を上げているのだろう。
「リック……? それにウィルも。退院したの?」
「けっこう前にね。久しぶりにリサの作るお酒が飲みたくなって」
「もっと早く連絡くれたら良かったのに」
「退院やら引っ越しやらでちょっとばたばたしてたんだ」
「引っ越し?」
「ウィルの家に居候してる」
「え」
リサは腕を組み、咎めるような目をウィルに向ける。
「どういうこと? 私のリックに」
「悪いな。そういう関係なんだ」
「冗談でも止めろ。リサ、気にしなくていい。僕も彼の持つ情報はほしかったし、持ちつ持たれつの関係なんだ」
「ああ……ルームシェアしているのね。ウィルもその包帯はどうしたの?」
「ショッピングモールでな。仲良くベッドでおねんねだ」
「病み上がりでお酒を飲みにきたってわけ? 嬉しいけど呆れるわ。座って」
「ビールと……」
ウィルは目でリックに尋ねる。
「アプリコット・フィズにしようかな。度数少ないって書いてるし」
「OK。作ってる間に何をしていたか聞かせてくれる? あなたたちちょっとお酒の香りがするわよ」
「映画の関係者が集まるパーティーに誘われたんだ」
簡潔に経緯を説明するが、横からウィルが映画に出演するかもしれないと付け足しを入れる。
「映画? あなたが?」
「俺じゃない。こいつだ」
「え」
「意外そうな声だね。奇遇だ、僕もそう思ってるよ。しかもアクション」
「まあ……なんてことなの。入院していたのよ?」
「もちろん。ウィルと仲良くね」
「あなたの人生でしょうけど……でもリックの決めたことなら応援するわ」
「ありがとう、リサ」
心配よりも、応援が一番嬉しかった。病人扱いされるほど、心の病にかかりそうになる。それが怖い。元々ポジティブだが、無理やりにでも明るく振る舞わなければ真っ暗なものに飲み込まれそうになった。
「ウィルは反対しているのね?」
「こいつが何をしようとこいつの人生だ。応援することにしたが、アクションとなれば話は変わってくるだろ」
「身体動かさないと鈍るし、すぐにでも監督に返事を出すよ」
ウィルは八つ当たりのように、ビールを一気に煽った。
まだ飲み足りなそうだったので、リックは飲むように促す。帰りの運転は任せておけと、豪語した。不安そうに顔を歪める彼の足を蹴った。
イアン・エドニーに返事をすると、承諾してくれてありがとうと数時間後に返ってきた。明日にでも打ち合わせがしたいと言われ、リックは待ち合わせ場所に向かう。
雲一つなく、太陽が強い光を放っている。こんな美しい天候の中で、真面目に仕事をする人間もいれば、犯罪を繰り返す輩もいる。同じ人間でもどこで間違えば正反対の道を歩んでしまうのか。
そんな話をしたら、ウィルは「正義は悪にもなる。振りかざす側は悪だと思っていないパターンも多い」と独り言。正義同士のぶつかり合いが争いを招くとよくいうが、討論にならないほど異論がない。意味なく悪に染まる人間はいない。なぜ今、その話を思い出したのか。イアンを目の前にして、しっかりしろと奮い立たせた。
「お忙しい中、ありがとうございます」
イアンと握手を交わし、テーブルを挟んでソファーに座る。
ホテルのカフェは人もまばらで、有名で顔が知られている彼がいてもほとんど気づかれることはなかった。店員は気づいたが、あえて声をかけようとはせずにプロとして接している。
「モリスさんにしてもらいたい役は、入院患者の役なんです。命をかけて娘を守るシーンがあるのですが、そのシーンでアクションがあります。名前もない役ですが、メインに持っていきたいんです」
「入院患者……ですか」
アクションよりも引っかかるワードが出てしまった。成し遂げようという気持ちに水を差すような、意思に揺らぎをもたらす。
「スポーツは何かされていましたか?」
