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第二章 便利屋として
024 袋の奥はまだ灰色
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州を跨げば気候も面白いほど変化する。テキサス州に到着し、まず初めに感じたことは「寒い」だ。同じテキサス州であっても、湿気地帯や乾燥地帯、積雪が多い地域と分かれている。それに比べて、ロサンゼルスは一年を通して比較的過ごしやすい日々が続く。雪がほとんど降らないイメージだが、実は山ではスキーやスノーボードを楽しめたりもする。
今日から一か月はホテル暮らしだ。ロビーで名前を告げると、部屋のキーを渡された。
エレベーターに乗って息を吐くが、真上にある防犯カメラはどちらの味方なのか。残念ながらリックにはレンズの向こう側は見えない。
長い廊下を曲がった一番端の部屋だ。特別感があるともいうし、端すぎておこぼれにも感じる。
できれば目立ちたくなかった。黒子のように陰に入り、探りを入れる。ウィルには話していないが、ここで『ジョアン』について探りを入れ、奥に潜り込むつもりでいる。なんとしても接点を持ちたい気持ちは、父の死に関わった人間が例の組織の人間の可能性があると思い出したときから気持ちが強くなっていた。入院してやることがなかったため、余計に考える時間が増えてしまった。
ベッドに荷物を置き、念のため盗聴器がないか確認する。
トイレやシャワールームも細かくチェックしたが、特に問題はなかった。
ルームサービスで夕食を取り、その日は早めにベッドに入った。
翌日は動きやすい格好で目的の場所に行くと、イアンはいなかった。監督は別の撮影があるとスタッフから説明を受け、さっそく稽古に入る。
「身体は柔らかいですか?」
「運動はほとんどしないんです」
「最近まで入院されていたようなので、まずは軽い運動からいきましょう。そうそう、今お泊まりのホテルにトレーニング室があるんですよ」
「それは知りませんでした。後で行ってみようかな」
「ホテルに戻ってたら動けなくなる可能性がありますが」
初めに軽く関節などを慣らし、一部のアクションの型を披露してもらう。
「ここでゾンビに襲われたとき、窓の外に放り出されます。が、さすがに俳優でもないあなたに三階から落ちてもらうわけにはいかないので、ここはプロの方にスタントをしてもらいます」
段取りは、寝ていてゾンビが襲ってくるところを揉み合いになり、そこでアクションがある。メインの見せ場だが、そのシーンの前にも多少のセリフがあるらしい。
「ゾンビと揉み合いか。被り物をしていると分かっていても、怖そうですね」
「さらに病室は暗いですよ。ほとんど明かりのない状態でのアクションですから。それと被り物ではなく、直接メイクをして顔を作ってもらうんですよ」
「それはすごい。やはりジョアンがメイクを?」
「ジョアン?」
「ええ。シナリオを書いたダリル・デューさんから彼女の関わった映画を教えて頂いたんですが、本当に素晴らしい出来で。でも彼女の名前は載っていなかったんです」
「ジョアン……ジョアン……」
彼は独り言を呟き、首を傾げた。
「すみません、聞いたことのない方ですね。スタントをする我々は、メイク班とそれほど関わり合いがあるわけではないので」
「そうなんですか。デューさんのお知り合いみたいで、気になっただけなので」
今日は軽い運動と基礎の型だけを教えてもらい、ホテルに戻った。
「……………………?」
ドアを開けた途端、リックは何か違和感を感じ、隙間から身を滑らせるとゆっくりとドアを閉めた。
部屋の中は朝出たときと同じく変わらない。それは間違いないのに、空間自体が違うもののように感じた。念のため盗聴器のチェックをしてみるが、つけられてはいない。
ベッドもそのままで、シャワールームもタオルはかけた通り、スーツケースは開けられた形跡がない。
リックは頼みの綱である、同居人に電話をかけることにした。
『ハロー?』
「やあ、ウィル。ちょっと相談に乗ってほしいんだけど……息遣いが荒い。どうかした?」
