淫宮の秘め事と薬師シキ

不来方しい

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第一章 貴族と山の村娘

03 村人との別れ

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 何度読んでも第五夫人と記されており、強制的な書き方に怒りすら沸いてくる。
「し、しき…………」
「大丈夫だ、鈴。心配するな。私は男だ」
「けれど、煌苑殿の禧桜陛下は、とても好色だと聞きます。もし男士も女人も見境のない方であれば……」
「煌苑殿とは、懐かしいのお……。五年前に毒蛇に噛まれた客人がやってきた以来じゃ」
 織の鼓動はいやでも反応をしてしまう。
 もう五年なのだ。彼と別れてから考えないようにしていたが、浮かぶのは熱のこもった鋭い目つきだ。彼は本気で想いを募らせていた。だが答えられなかった。性別の違いはどうしても越えられるものではない。せめて彼の夢を壊さないようにと、最後の別れまで少女のふりを突き通した。
「村長、私は行きます」
「待て。もしかすると女人と勘違いをしておられる可能性もある。まずは手紙を送ろう」
「もしやすると瑛殿が関わっているのではないかと思うのです」
「彼が?」
「お貴族様がこんな辺鄙な村を知るのは、普通ではありえないことです。煌苑殿へ行って瑛殿に事情を説明すれば、助けてくれるかもしれません」
「しかし…………」
 村長は唸るしかない。村随一の薬の知識を持つ織だ。
「私の持つ知識は、鈴や他の子にも伝授してあります。誰にも漏らしません。いざとなったら、歯の隙間に仕込んだ毒薬を噛み砕きます」
「織」
 村長は織の肩に手を置いた。
「絶対に死んではならん。無事に生きて戻ってくれ。それと付き人として、蓮を一緒に行くよう伝える」
「蓮を? いいえ、彼の剣の腕はかなりのものです。この村と鈴を守ってほしいと願います」
 蓮は鈴の兄だ。鈴はとても蓮に懐いていて、永遠の別れになる可能性も視野に入れると、とても連れていく気にはなれなかった。
「随時、梟を使い一報を送ります。どうかご心配なく」
「織……織…………、」
「泣くな、鈴。お前が村の発展のために薬師として働かなくてはならない。私の分も頼んだぞ」
「また会えるよね? 帰ってくるよね?」
「もちろんだ。泣き虫の鈴を置いて死ぬものか」
 泣きわめく鈴を見ていると、今生の別れを告げるつもりもなかった。
「蓮、鈴を頼む」
「俺の妹だ。必ず守る」
 がっしりと拳をぶつけ合い、腕の太さが心底羨ましいとも思った。
 蓮は武人になるために生まれてきたような男だ。男ならば誰もが憧れる身体を持ち、誰よりも強い。ああなりたいと鍛えても、上背も違いすぎるしなれるものではない。
 父と母は泣いていた。織も泣きたかったが、涙を流さなかった。長男としてしっかりしなければならなかった。
 出発の日、織は真っ白な装束にシンプルな首飾りと口元までの長さのあるヴェールを覆い被せてもらい、馬車に乗り込んだ。
「花嫁選びだというのに、山に住む村娘は首飾りしかつけておらぬ」
「腕輪もヴェールにも宝石すらあしらってすらないとはな。まあ、一次審査で落とされるだろう」
 馬を引く男たちはあざ笑っている。
 丸聞こえだ、と悪態を心の中でつきつつ、外の眺めた。
 ゆっくりと変わりゆく風景は、時折小鳥のさえずりと共に花の香りが馬車内まで漂う。
 付き人は馬車を引く男二人のみだ。丁重に扱うつもりはないのだと判断した。村娘ではなく、貴族の娘ならば何台もの馬車を引き連れてもてなしただろう。
 しばらく外をぼんやりと見ていると、馬車が大きな揺れと共に馬がひと鳴きする。
「山賊だ!」
 男の叫びが聞こえた直後、血の臭いが鼻についた。
 外から扉が開けられる。数人の男たちが中にいる花嫁を見ては品定めのように見つめ、やがて下品な笑いを浮かべる。
「おい、上玉だ」
「高い値段で売れそうだな」
 織は怯えたふりをすると、男の一人が腕を伸ばした。
 織は太い腕を捻り上げる。骨の軋む音が聞こえた。
 腰にささっている剣を奪うと、鞘で男の喉をついた。
 狭い馬車の入り口はもってこいだ。一対一で戦える。
 次々と男を気絶させると、織は山賊たちの口の中に薬を入れた。作ったばかりの睡眠薬だ。これでしばらくは起きることはない。
 織は外に出ると、馬が興奮して動き回っていた。馬具が外れてしまっている。
「よしよし。もう大丈夫だ。怖くないよ」
 首の辺りを撫でると、興奮しきった馬は次第に落ち着きを取り戻す。
 しばらくすると、向こうから馬の足音が聞こえる。織は剣を握り直した。
 馬車には煌苑殿の紋章がついている。馬が異常を感じて止まると、中から人が降りてきた。
「花嫁殿、これは一体……」
 織は深くヴェールを被る。煌苑殿へ着くまでは男士と会話はしてはいけない。処女性を表すためと、単に男だとばれる可能性があったためだ。
「何事だ」
 出てきた男の顔に見覚えがあった。五年の月日が流れたが、あのときよりも身体が一段とたくましくなっている。
「花嫁は無事か?」
「柏郭、こちらに」
 近づこうとした柏が一瞬止まる。下品にならない程度で花嫁を眺めると、織の前で膝を折った。
「花嫁殿、よくご無事で。この度は大変なご足労をかけた長旅でございました。我々が出向こうとした矢先、すでにお迎えに上がったと一報を受け、緊急で参りました。もう少しで宿へ到着します」
 状況をみるに、柏は花嫁を迎える役を任されたようだ。命を受けていない者が勝手に迎えに来て、ずれが起こっていたようだ。
「山賊たちは我々が拘束し、衛兵たちへ引き渡します。花嫁殿、そちらの刀をお渡し下さい」
 織は無言で刀を差し出した。
「ではこちらの馬車へお乗り下さい。今まで乗られていた馬車よりは乗り心地が良いですよ」
 織は状況を見守っている馬の首を撫で、動こうとしなかった。
「ご安心下さい。そちらの馬は丁重に扱います。煌苑殿へ一緒に連れていきましょう」

