ノイズの都市

久遠 司

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第3章「八尺様」

第2話 信頼という餌

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通報は、正式なものではなかった。
担任が、個人的にかけてきた電話だった。

「……欠席です。連絡がつかない。
昨夜までは、家にいたはずなんですが」

声が、必要以上に低い。
校内で騒ぎにしたくない——その焦りが滲んでいる。

「名前は」
鷹宮が問う。

「……昨日、お話しした子です」

電話が切れたあと、事務所には短い沈黙が落ちた。

「……始まったな」
鷹宮が言う。

久遠は、すでに端末を開いていた。
表示されているのは、地域の掲示板と、非公開の保護者向けチャット。

《朝から姿が見えない》
《白い服の人を見たって言ってた子?》
《うちの子も、同じ声を聞いたって——》

「……連鎖が早すぎる」
久遠は言う。「恐怖じゃない。“安心”が伝播してる」

「安心?」

「“優しい存在が迎えに来る”って認識」
久遠は画面を切り替える。「注意喚起の言葉が、逆効果になってる」

鷹宮は眉を寄せた。「どういうことだ」

「大人が“気をつけろ”って言うほど、
子どもは“秘密の味方”だと思う」

沈黙。

「……信頼を煽る構造か」
鷹宮は低く言った。



学校へ向かう車内。
朝の光は穏やかだが、街の輪郭がどこか薄い。

「防犯カメラは?」

「通学路、校内、全部確認した」
久遠は首を振る。「映ってない」

「連れ去りなら、ありえない」

「物理的には、ね」
久遠は続ける。「でも、“付いて行った”なら話は別」

鷹宮は、ハンドルを握る指に力を込めた。



校庭には、すでに警察が来ていた。
形式上は「家出扱い」。
だが、教師たちの顔色は悪い。

「……あの倉庫の前です」
校長が言う。「最後に目撃されたのは」

倉庫は、昨日と同じ姿で立っていた。
変わったところはない。
変わっていないことが、不気味だった。

「……聞こえる?」
久遠が小声で尋ねる。

鷹宮は、首を横に振る。

だが——
校庭の隅で、数人の子どもが立ち止まった。

誰もいないはずの空間を、見上げている。

「……ぽ」

小さな声が、空気に混じる。

「……ぽ、ぽ」

子どもたちの表情は、恐怖ではない。
期待だ。

「まずいな」
鷹宮が言う。

久遠は、すでに動いていた。
教師に合図を送り、子どもたちを屋内へ戻す。

だが、一人だけ、動かない。

「……あの子」

昨日、消えた少女と仲の良かった少年だ。

「来るよ」
少年は、誰にともなく言った。

「誰が」

「……白い人」

倉庫の影が、ゆっくりと伸びた。

昨日より、明らかに近い。

『ぽ、ぽ……』

声が、空間に溶ける。
大人の耳には届かない。
だが、子どもたちは、確かに聞いている。

「……信頼が、完成しつつある」
久遠が言う。「“守ってくれる存在”として認識されてる」

「止める方法は?」

久遠は、答えに詰まった。

「……直接、否定するのは逆効果だ」

「なら、どうする」

「“信頼の向き”を、変える」

鷹宮は即座に理解した。

「……大人を、間に入れる」

「ううん」
久遠は首を振る。「子ども自身に、選ばせる」

少年が、一歩、倉庫へ近づく。

「……久遠」

「分かってる」

久遠は、しゃがみ込み、少年と同じ目線になった。

「ねえ」
久遠は、できるだけ柔らかく言った。「その人、名前は?」

少年は首を傾げる。「……分かんない」

「じゃあ、約束は?」

「……一緒に行こうって」

久遠は、少し間を置いた。

「“いつ帰るか”は、言ってた?」

少年は、答えられなかった。

久遠は、静かに続ける。

「約束ってね、
帰る時間が分からないものは、
大人はしてはいけないんだ」

少年の表情が、わずかに揺れた。

倉庫の影が、止まる。

『……ぽ?』

声に、初めて迷いが混じった。

「……久遠」
鷹宮が低く言う。

「今だ」

久遠は、少年の肩に手を置いた。

「今日は、行かなくていい」
はっきりと言う。「“また今度”って言って」

少年は、しばらく迷ったあと——
小さく、頷いた。

「……また、今度」

その瞬間。

影が、歪んだ。

空間が、引き延ばされたように揺れ、
高さだけの存在が、後退する。

『……ぽ……』

声は、遠ざかる。

倉庫の影は、元の形に戻った。



その後、消えた少女は見つからなかった。
だが、新たな失踪者は出ていない。

噂は、徐々に形を変え始めた。

《優しい人は、ちゃんと約束をする》
《知らない人についていかない》

誰かが意図的に流したものではない。
大人の言葉が、噂を上書きした結果だった。



事務所に戻り、久遠は椅子に深く座り込んだ。

「……今回のは、きついな」

鷹宮は、黙ってコーヒーを置いた。

「八尺様は、
“存在”じゃない」
久遠が言う。「役割だ」

「連れて行く役割か」

「うん。信頼を利用する役割」

鷹宮は、窓の外を見た。

「……次は、もっと露骨になる」

久遠は、ゆっくりと頷いた。

「噂は、
もう“保存”の段階を過ぎてる」

端末が、震えた。

新着通知。
差出人不明。

《次は、メリーさん》

鷹宮は画面を閉じ、短く言った。

「……電話か」

信頼を餌にする存在は、
まだ、終わらない。
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