あの夏をもう一度─大正時代の想ひ出と恋文─

不来方しい

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第一章 想ひ出

018 終

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「何を見ているんだ?」
「春画」
 布団の上で艶めかしい肢体が絡み合い、その様子を眺める人がいる。男の中心がそそり立ち、腰を動かす仕草をしていた。
「八重澤って、こういうのしたい側? それとも描きたいだけ?」
「両方だよ。ただ、したいってのは不特定の人とってわけじゃない。判るだろ?」
 幸一の目はまっすぐに虎臣を見抜いている。
「こ、これ……実際に行為を見ながら描いたんだよな」
「おそらくは。それか経験をそのまま絵に表したのかもしれないな。試してみようか」
 幸一に肩を押され、布団に寝ころんだ。
 腕を取られ、指先が触れる。太股の間に片足が入ってきた。
「こんな感じだっけ?」
「もっと……っ……手も絡んでた」
「こう?」
 受け身のままでいれば、春画よりももっと距離を詰められる。触れ合えば彼からの愛情を感じ、意識が遠退きそうになる。
 そのまま唇も貪られた。
「ごめん、これ以上はまずいな」
 名残惜しげに、唇は離れていく。
「あー、ずっとこうしていられたらなあ」
「人生を共にするんじゃなかったのか」
 幸一は固まり、そして子供のような無邪気な笑みを浮かべた。
 幸一はこちらを向く。まるで添い寝のような体勢だ。
「お前からそんな前向きな話は初めてじゃないか?」
「そうだっけ?」
「いつも逃げ腰で本当に俺を見てくれているのか不安になる」
「僕には八重澤しかいないよ」
 時計は共同風呂の時間を差している。のがせば明日まで入ることができない。
「八重澤、風呂に入りに行こう」
「今は難しい」
「過ぎたら入れなくなるぞ」
「十分だけ遅れていく。理解してくれ」
 太股に固く凝る熱が当たった。辛く切ない気持ちは理解できるためなんとかしてやりたいが、風呂の時間は迫っている。
 天秤にかけた結果、虎臣は立ち上がった。
「なんとかしてから来いよ」
「ああ、そうする」
 幸一は欲をぶつけることに戸惑いがない。望みをそのままに伝え、それに甘えてしまう。
「八重澤は?」
「部屋で勉強してる」
「あいつが? 珍しいな」
 風呂上がりの柏尾は、脱衣所で全裸のまま水筒の水を飲んでいる。
 気にせず、虎臣も服を脱いだ。
「お前、肌白いよなあ」
「はあ?」
「焼けないのか?」
「焼けないよ。真っ赤になって痛くなるだけで」
「ふうん」
 柏尾は人差し指で虎臣の背中をなぞった。
 妙なくすぐったさから、虎臣は身をよじる。
「やめろって……!」
「肌弱いのか」
「……何をしているんだ」
 脱衣所の入口で、幸一が立っていた。布団の上の艶っぽい顔はもうしておらず、腕を組んで指先で自分の腕を叩いている。
「じゃれていただけだ。何も気にすることはない。柏尾、風呂に入ったのなら早く服を着ろ」
 わざとそっけなく言い放った。幸一の目が怖くて彼を見られない。
 柏尾はいそいそと着替えると、脱衣所を出ていった。
「向こうが勝手にじゃれてきたんだ」
「誤解していないよ、大丈夫。残り時間が少ないから、早く入ろう」
 幸一は勢いよく全裸になり、風呂場へ向かう。
 虎臣も脱いだ後はたたみ、後に続いた。
「風呂場でふたりだけって初めてじゃないか」
「確かに。いつもは騒がしいくらいに誰かいるのに」
「背中流してやろうか」
「いいよ、別に。自分で洗う」
「柏尾には触らせて俺には触れるなっていいたいのか?」
「お前って……」
「ん?」
「いや、いい。頼む」
 誤解していないと言っていたわりには嫉妬深い。けれど悪い気はしなかった。
 風呂から上がり、彼に背中を洗ってもらう。手つきは優しい。
「こら、前はいい」
「残念」
 優しいが、手癖は良くない。虎臣は笑いながら幸一と交代し、背中を擦った。
「ふたりで住んだら、人の目もないし毎日洗いっこできるかもな」
「それだと大きな風呂がある家に住まなくちゃいけない」
「風呂を作るって手もある」
「作れるのか?」
 質問を投げたが、絵だけではなく器用に物作りの才もある幸一なら作れるかもしれない。
「お前と風呂に入るためなら、なんだってすると思う」
 真顔で言うものだから、声を上げて笑ってしまった。
「わかったわかった。早いけどもう出よう。消灯の時間が迫っいる」
 こういう生活も、あと一年だ。一年もあるととるか、一年しかないととるか。
 先を考えると胸の奥がざわめき出す。終わりに近づくのは大人への階段を上っている証だ。子供のままでいられれば同じ生活が続いていく。けれど逃げと同じだ。
 先を見据える不安は無限に広がり続ける。同時に、彼との未来も夢見ていた。









──大正一二年、九月一日。
 校舎の工事の都合で、夏季休暇が九月に及んだ。
 実家で高校最後の夏季休暇を過ごすつもりが、父に連れられるまま別荘へとやってきた。
 休暇へ入る前に幸一も来ると聞いたが、今回ばかりは彼と遊ぶためではない。父の付き合いと涼しい中で勉強するため、が正しい。実際に、八重澤家と初日に挨拶を交わしてから一度も会っていなかった。
 居づらいことに、今は紅緒とふたりきりだ。
 紅緒はティーカップを起き、タエにおかわりを要求した。
 だがタエは薫子と買い物に出ていておらず、彼女はじっとこちらを見てくる。
 お茶を入れてほしいのだろうが、虎臣は彼女の視線に気づかないふりをした。
「どこかで工事でもしているのかしら?」
 紅緒は独り言を漏らす。
 今日は朝から小刻みに揺れが起こっていた。
 虫の知らせを信じているわけではないが、なんとなく嫌な予感がして胸がざわめいていた。動悸や息切れが起き、麦茶を飲もうと部屋から下りてきたところだった。
「薫子とタエを迎えに行ってきます」
 息苦しい空気に耐えられず、虎臣は別荘を出た。
 幼少の頃は愛情がほしくて彼女に何度も声をかけたりもした。実子である薫子と同じように好いてもらいたかった。だが願いは叶わず、いつしか彼女の視線から逃れようとしている自分がいた。
 別荘を出てから一分も経っていないとき、地面にまたもや小刻みの揺れが起こった。
 揺れの奥に地下で爆発するような、押し上げてくる衝撃が靴を通して伝わる。立っていられなくなり、近くの大樹にしがみついた。
 突然、地鳴りとともに大きな揺れが起こった。縦にも横にも揺れ、大樹はみしみしと音を立てて土がひび割れを起こしていく。
 叫び声が辺り一面に響く。建物は次々と崩壊していく。人間の力などちっぽけで、自然には対抗できない。
 揺れが収まっても、虎臣は大樹の側から離れられないでいた。自然に勝つのは人間ではなく自然だと、あれだけの揺れを伝わっても天高く立つ木は堂々としていた。頼れるものに、今はすがっていたかった。
 建物が崩れたときに沸き起こった灰色の煙は徐々に収まり、ようやく回りの状況を確認できるようになった。
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