ノイズの都市

久遠 司

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第3章「八尺様」

第3話 約束を破るもの

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電話は、鳴らなかった。

それが、何より異常だった。

「……メリーさんなら、電話だ」
鷹宮は言った。

久遠は、端末を伏せたまま答える。「だからこそ、鳴らない。
“次”は、電話そのものじゃない」

窓の外は、夕暮れに差しかかっていた。
校庭の倉庫の影が、長く伸びる時間帯。
あの“高さだけの存在”が、最も活動しやすい時間でもある。

「八尺様は、“信頼”を餌にした」
鷹宮は続ける。「そして今日は——」

「“約束”だ」
久遠が言葉を継ぐ。



再び学校へ向かう途中、久遠は地域掲示板を確認していた。

《昨日の子、無事?》
《白い人、今日は出ない?》
《また“ぽぽぽ”聞こえたって》

だが、その中に、一つだけ異質な投稿が混じっていた。

《電話が、鳴らない》

久遠は、その投稿を拡大する。

「……内容は?」

「“いつも決まった時間に、誰かから電話が来てた。でも今日は来ない。
代わりに、家の中が静かすぎる”」

鷹宮は眉を寄せた。「子どもか」

「うん。昨日の少年の家だ」



家は、普通の住宅だった。
玄関に靴は揃い、室内も荒れていない。

異常は——音だけだ。

「……静かすぎる」
鷹宮が言った。

時計の秒針の音すら、遠く感じる。

久遠が、低く言う。「“待たされている”」

リビングの中央で、少年が座っていた。
電話機の前で、正座している。

「……来ないんだ」
少年は、ぽつりと言った。

「何が」
久遠が、同じ目線にしゃがむ。

「白い人」
少年は答える。「約束したのに」

「どんな約束?」

「“また今度”って言ったら、
“次は電話する”って」

鷹宮の背中に、冷たいものが走る。

「……約束を、変えたな」

久遠は、ゆっくり頷いた。

「信頼を失った存在は、
別の接触手段を選ぶ」

その瞬間。
電話機が、鳴った。

——リン。

短く、乾いた音。

少年の顔が、ぱっと明るくなる。

「……来た」

「出るな」
鷹宮が、即座に言った。

だが、少年はすでに受話器に手を伸ばしている。

「——待て!」

リン、リン。

電話は、切れない。
まるで、出るまで鳴り続けるつもりのように。

久遠が、息を吸い込む。

「……鷹宮。これは——」

「分かっている」
鷹宮は言った。「“約束を守る存在”を演じている」

少年の指が、受話器に触れた。

「……もしもし?」

ノイズが、部屋に満ちる。
だが、声は優しい。

『——ちゃんと、電話したよ』

少年の表情が、緩む。

『約束、守ったでしょ』

久遠が、一歩前に出る。

「……いつ、帰るって言った?」

少年は、答えられない。

『——そんなの、決めなくていい』

その言葉が、決定的だった。

鷹宮は、迷わなかった。

電話線を、抜いた。

ノイズが、悲鳴のように跳ねる。
受話器から、歪んだ音が漏れた。

『——ぽ、ぽ——』

それは、もう“優しい声”ではなかった。

少年が、我に返ったように目を瞬かせる。

「……あれ?」

沈黙。

部屋の音が、戻る。
時計の秒針が、再び聞こえ始めた。



外に出ると、夕暮れはすっかり夜に近づいていた。

「……強引だったな」
久遠が言う。

「約束を破るのは、大人の役目だ」
鷹宮は淡々と答えた。「子どもにやらせるわけにはいかない」

久遠は、しばらく黙ってから言った。

「八尺様は、
“守るふり”をする存在だった」

「だが、帰り道を示さない」

「うん」
久遠は頷く。「それは、保護じゃない」

二人は、振り返らずに歩いた。



翌日以降、
“白い人”の噂は急速に弱まった。

代わりに、別の噂が広がる。

《知らない人との約束は、守らなくていい》
《電話でも、だめなものはだめ》

誰かが意図的に流したわけではない。
大人の介入が、噂を書き換えただけだ。

失踪した少女は、戻らなかった。
だが、これ以上の被害は出ていない。



事務所に戻り、久遠は深く息を吐いた。

「……八尺様は、終わった?」

鷹宮は、怪談集の背表紙に指をかける。

「役割は、終わった」

「でも——」

「噂は残る」
鷹宮は言った。「次に“信頼”が必要になった時、
別の形で現れる」

久遠は、苦く笑った。

「……便利な存在だ」

その時、端末が震えた。

新着通知。
差出人不明。

《次は、赤い部屋》

鷹宮は画面を見つめ、静かに言った。

「……今度は、選択か」

久遠が、頷く。

「“自分で選んだ”と思わせるタイプだ」

窓の外で、街は今日も静かに息をしている。
子どもたちの声が、遠くで聞こえた。

だが、その裏側で。
噂は、次の役割を準備していた。

——第3章・了。
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