『なんでもない。それで、話を』
一瞬体調の心配をしたが、電話越しに鈍い音が聞こえてきた。ダンベルをカーペットにでも置いたのだろう。
「いや……相談ってほどでもないんだけど、」
真剣に向かい合う声を聞いていると、たかが気のせいで申し訳なくなり、尻込みしてしまう。
『とにかく話せ。大した内容なのかそうじゃないのか、俺が決める』
「ホテルの部屋にいるんだけどさ、誰かが入った感覚があったんだ。荷物や置いたタオルはそのままなんだけど」
『カーテンはそのままか?』
「カーテン? ……ごめん、分からない。閉めたままだし、僕は昨日開けもしなかった」
『明日は光をかざすくらいに開けて部屋を出ろ』
「何か意味あるのか?」
『誰かが入ればカーテンを閉める。中を見られたくないならなおさらだ。元通りにしようとしても、角度や皺は同じくできない』
「了解。なんだか、ウィルの方が探偵みたいだ」
『探偵なのはお前だろ。身体がよくなったらまたやればいい』
「なんか、今日のウィルは優しいな」
『気づくのが遅すぎだ。俺は常に優しい。さっさと飯食って寝ろ』
電話を切り、リックはうねるカーテンに触れた。柔らかい素材にどこにでもある遮光カーテンで、しっかり閉めれば光も差さない。布地も透けない。密室で何かを行うには、役に立ちそうなカーテンだ。
次の日、家を出る前に部屋中の写真を撮った。引いた全体もそうだが、カーテンやデスクなど一部分のアップも含めたものだ。
ホテルを出ると、高級車が一台駐まっている。中から現れたのは、イアン・エドニーだった。
「おはようございます。昨日はいなくて申し訳なかった。お詫びも兼ねて、迎えに行こうと思ってね」
「わざわざですか。ありがとうございます」
「体調は問題ないですか?」
「ええ。あとは体力を戻すだけです。全身が筋肉痛ですよ」
本調子かと言えば嘘になる。身体中が悲鳴を上げている。それほど使っていないはずなのに、首まで筋肉痛だった。
昨日とは異なる現場で、廃墟のような場所だった。大きな荷物やカメラなどを運ぶ人たちが中へ入っていく。得体の知れない何かに支配されているような建物だ。
「建てたんですよ」
「え、これを?」
「はい。あえてゾンビが出そうな雰囲気になるように、わざとこういう造りにしたんです」
「映像を撮り終えた後は、どうするんですか?」
「壊すか、誰かに譲るかですね。コアなファンがいたら、買い取ってくれそうですが」
スタッフのひとりが出てきて、手を差し伸べてきたので挨拶を交わす。イアンがいないときに現場リーダーを務めているらしい。
「型は覚えました?」
「昨日は基礎を教わりました」
「今日は流れを見て頂きます。上に行きましょうか」
病院といってもエレベーターはなく、二階まで階段だ。
太股と膝が悲鳴を上げ、今気づいたが足首まで筋肉が痛いと訴える。普段いかに運動不足であるのか思い知らされた。
「こちらです」
病室は六床のベッドが置かれ、無いはずの薬品の臭いが漂ってきそうだった。病院に対し良いイメージのないリックは顔をしかめ「すごい造りですね」となんとか褒め言葉を口にした。
「でしょう?」
「あれ? ここ二階ですよね?」
窓から覗くと、おかしなことに気づいた。
飛び降りるどころか高さがないのだ。窓枠から降りると一階になっている。
「こちら側だけ山を作り、高さを出してるんです。中でゾンビと戦うのはモリスさんで、ゾンビと揉み合いになり落ちてもらいます。けど高さがないのは、怪我防止のためです。落ちる撮影は三階の別室で行います」
「カメラで内側と外側から撮影するんですね。映画の舞台裏でよく聞く話ですが、実際に体験するとなると面白いてすね」
「一度やってみましょうか」
男性はリックの左腕を曲げ、首に手をかける。
「下に落とします」
男性の足がリックの足の裏側にかかり、簡単に外へ投げ出された。
肩が柔らかな土に当たり、痛みはほとんどない。それよりも心臓が警鐘を鳴らしている。殺意に近い感情が垣間見えた気がしたが、気のせいだろうか。
「二階といっても高さはそれほどありません。それに土にシートも被せてあります。痛くないでしょう?」
「……ええ、痛みはありません」
身体は痛くない、と心の中で付け足した。
