幽鬼のホームカミング! 〜ダンジョンを追い出された最強のラスボスとEランク冒険者が契って挑む悪夢の迷宮黙示録〜

赤だしお味噌

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ダンジョンの入り口から帰宅する幽鬼

分煙問題

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 ◇◆◇



 一週間ほど前の出来事。

「分煙……?」

 タバコの煙で病気になるような軟弱なやつは、ここ絆の深淵にはいない。

 そんな俺の抗議は聞き入れられなかった。

 次々と明らかになる健康被害。副流煙の恐怖。取れない匂い。着色汚れ。お前の吐いた空気を吸っているのがはっきり分かるという不快感。

 禁煙や分煙が人間社会で声高に叫ばれる、スモーカーには肩身の狭い昨今。

 ダンマスが先日、数年ぶりに人間の街にお使いを寄越よこして地上の様子を観察した直後のことだった。そんな時代の潮流ちょうりゅうに感化されてしまったのは。

「――いや、でも分煙って言ったって……俺、自分の部屋でしか吸ってないけど?」

 吹かしていたタバコをぐりぐりと指で潰して言った。

 そんな俺の眼前で仁王立ちになるダンマス。

「――え、あんたが俺の部屋で遊ぶ時に臭い……? なんじゃそりゃ!」

 さすがに納得いかず、立ち上がる。

「だいたい、あんた、なんで俺の部屋に侵入してくるんだよ⁉ わざわざ鍵まで締めて拒否の意思表示をしているのに、マスター権限で解錠して入ってきて、あまつさえ俺のプライベートにまで文句言うなんて反則だろ⁉」

 俺は綺麗好きなのだ。

 タバコは吸うが、それなりに周囲には気をつかっている。自分の部屋以外だと開放空間か、あるいは換気扇の前以外では吸ったことがないし、掃除もしっかりやる。

 年に一回の大掃除では、重曹じゅうそうを染み込ませた雑巾で床、壁、天井、家具に至るまでを磨き上げ、カーテンだって月に一回は洗濯している。

 吸う時間帯だって、匂いで皆の睡眠を害さなようにと夜は避けているほどだ。

 ――俺の部屋を汚すのは、どちらかと言えばダンマスの方だ。

 俺が侵入者と死闘を演じて帰ってくれば、俺の部屋で食っちゃ寝、食っちゃ寝。片付けもせず汚しっぱなしで去って行く。俺へのねぎらいの言葉も無し。

「……じゃあ、どこで吸えと?」

 そんな俺の問いに示されたのは腐海ふかいエリア。元々臭いから良いんだと。

 俺だって嫌だわ……ッ!

 俺には味覚がない分、嗅覚が優れている。腐海エリアは苦手だ。

 これは俗に言うパワハラなのでは?

 到底受け入れられない。

「なんでタバコ吸うたびにワニマの奴の腐れ顔を見に行かなきゃならんのか……嫌だ。俺は俺の部屋で好きなことをする」

 つーんと突っぱねた俺に浴びせ掛けられたのは、まさかの囂々ごうごうたる非難。

 ダンマスだけでなく、マグノリアやクラリスの奴らまでダンマスの肩を持ち、一緒になって俺にぶーぶー文句を言い出しやがった。もうタバコの件だけでなく、他の件にまで飛び火して、ありとあらゆる罵詈ばり雑言ぞうごんが飛んでくる。

 冷え性はタバコの副流煙とは関係ない。

 乾燥肌は絶対にタバコとは関係ない。

 化粧の乗りが悪いのだってタバコは関係ないだろう……。

 タバコの煙では太らない。動け。

 タバコの火を見ていても不眠症にはならない。外に出て日光を浴びろ。

 吸い殻はきちんと捨てている。その汚れはダンマスの菓子クズだ。

 仕事はしている。この無駄な言い合いの時間を仕事の時間に使いたいほどに、仕事に追われて生活している。タバコをやめてもそれは変わらないし、お前達の仕事量も減らない。ダンマスの無計画さに文句を言え。

 あいつら……信じられん。

 おかげでダンマスが増長して、どんどん大きなことを言い始めた。

「――なに? 分煙が嫌なら出て行け……?」

 ついに出たそのひと言に、俺の空っぽの鎧の中で何かが弾けた。

 千年の時に渡って圧縮され続けた、何かだ。

「……おーおー、上等だよ! 出てってやるわこんなブラック職場ダンジョン‼ ――止めるなデンハム! 俺は出て行く‼」

 ズンズンと扉に向かう。

「……何? ダンマスが泣いてるから、もうやめろだとぉ……っ⁉」

 ダンマスが泣く?