「いえ、アクションもまったくのど素人で。実は最近まで入院していたんです」
「え? 大丈夫なんですか?」
「はい。もうほとんどよくなりました。肺に穴が空いて、手術したんです。動かなければ日常生活にも支障が出るのに、回りは過保護で」
完全に回復したとは言い難いが、言い聞かせて暗示をかけた。病気は気から治さねばと、弱音は吐いていられない。
「肺に穴ですか。男性に起こりやすいっていいますよね。私の知り合いも手術した経験のある人がいます。幸い軽い症状で、手術後の副作用もほとんどなかったらしいですが。こればかりは体調を見ながら稽古を重ねていきましょう」
「お願いします」
プロのアシスタントがつき、マンツーマンで教えてくれるという。撮影はテキサス州で行われるので、リックは数週間、あるいは一か月以上はロサンゼルスを離れなければならない。
家に戻ってトレーニング中のウィルに説明すると、行ってこいと前向きなコメントを頂いた。
「僕がいなくて寂しいだろう」
「毎日枕を濡らすさ」
「ようやく僕の存在価値を理解したか。ほどよくメールして近状は知らせるようにする」
「いいか? 懐に入り込むのはいいが、行きすぎるなよ。山も登りすぎれば下が見えなくなる」
「雲隠れってやつ? 迷ったら相談に乗ってもらうよ。頼れる人が側にいて幸せだなあ」
「調子のいい奴だな。死人に口なしという言葉がある。生きている限り連絡をよこすように」
「連絡が途絶えたら死を意味するのか」
「それか、メールすら打てない状況にあると見越して、俺は動く」
三桁を超えた腕立て伏せを終え、ウィルは一言「腹が減った」。
「何も用意してないんだ」
「僕が作るよ。昨日の残りもあるし。キャセロールにしよう」
口にはしなかったが、ウィルは彼らが怪しいと踏んでいるのかもしれない。
初めから疑ってかかるような言い方だ。先を見据える言い方は、刑事の勘も含まれているのだろう。
「そうそう、やけにウィルのことも気にかけていたよ」
「刑事だって話したのか?」
「いや、古い友人だって言っておいた」
「古い友人、ねえ……。あながち間違っちゃいないがな。なんせお前が十五歳からの知り合いだ」
苦虫の一番苦いところを潰した顔だ。過去を気にするなといっても、彼の中では切り離せないものになっているのだろう。
「分かるよ、僕も過去はなかったことにできない」
「いきなり何を言い出すんだ」
「けど、時間は止まってくれないし寄り添ってもくれない」
「分かった分かった。飯作ってくれ。キャセロールにはチキンを入れてな」
キャセロールは野菜や肉、パスタなどを入れてオーブンで焼いた料理だ。アレンジがありすぎて、マシュマロやチョコレートを使ったキャセロールも存在している。
ウィルは甘いものを控えているようで、ルームシェアをしてからはあまりスイーツを口にしていない。復帰祝いのときは、ハニーたっぷりのパンケーキでも作ろうと誓った。
「それもある。あとは……」
ローストビールを刺したフォークを止め、ウィルは遠くを見つめる。
「いや、やっぱりいい。俺の思い過ごしだ」
「気になるだろ」
「いいから食え。次は?」
「まだ半分も食べてないよ」
「お前の好きなフルーツもあるぞ」
「それはデザート。後で食べる」
イアンは女性と楽しげに談笑し、ワイングラスを持っている。
上背もある女性はモデルのようだが、見覚えがあると思ったら映画に出ていた俳優だった。
「綺麗だな」
「ああいう人がタイプ? リサは?」
「リサも綺麗さ。彼女にはまた会いたいね」
「違う意味で、だろ。あまり聴取まがいなことはしないでくれよ」
「帰りにでも寄ってみるか?」
「そうだね……手術してから一度も会ってないや」
アルコールは控えて正解だ。けれどフルーツの誘惑には勝てなくて、オレンジとグレープを少しつまんだ。
