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第三章 母を追って
056 なくなったネックレス
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「パティシエとしての腕は確かですが、嫌なやり方で人を見抜く人物といいますか。フィンリーとはまた違ったタイプです。一定の分野において、節操がない」
アーサーはきっぱりと告げる。嫌な想い出でもあるのか、声がいっそう低くなった。
「ジルは人を見抜く力や才能、腕はある人です。フランス語も英語も話せますので、言語も学べます。条件は申し分ないかと。ただ、日本とイギリスです。あなたが思っている以上にとても遠い」
彼が言うと、とても胸が痛かった。
初恋の人を思い続けた人だ。海を越えてやってくるまで、葛藤や苦しみは計り知れない。
肩が触れ合うと、アーサーの震えが伝わってきた。
「寒いですか?」
「いえ……そうではなく。実は、とても緊張しています。縛ってはだめだと分かっているのに、目の前にいる憧れた人をどうしても手放したくない」
「アーサーさん……」
「すぐにお返事は入りません。あなたの人生です。じっくりと考えてほしい」
「分かりました。絶対に後悔のない選択をします。アーサーさんの人生設計についても聞きたいです。占い師は続けるんですよね?」
「ええ。実は週に数回ほどですが、ネット上で占いを始めているんです。相談者の顔を見ながら占うより、わざわざ店に足を運ばなくていいのか、けっこうな数の方から相談を寄せられておりまして。一か月待ちになっています」
「ええ? それはすごい」
「どうやら占い師を面と向かうのは勇気のいることだと考えている方が非常に多いようです。有料でそこそこ高い値段を設定しても、占ってほしいとおっしゃいます。ネット社会だと言われていますが、これほど需要があるとは、と驚いています」
「ネットだと地球上から会いに来られますからね」
「ええ。ですがこうして直接お会いできないと、寂しくもあります」
アーサーの髪を結ぶリボンが頬を撫でた。ケガをしたところをかすめ、安堵感が生まれ、心がほっとする。
「迎えがくる前に戻りましょう」
夕方にさしかかる頃、彼方は早めに案内された部屋に入った。
映画がいくつか用意してあり、テーブルにはチェスやギターととにかくなんでも揃っていた。
適当な映画を取り、再生ボタンを押すと、女性が踊るシーンからスタートする。
字幕をあえてつけずに観ると、字幕があるのと比べ耳に入ってきやすかった。
これは日本で言語を学ぼうとしたとき、アーサーからおすすめされた方法だ。
目が文字を追わない分、耳が集中できると言われ、言葉が聞き取りづらくても役者の動きや表情で予想できる。
二時間ほどの映画が終わった頃、廊下で慌ただしい足音がした。
「何かあったんですか?」
廊下でおろおろしているメイドに声をかけた。
「ちょっと問題が起こりまして……」
曖昧に答えようとしないメイドに、彼方は部屋を飛び出した。
階段を下りるとすぐにアーサーを発見した。レイラもいる。レイラはアーサーに抱きつき、癇癪を起こしていた。
「どうしたんですか?」
彼方の姿を見ると、アーサーはレイラを引き剥がした。
「レイラが大切にしていたネックレスがなくなったらしいのです」
「お母さまからもらったものなの!」
「忘れてきたんじゃないの?」
へらりと茶々を入れたフィンリーに、レイラは強い視線を浴びせる。
「全員の荷物を調べて!」
「お嬢様、いくらなんでもそれは……」
ふわりと香水の香りがした。隣にいるアーサーのものではない。
シンプルなワンピースには癖のあるブロンドヘアーが垂れ下がり、シャンデリアの光を反照している。薄いピンクの唇が閉まり、大きな碧眼がこちらを向いていた。
「このような状況ですが、ご紹介します。私の母のナタリー・ドヴィエンヌです」
「息子の友達だというのは本当だったのね」
アーサーには空港でナタリーと会ったことを話していなかった。
不思議そうな目で見てくるアーサーに説明する。
「ああ、そんなことがあったんですね」
「やっぱり、親子だけあって似ていますね」
アーサーは一瞬止まり、曖昧に頷く。ナタリーを伺うように一瞥する。
親子というより他人だった。ナタリーの視界に入ろうとしないアーサーは、彼方の側が一番近い。
「感動の再会は後にして。私のネックレスの方が大事でしょ? アーサーお兄様」
「最後に見たのはいつですか?」
アーサーは質問には答えず、質問で返した。
「夕方の集まりの前にはちゃんと確認したわ。戻ってきて部屋で着替えようとしたら、ネックレスがなかったの」
