あの夏をもう一度─大正時代の想ひ出と恋文─

不来方しい

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第一章 想ひ出

08 騒

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「どういうことだ?」
「お前はいろいろな才を持っている。絵は努力で上手くなっただろうが、人を寄せつける才はお前の持って生まれたものだ」
「人は幼少の頃の家庭環境で性格が決まるらしい」
「なんだそれは」
「真面目で勉学も人より努力を怠らないのは、いつも見えない圧力と戦い抜いてきたからじゃないのか? だから十二歳で学生寮に入って家を出たいなんて言えたんだ。ただどんな家で育っても、本田が努力のできる才を持っていることは変わらない。それに隣の芝生は青く見えるものだ」
「そういうものか?」
「親の存在は凄まじく人生に影響を及ぼすと思う。俺はまったくそういうのがないから、羨ましく思うときがある。親から大した期待もされていないとそれはそれで辛いものがあるぞ。三男なんて、長男と次男に何かあったときの補欠扱いでしかない」
「背負ったものの中で生きていくしかないんだな」
「そうだ。高校三年間と大学は俺たちに与えられた自由な時間だ。そこで道を作っていこう」
「学校の先生より良いことを言うな」
「ためになっただろう。そろそろ出ようか」
 久しぶりの珈琲はほろ苦いが、苦みの中に広がる奥深さが癖になる。ただ苦いだけではないと感じたのは、あの頃より着実に大人への階段を一歩上っているからだ。
「ふたりで奴らを慰めよう」
 バス停に茫然と佇む柏尾と松岡は、数時間前より明らかに頬が痩せこけている。
 結果はあえて聞かず、彼らの背中を何度も叩いた。