スタントマンの男性は、笑顔の下に見せられない何かを隠している気がした。ただの勘だ。勘でしかないのに、間違っているとは思えなかった。
「……では、今日も稽古といきましょうか」
「お願いします」
張りぼての笑顔は、映画自体仕組まれたものかもしれないと、リックを奮い立たせた。
今日から一か月はホテル暮らしだ。ロビーで名前を告げると、部屋のキーを渡された。
エレベーターに乗って息を吐くが、真上にある防犯カメラはどちらの味方なのか。残念ながらリックにはレンズの向こう側は見えない。
長い廊下を曲がった一番端の部屋だ。特別感があるともいうし、端すぎておこぼれにも感じる。
できれば目立ちたくなかった。黒子のように陰に入り、探りを入れる。ウィルには話していないが、ここで『ジョアン』について探りを入れ、奥に潜り込むつもりでいる。なんとしても接点を持ちたい気持ちは、父の死に関わった人間が例の組織の人間の可能性があると思い出したときから気持ちが強くなっていた。入院してやることがなかったため、余計に考える時間が増えてしまった。
ベッドに荷物を置き、念のため盗聴器がないか確認する。
トイレやシャワールームも細かくチェックしたが、特に問題はなかった。
ルームサービスで夕食を取り、その日は早めにベッドに入った。
翌日は動きやすい格好で目的の場所に行くと、イアンはいなかった。監督は別の撮影があるとスタッフから説明を受け、さっそく稽古に入る。
「身体は柔らかいですか?」
「運動はほとんどしないんです」
「最近まで入院されていたようなので、まずは軽い運動からいきましょう。そうそう、今お泊まりのホテルにトレーニング室があるんですよ」
「それは知りませんでした。後で行ってみようかな」
「ホテルに戻ってたら動けなくなる可能性がありますが」
初めに軽く関節などを慣らし、一部のアクションの型を披露してもらう。
「ここでゾンビに襲われたとき、窓の外に放り出されます。が、さすがに俳優でもないあなたに三階から落ちてもらうわけにはいかないので、ここはプロの方にスタントをしてもらいます」
段取りは、寝ていてゾンビが襲ってくるところを揉み合いになり、そこでアクションがある。メインの見せ場だが、そのシーンの前にも多少のセリフがあるらしい。
「ゾンビと揉み合いか。被り物をしていると分かっていても、怖そうですね」
「さらに病室は暗いですよ。ほとんど明かりのない状態でのアクションですから。それと被り物ではなく、直接メイクをして顔を作ってもらうんですよ」
「それはすごい。やはりジョアンがメイクを?」
「ジョアン?」
「ええ。シナリオを書いたダリル・デューさんから彼女の関わった映画を教えて頂いたんですが、本当に素晴らしい出来で。でも彼女の名前は載っていなかったんです」
「ジョアン……ジョアン……」
彼は独り言を呟き、首を傾げた。
「すみません、聞いたことのない方ですね。スタントをする我々は、メイク班とそれほど関わり合いがあるわけではないので」
「そうなんですか。デューさんのお知り合いみたいで、気になっただけなので」
今日は軽い運動と基礎の型だけを教えてもらい、ホテルに戻った。
「……………………?」
ドアを開けた途端、リックは何か違和感を感じ、隙間から身を滑らせるとゆっくりとドアを閉めた。
部屋の中は朝出たときと同じく変わらない。それは間違いないのに、空間自体が違うもののように感じた。念のため盗聴器のチェックをしてみるが、つけられてはいない。
ベッドもそのままで、シャワールームもタオルはかけた通り、スーツケースは開けられた形跡がない。
リックは頼みの綱である、同居人に電話をかけることにした。
『ハロー?』
「やあ、ウィル。ちょっと相談に乗ってほしいんだけど……息遣いが荒い。どうかした?」
『なんでもない。それで、話を』
一瞬体調の心配をしたが、電話越しに鈍い音が聞こえてきた。ダンベルをカーペットにでも置いたのだろう。
「いや……相談ってほどでもないんだけど、」
真剣に向かい合う声を聞いていると、たかが気のせいで申し訳なくなり、尻込みしてしまう。
『とにかく話せ。大した内容なのかそうじゃないのか、俺が決める』