「私は荷物チェックをされる理由がないわ。部屋に荷物を置いてからすぐに会合場所へ移動した。その間、必ず付き人が二人以上いたし、そもそもレイラの部屋がどこか分からないもの」
ナタリーは淡々と拒否をした。
「そもそも荷物を見て、ネックレスが出てくるとは思えませんが」
「アーサーお兄様だって大切なものはあるでしょう? 大事そうに国際便をいつも持ち歩いているじゃない。私にも見せて下さらないし」
アーサーは息をつまらせる。分かりやすいほどに顔を背け、全身が聞くなと訴えている。
「子供のわがままなんてまさか思わないわよね?」
「オーケイ。それなら全員の荷物と部屋のチェックをしよう。ただしもし出てこなかった場合は、ここにいる間はわがままを言わないこと」
「私、わがままなんて言わないわ」
「今朝、ドレスの色でひと悶着あったよね?」
フィンリーは詰め寄られると、レイラは唇を結んだ。
「分かったわよ。ただし徹底的に調べてよね」
「私は部屋に戻るわ。夕食の時間になったら呼んで」
ナタリーはマイペースに階段を上がっていく。
アーサーは何も声をかけなかった。一歩一歩歩く彼女を見つめている。
「ナタリーさんがもし空いた時間があったら、一緒にお茶したいです」
アーサーにだけ聞こえる声で囁くと、はっと顔を上げた。
「ええ、ぜひ。誘ってみます」
忙しくメイドか駆け回る中、アーサーは彼方を連れてロビーの端にあるソファーへ腰を下ろした。
「少し緊張していました。母と会うのは久しぶりなもので」
「僕も日本に帰って家族と会う前は緊張しますよ。よくあることですから。もしかして、家族が似ているってあまり言ってはいけない言葉でしたか?」
「そんなことはないのですが……」
アーサーは言葉を濁す。
「喉まででかかったことがあるんですけど、言っていいのか」
「もうそんな間柄ではないでしょう?」
アーサーは笑った。つられて彼方も笑みをこぼす。
「お母さんのこと、ちょっと怖がってます?」
「怖い、ですか。すとんと心に落ちた気がします。母というより、ステージ上の歌手というイメージが強いですから。母の現状を知るのは、いつもマスコミを通してです」
それならば、なんとかしてナタリーを誘わなければ、と彼方は心に誓った。
「心理学に興味を持ったのも、母の心を知りたかったからかもしれませんね」
「家族を愛していなければ、出ない言葉だと思います」
二階が慌ただしくなった。
メイドが大声を上げて大変だと言い、アーサーに遅れて彼方も立つ。
「見つかりました……」
遠慮がちに言うメイドは、引きつった顔で彼方を見ていた。
アーサーはきっぱりと告げる。嫌な想い出でもあるのか、声がいっそう低くなった。
「ジルは人を見抜く力や才能、腕はある人です。フランス語も英語も話せますので、言語も学べます。条件は申し分ないかと。ただ、日本とイギリスです。あなたが思っている以上にとても遠い」
彼が言うと、とても胸が痛かった。
初恋の人を思い続けた人だ。海を越えてやってくるまで、葛藤や苦しみは計り知れない。
肩が触れ合うと、アーサーの震えが伝わってきた。
「寒いですか?」
「いえ……そうではなく。実は、とても緊張しています。縛ってはだめだと分かっているのに、目の前にいる憧れた人をどうしても手放したくない」
「アーサーさん……」
「すぐにお返事は入りません。あなたの人生です。じっくりと考えてほしい」
「分かりました。絶対に後悔のない選択をします。アーサーさんの人生設計についても聞きたいです。占い師は続けるんですよね?」
「ええ。実は週に数回ほどですが、ネット上で占いを始めているんです。相談者の顔を見ながら占うより、わざわざ店に足を運ばなくていいのか、けっこうな数の方から相談を寄せられておりまして。一か月待ちになっています」
「ええ? それはすごい」
「どうやら占い師を面と向かうのは勇気のいることだと考えている方が非常に多いようです。有料でそこそこ高い値段を設定しても、占ってほしいとおっしゃいます。ネット社会だと言われていますが、これほど需要があるとは、と驚いています」
「ネットだと地球上から会いに来られますからね」
「ええ。ですがこうして直接お会いできないと、寂しくもあります」
アーサーの髪を結ぶリボンが頬を撫でた。ケガをしたところをかすめ、安堵感が生まれ、心がほっとする。
「迎えがくる前に戻りましょう」
夕方にさしかかる頃、彼方は早めに案内された部屋に入った。
映画がいくつか用意してあり、テーブルにはチェスやギターととにかくなんでも揃っていた。
適当な映画を取り、再生ボタンを押すと、女性が踊るシーンからスタートする。