 定期テストが終わり、生徒たちは気の抜けた表情を浮かべている紅葉の季節──外が砂埃が舞い、大人たちが慌ただしく校庭へ集まっている。
「あれって警察じゃないか?」
「本当だ。何を慌てているんだ」
「小屋へ入っていくぞ」
 校庭の脇にある小屋へ大人たちが集まりだしている。
 他の教室からも生徒たちは顔を出し、興味の眼差しを向けていた。
「事件でもあったのか?」
「かもね。そろそろ寮に戻ろう」
「本田はいつも変わらないな」
 幸一とともに教室を出ようとした矢先、担任が入ってきた。
「本田、八重澤、席につけ。他の生徒も全員座れ」
 ただならぬ雰囲気を感じとり、クラスは一瞬で静寂に包まれた。
「許可が下りるまで、教室を出てはならん」
「えー、俺かわやに行きたいんですけど」
「やむを得ない事情がある者は特別に許可を出す。あとは全員ここから動くな」
「何があったんですか? せめて教えて下さい」
「生徒が亡くなった」
 静まった教室が一瞬でざわついた。
「死んだ? 何年生ですか?」
「殺されたってこと?」
「警察が来てましたけど、事件? 事故?」
「静かに!」
 ピリピリした空気に圧倒され、虎臣は机の下で拳を作った。
「場合によっては明日は休校となる。事件か事故かはこれから判ることだ。解除命令が下るまで、絶対にここから離れるな」
 担任が教室から出たのと同時に、ほとんどの生徒がグラウンドの成り行きを見守っている。
 虎臣は空いた時間に予習をしようと帳面を開くが、鉛筆がさ迷うだけで身が入らなかった。
 担架で運ばれていく生徒はぴくりともしない。
 側にいる幸一は手を合わせていて、虎臣も鉛筆を置いて目を瞑った。
 下校許可が下りたのはまもなくで、重い足を引きずるように寮へ戻った。
 寮の扉を閉めると、先に入った幸一はこちらを振り返った。
「いつ頃亡くなったんだろうな。昨日の放課後は異変なんてなかったように思えるけど」
「そういえば、昨日の放課後はどこへ行っていたんだ?」
「校庭の紅葉を描きたくて、少しだけ寄ったんだ」
 白と黒のみでしか描かれていないが、画帳には秋が訪れていた。空を覆う紅葉が太陽の光を浴び、紙一枚に世界が在る。
「テスト期間だから部活動もなくて、俺しかいなかった」
「そうなのか。でもよくないぞ。すぐに寮へ帰れって言われただろ」
「急に描きたくなったんだ。あんな風景を見せられたら画帳に写したくもなるだろ」
「確かに綺麗な紅葉だ」
「来年は同じようになるとは思わない。戦争で木が燃やされるかもしれない。伐採されるかもしれない。一瞬一瞬の美しいものは、絵に描いておきたい」
「戦争……か」
「俺たちが行かないなんて保証はない。なあ、もし俺が国から召集があったら……」
 扉が強く叩かれ、ふたりは背筋を伸ばした。
 柏尾や松岡とは違う叩き方だ。
「八重澤幸一はどちらだ?」
 警察官が二人と、背後には担任が控えている。
「八重澤は俺です」
「ついて来い」
 ふたりは同時に目を合わせた。
「何の用でしょうか?」
「いいから来い!」
 廊下では、他の生徒が顔を出している。
「ちょっと待って下さい。八重澤に何か用ですか? いきなり来いとか言われても……」
「本田!」
 頬に強い衝撃があり、目の前が真っ暗になった。
 警察官に頬を叩かれたと認識したのは、尻餅をついた臀部に痛みを感じてからだった。
「机の上から二段目」
 八重澤は耳元で囁くと、おとなしく警察官の後をついていく。
「本田、大丈夫か?」
 柏尾たちも騒ぎにかけつけ、虎臣を起こした。
「ありがとう。僕は大丈夫だから、早く部屋へ戻るべきだ」
「頬が真っ赤になってるぞ。医務室へ行こう」
「怪我はしていないから、お前たちは戻れ。ただでさえ教師たちはぴりぴりしているし、見つかったら生徒指導室へ連れていかれるぞ」
 問題を起こしたくないのも事実だった。家に連絡をされたくないし、何より継母の鬼の形相が目に浮かぶ。
「ありがとうな。また明日」
 心配そうに見つめる友人たちの背中を押し、虎臣も自室へ戻る。
 幸一が囁いた「机の上から二段目」を開けると、中には小型の救急箱があった。中はいろんな種類の薬が入っている。
 ぴりつく頬に薄く塗り、今日はもう休むことにした。
 彼が帰ってくることを想定して、幸一の分の布団も敷く。

 ところが朝になっても、布団はそのままだった。
 休校と連絡が入り、今日は宿舎で勉強に励めと達しがあった。
 学食で昼食を取った後、食堂にいる女性に、
「友人がまだ戻って来なくて、おにぎりを作ってもらえませんか?」
 と声をかけると、大きなおにぎりを二つ渡された。
 幸一の机に置いてまだかまだかと復習をしていると、廊下で這いずるような音がした。
 扉の向こうには、担任と幸一が立っている。
 あまりにひどい顔だった。頬が腫れ、一人で立つことが困難なのか担任に肩を借りている。
「本田は八重澤と同室だったな。おそらく明日も休校になる。一日面倒をみてやってくれ」
「一体どういうことですか? なぜこんなに怪我をしているんですか!」
「それに関してはもう解決済みだ。頼んだぞ」
 答えになっていない言葉を言い残し、担任はさっさと来た道を戻っていった。
 腫れ物に蓋をしているようで、担任の顔も幸一と同じようにしてやろうかと憎しみの感情が沸き起こる。
「布団敷いてくれていたんだな……」
 声も弱々しい。すぐに肩を貸し、彼を布団に座らせた。
「当たり前だろう。昨日から敷いていたんだ。昨日のうちに帰ってくると思ったのに。そうだ。おにぎりは食べられるか? もう冷めてしまっているが、食堂のおばさんに作ってもらったんだ」
「食べる。腹は空いているんだ」
「食べたら事情を聞かせてくれ」
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