 太陽が沈む直前に宿へついた。重い羽織と花嫁衣装をようやく脱ぎ、織は温泉に足をつけた。
 ほどよい温度で、身体の芯まで温まる。満月の夜に温泉など、こんな贅沢はない。
 想うのは父や母、鈴たちだ。泣かずに生活しているだろうか。泣き虫の鈴のことだから、まだめそめそしている可能性だってある。
 目の奥に痛みが走ったところで、温泉から出た。
 上質な寝間着は彼らが用意したものだ。最初に来た男たちは村娘といえど花嫁相手にあまりに無礼な振る舞いだと思ったが、柏が率いた迎えは慇懃な扱いだ。煌苑殿内でも派閥があるのではないか、と感じた。
 部屋へ戻ってもしばらくは満月を眺め、温泉の香りを楽しみながら眠りについた。

 翌朝はまた馬車に乗って山を下りた。
 温泉は山だけかと思いきや、下り坂でも香りが強い。
「煌苑殿でも温泉を引いているのですよ。怪我や病気、美容にも良いと評判です」
 身を乗り出して見ていたからか、柏は楽しげに語ってくる。
 こちらから話しかけてはいけないため、せめてもの感謝で頷いた。
 やがて見えてきたのは、真っ白な塀だ。天にも上るほど高い塀に、唖然とする。
「まずは部屋へご案内します。いつまでもそのような格好であるとお疲れでしょう」
 馬車が止まると、外から柏が扉を開ける。
 迎えは誰もいなかった。
「出迎えがないことを、どうかお許し下さい」
 織は頭を振った。第五夫人になれると決まったわけではない。いくつかの試験や面接を突破し、初めて第五夫人になれるのだ。織は最初に落ちるつもりでいた。所詮村娘だと思わせ、帰れるようなら生きて帰りたいと願った。
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