帰り際、パーティーを誘ってくれたイアンにお礼を言おうとしたが、監督だけあってもみくちゃ状態だった。ダリルにだけ挨拶を済ませ、会場を後にする。
アルコールを摂取したわけでもないのに、衣服に染みついた匂いで酔いが回りそうだ。
リサの店に向かう途中、ウィルのハンドルを握る手に力がこもるのをリックは見逃さなかった。
「やけにパトカーが多いな」
「パトカー? 覆面?」
「ああ」
「そういえば、この前の美術館で出会った子供はどうなったんだろうな」
「人攫いはアメリカ全土にはびこっている」
「わざわざ私服で張り込みするほど重要人物だったってこと? あの母親は」
リサの店は相変わらず繁盛していて、駐車場がほぼ埋まっていた。
ドアを開けると、リサはカクテルを作っている最中だった。シェイカーを振り、サファイア色の液体をカクテルグラスに注ぐ。嬉しそうに受け取る男性は、店で何度か見かけたことのある人だ。リサに熱を上げているのだろう。
「リック……? それにウィルも。退院したの?」
「けっこう前にね。久しぶりにリサの作るお酒が飲みたくなって」
「もっと早く連絡くれたら良かったのに」
「退院やら引っ越しやらでちょっとばたばたしてたんだ」
「引っ越し?」
「ウィルの家に居候してる」
「え」
リサは腕を組み、咎めるような目をウィルに向ける。
「どういうこと? 私のリックに」
「悪いな。そういう関係なんだ」
「冗談でも止めろ。リサ、気にしなくていい。僕も彼の持つ情報はほしかったし、持ちつ持たれつの関係なんだ」
「ああ……ルームシェアしているのね。ウィルもその包帯はどうしたの?」
「ショッピングモールでな。仲良くベッドでおねんねだ」
「病み上がりでお酒を飲みにきたってわけ? 嬉しいけど呆れるわ。座って」
「ビールと……」
ウィルは目でリックに尋ねる。
「アプリコット・フィズにしようかな。度数少ないって書いてるし」
「OK。作ってる間に何をしていたか聞かせてくれる? あなたたちちょっとお酒の香りがするわよ」
「映画の関係者が集まるパーティーに誘われたんだ」
簡潔に経緯を説明するが、横からウィルが映画に出演するかもしれないと付け足しを入れる。
「映画? あなたが?」
「俺じゃない。こいつだ」
「え」
「意外そうな声だね。奇遇だ、僕もそう思ってるよ。しかもアクション」
「まあ……なんてことなの。入院していたのよ?」
「もちろん。ウィルと仲良くね」
「あなたの人生でしょうけど……でもリックの決めたことなら応援するわ」
「ありがとう、リサ」
心配よりも、応援が一番嬉しかった。病人扱いされるほど、心の病にかかりそうになる。それが怖い。元々ポジティブだが、無理やりにでも明るく振る舞わなければ真っ暗なものに飲み込まれそうになった。
「ウィルは反対しているのね?」
「こいつが何をしようとこいつの人生だ。応援することにしたが、アクションとなれば話は変わってくるだろ」
「身体動かさないと鈍るし、すぐにでも監督に返事を出すよ」
ウィルは八つ当たりのように、ビールを一気に煽った。
まだ飲み足りなそうだったので、リックは飲むように促す。帰りの運転は任せておけと、豪語した。不安そうに顔を歪める彼の足を蹴った。
イアン・エドニーに返事をすると、承諾してくれてありがとうと数時間後に返ってきた。明日にでも打ち合わせがしたいと言われ、リックは待ち合わせ場所に向かう。
雲一つなく、太陽が強い光を放っている。こんな美しい天候の中で、真面目に仕事をする人間もいれば、犯罪を繰り返す輩もいる。同じ人間でもどこで間違えば正反対の道を歩んでしまうのか。