字幕をあえてつけずに観ると、字幕があるのと比べ耳に入ってきやすかった。
これは日本で言語を学ぼうとしたとき、アーサーからおすすめされた方法だ。
目が文字を追わない分、耳が集中できると言われ、言葉が聞き取りづらくても役者の動きや表情で予想できる。
二時間ほどの映画が終わった頃、廊下で慌ただしい足音がした。
「何かあったんですか?」
廊下でおろおろしているメイドに声をかけた。
「ちょっと問題が起こりまして……」
曖昧に答えようとしないメイドに、彼方は部屋を飛び出した。
階段を下りるとすぐにアーサーを発見した。レイラもいる。レイラはアーサーに抱きつき、癇癪を起こしていた。
「どうしたんですか?」
彼方の姿を見ると、アーサーはレイラを引き剥がした。
「レイラが大切にしていたネックレスがなくなったらしいのです」
「お母さまからもらったものなの!」
「忘れてきたんじゃないの?」
へらりと茶々を入れたフィンリーに、レイラは強い視線を浴びせる。
「全員の荷物を調べて!」
「お嬢様、いくらなんでもそれは……」
ふわりと香水の香りがした。隣にいるアーサーのものではない。
シンプルなワンピースには癖のあるブロンドヘアーが垂れ下がり、シャンデリアの光を反照している。薄いピンクの唇が閉まり、大きな碧眼がこちらを向いていた。
「このような状況ですが、ご紹介します。私の母のナタリー・ドヴィエンヌです」
「息子の友達だというのは本当だったのね」
アーサーには空港でナタリーと会ったことを話していなかった。
不思議そうな目で見てくるアーサーに説明する。
「ああ、そんなことがあったんですね」
「やっぱり、親子だけあって似ていますね」
アーサーは一瞬止まり、曖昧に頷く。ナタリーを伺うように一瞥する。
親子というより他人だった。ナタリーの視界に入ろうとしないアーサーは、彼方の側が一番近い。
「感動の再会は後にして。私のネックレスの方が大事でしょ? アーサーお兄様」
「最後に見たのはいつですか?」
アーサーは質問には答えず、質問で返した。
「夕方の集まりの前にはちゃんと確認したわ。戻ってきて部屋で着替えようとしたら、ネックレスがなかったの」
「私は荷物チェックをされる理由がないわ。部屋に荷物を置いてからすぐに会合場所へ移動した。その間、必ず付き人が二人以上いたし、そもそもレイラの部屋がどこか分からないもの」
ナタリーは淡々と拒否をした。
「そもそも荷物を見て、ネックレスが出てくるとは思えませんが」
「アーサーお兄様だって大切なものはあるでしょう? 大事そうに国際便をいつも持ち歩いているじゃない。私にも見せて下さらないし」
アーサーは息をつまらせる。分かりやすいほどに顔を背け、全身が聞くなと訴えている。
「子供のわがままなんてまさか思わないわよね?」
「オーケイ。それなら全員の荷物と部屋のチェックをしよう。ただしもし出てこなかった場合は、ここにいる間はわがままを言わないこと」
「私、わがままなんて言わないわ」
「今朝、ドレスの色でひと悶着あったよね?」
フィンリーは詰め寄られると、レイラは唇を結んだ。
「分かったわよ。ただし徹底的に調べてよね」
「私は部屋に戻るわ。夕食の時間になったら呼んで」
ナタリーはマイペースに階段を上がっていく。
アーサーは何も声をかけなかった。一歩一歩歩く彼女を見つめている。
「ナタリーさんがもし空いた時間があったら、一緒にお茶したいです」
アーサーにだけ聞こえる声で囁くと、はっと顔を上げた。
「ええ、ぜひ。誘ってみます」
忙しくメイドか駆け回る中、アーサーは彼方を連れてロビーの端にあるソファーへ腰を下ろした。
「少し緊張していました。母と会うのは久しぶりなもので」
「僕も日本に帰って家族と会う前は緊張しますよ。よくあることですから。もしかして、家族が似ているってあまり言ってはいけない言葉でしたか?」
「そんなことはないのですが……」
アーサーは言葉を濁す。
「喉まででかかったことがあるんですけど、言っていいのか」
「もうそんな間柄ではないでしょう?」
アーサーは笑った。つられて彼方も笑みをこぼす。
「お母さんのこと、ちょっと怖がってます?」
「怖い、ですか。すとんと心に落ちた気がします。母というより、ステージ上の歌手というイメージが強いですから。母の現状を知るのは、いつもマスコミを通してです」
それならば、なんとかしてナタリーを誘わなければ、と彼方は心に誓った。
「心理学に興味を持ったのも、母の心を知りたかったからかもしれませんね」
「家族を愛していなければ、出ない言葉だと思います」
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