「ホテルの部屋にいるんだけどさ、誰かが入った感覚があったんだ。荷物や置いたタオルはそのままなんだけど」
『カーテンはそのままか?』
「カーテン? ……ごめん、分からない。閉めたままだし、僕は昨日開けもしなかった」
『明日は光をかざすくらいに開けて部屋を出ろ』
「何か意味あるのか?」
『誰かが入ればカーテンを閉める。中を見られたくないならなおさらだ。元通りにしようとしても、角度や皺は同じくできない』
「了解。なんだか、ウィルの方が探偵みたいだ」
『探偵なのはお前だろ。身体がよくなったらまたやればいい』
「なんか、今日のウィルは優しいな」
『気づくのが遅すぎだ。俺は常に優しい。さっさと飯食って寝ろ』
電話を切り、リックはうねるカーテンに触れた。柔らかい素材にどこにでもある遮光カーテンで、しっかり閉めれば光も差さない。布地も透けない。密室で何かを行うには、役に立ちそうなカーテンだ。
次の日、家を出る前に部屋中の写真を撮った。引いた全体もそうだが、カーテンやデスクなど一部分のアップも含めたものだ。
ホテルを出ると、高級車が一台駐まっている。中から現れたのは、イアン・エドニーだった。
「おはようございます。昨日はいなくて申し訳なかった。お詫びも兼ねて、迎えに行こうと思ってね」
「わざわざですか。ありがとうございます」
「体調は問題ないですか?」
「ええ。あとは体力を戻すだけです。全身が筋肉痛ですよ」
本調子かと言えば嘘になる。身体中が悲鳴を上げている。それほど使っていないはずなのに、首まで筋肉痛だった。
昨日とは異なる現場で、廃墟のような場所だった。大きな荷物やカメラなどを運ぶ人たちが中へ入っていく。得体の知れない何かに支配されているような建物だ。
「建てたんですよ」
「え、これを?」
「はい。あえてゾンビが出そうな雰囲気になるように、わざとこういう造りにしたんです」
「映像を撮り終えた後は、どうするんですか?」
「壊すか、誰かに譲るかですね。コアなファンがいたら、買い取ってくれそうですが」
スタッフのひとりが出てきて、手を差し伸べてきたので挨拶を交わす。イアンがいないときに現場リーダーを務めているらしい。
「型は覚えました?」
「昨日は基礎を教わりました」
「今日は流れを見て頂きます。上に行きましょうか」
病院といってもエレベーターはなく、二階まで階段だ。
太股と膝が悲鳴を上げ、今気づいたが足首まで筋肉が痛いと訴える。普段いかに運動不足であるのか思い知らされた。
「こちらです」
病室は六床のベッドが置かれ、無いはずの薬品の臭いが漂ってきそうだった。病院に対し良いイメージのないリックは顔をしかめ「すごい造りですね」となんとか褒め言葉を口にした。
「でしょう?」
「あれ? ここ二階ですよね?」
窓から覗くと、おかしなことに気づいた。
飛び降りるどころか高さがないのだ。窓枠から降りると一階になっている。
「こちら側だけ山を作り、高さを出してるんです。中でゾンビと戦うのはモリスさんで、ゾンビと揉み合いになり落ちてもらいます。けど高さがないのは、怪我防止のためです。落ちる撮影は三階の別室で行います」
「カメラで内側と外側から撮影するんですね。映画の舞台裏でよく聞く話ですが、実際に体験するとなると面白いてすね」
「一度やってみましょうか」
男性はリックの左腕を曲げ、首に手をかける。
「下に落とします」
男性の足がリックの足の裏側にかかり、簡単に外へ投げ出された。
肩が柔らかな土に当たり、痛みはほとんどない。それよりも心臓が警鐘を鳴らしている。殺意に近い感情が垣間見えた気がしたが、気のせいだろうか。
「二階といっても高さはそれほどありません。それに土にシートも被せてあります。痛くないでしょう?」
「……ええ、痛みはありません」
身体は痛くない、と心の中で付け足した。
スタントマンの男性は、笑顔の下に見せられない何かを隠している気がした。ただの勘だ。勘でしかないのに、間違っているとは思えなかった。
「……では、今日も稽古といきましょうか」
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