そんな話をしたら、ウィルは「正義は悪にもなる。振りかざす側は悪だと思っていないパターンも多い」と独り言。正義同士のぶつかり合いが争いを招くとよくいうが、討論にならないほど異論がない。意味なく悪に染まる人間はいない。なぜ今、その話を思い出したのか。イアンを目の前にして、しっかりしろと奮い立たせた。
「お忙しい中、ありがとうございます」
イアンと握手を交わし、テーブルを挟んでソファーに座る。
ホテルのカフェは人もまばらで、有名で顔が知られている彼がいてもほとんど気づかれることはなかった。店員は気づいたが、あえて声をかけようとはせずにプロとして接している。
「モリスさんにしてもらいたい役は、入院患者の役なんです。命をかけて娘を守るシーンがあるのですが、そのシーンでアクションがあります。名前もない役ですが、メインに持っていきたいんです」
「入院患者……ですか」
アクションよりも引っかかるワードが出てしまった。成し遂げようという気持ちに水を差すような、意思に揺らぎをもたらす。
「スポーツは何かされていましたか?」
「いえ、アクションもまったくのど素人で。実は最近まで入院していたんです」
「え? 大丈夫なんですか?」
「はい。もうほとんどよくなりました。肺に穴が空いて、手術したんです。動かなければ日常生活にも支障が出るのに、回りは過保護で」
完全に回復したとは言い難いが、言い聞かせて暗示をかけた。病気は気から治さねばと、弱音は吐いていられない。
「肺に穴ですか。男性に起こりやすいっていいますよね。私の知り合いも手術した経験のある人がいます。幸い軽い症状で、手術後の副作用もほとんどなかったらしいですが。こればかりは体調を見ながら稽古を重ねていきましょう」
「お願いします」
プロのアシスタントがつき、マンツーマンで教えてくれるという。撮影はテキサス州で行われるので、リックは数週間、あるいは一か月以上はロサンゼルスを離れなければならない。
家に戻ってトレーニング中のウィルに説明すると、行ってこいと前向きなコメントを頂いた。
「僕がいなくて寂しいだろう」
「毎日枕を濡らすさ」
「ようやく僕の存在価値を理解したか。ほどよくメールして近状は知らせるようにする」
「いいか? 懐に入り込むのはいいが、行きすぎるなよ。山も登りすぎれば下が見えなくなる」
「雲隠れってやつ? 迷ったら相談に乗ってもらうよ。頼れる人が側にいて幸せだなあ」
「調子のいい奴だな。死人に口なしという言葉がある。生きている限り連絡をよこすように」
「連絡が途絶えたら死を意味するのか」
「それか、メールすら打てない状況にあると見越して、俺は動く」
三桁を超えた腕立て伏せを終え、ウィルは一言「腹が減った」。
「何も用意してないんだ」
「僕が作るよ。昨日の残りもあるし。キャセロールにしよう」
口にはしなかったが、ウィルは彼らが怪しいと踏んでいるのかもしれない。
初めから疑ってかかるような言い方だ。先を見据える言い方は、刑事の勘も含まれているのだろう。
「そうそう、やけにウィルのことも気にかけていたよ」
「刑事だって話したのか?」
「いや、古い友人だって言っておいた」
「古い友人、ねえ……。あながち間違っちゃいないがな。なんせお前が十五歳からの知り合いだ」
苦虫の一番苦いところを潰した顔だ。過去を気にするなといっても、彼の中では切り離せないものになっているのだろう。
「分かるよ、僕も過去はなかったことにできない」
「いきなり何を言い出すんだ」
「けど、時間は止まってくれないし寄り添ってもくれない」
「分かった分かった。飯作ってくれ。キャセロールにはチキンを入れてな」
キャセロールは野菜や肉、パスタなどを入れてオーブンで焼いた料理だ。アレンジがありすぎて、マシュマロやチョコレートを使ったキャセロールも存在している。
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