 ダンマスが泣いている時は九割九りん、嘘泣きだ。俺には分かる。

「その顔で泣いて、心でわらってる……あんたはそういう人だッ‼」

 これにて四面楚歌となった。

 俺に突き刺さる無数の非難めいた視線。あやまりなさいよ、の嵐。

「――それじゃあ毎日毎日そいつの横暴でしいたげられている俺はどうなるんだよ! 俺無くしてこのダンジョンがどうなるのか見物だなぁッ‼ おお⁉」

 拳プルプル。顔真っ赤にして俺をめ上げるダンマス。

 ちょっと気分が良くなった俺が、言い放つ。

「……よおーし、次は俺が挑戦者になってこのダンジョン滅茶苦茶にぶっ壊してやるからな‼ 覚悟してろよてめえらッ‼」

 売り言葉に買い言葉。

 俺は〈特別転送器〉でダンジョンの外に出た。

 転送直後、近くにいた冒険者どもをさ晴らしに抹殺し、樹齢数百年と思わしき大木を大戦斧で切り飛ばして出来上がった切り株に、どっかと腰を下ろした俺は、どす黒い瘴気しょうきを森にまき散らしながらタバコを吸った。

 清々せいせいする。

 青空の下で吸うタバコは良い。

「――たまにはシャバの空気もいいな……」

 青々とした空を背景に、葉を落とした枝が晩秋の風にゆすられてパチパチと音を立てていた。

 鳥が飛んでいる。

 雲は高く、寒々しい気配が冷気と共に俺の甲冑に染み込んでくる。

 森は落ち葉で埋まり、カサカサとその中を這い回る虫や、小動物の気配だけが感じられる、うら寂しげな森――。

 ――冬が近い。

 半日ほど、そうして鬱憤うっぷんのこもった煙を吐き続け、ようやく落ち着いてきた頃。

「さて、帰るか――」

 腰を上げた瞬間、ドクンッと、俺のあるはずもない心臓が跳ねた。

「あ――」

 特別転送器――それは過去に数回しか使われた試しがない伝家の宝刀。

 ダンジョンを踏破した冒険者を地上に戻すための“片道切符”。

 すなわち――

「帰れん……」

 あまりにも使った事がないので、うっかりしていた。

 それが、六日前のこと。

 俺は浅い層で、たまーに出会う冒険者を圧倒的な暴威ぼういでぶっ殺してイライラを解消しつつ、待った。同僚が迎えに来てくれることを。

 難しいことではない。ダンマスが〈バイパスゲート〉を開けばいいのだ。そこら中の秘密のゲートが連動して一斉に開いてしまうが、よほどの手練れがダンジョンを潜っていなければ、はっきり言って危険はない。奥にどんだけヤバい怪物どもが控えていると思っているんだ。

 ダンジョンの浅い層を彷徨さまよっていれば、誰かが迎えに来てくれるだろう。そんな俺の淡い期待は二日目には消えていた。

 ダンマスめ……。

 意固地いこじになっているな……長年の経験から分かる。へそを曲げているのだ。

 締め出された。事実上の追放だ。

 あまり可能性はないが、万が一にも今、凄腕の冒険者が最奥に到達すると、それを止める最大戦力がいないことになる。それはさすがにマズい。状況分かってるのかな、あの人。

 多分、今でも俺のことを見ているはずだ。俺が――マジでむかつくが――すみませんでした、迎えに来て下さいと空に向かって叫べば迎えが来るだろう。

 ――だがそれは駄目だ。

 俺がこれ以上ダンマスに譲歩する姿を部下達に見せては。発言力低下に繋がる。

 俺はディーゼル。

 この絆の深淵で最も鋭き剣。数多あまたの怪物を束ねる悪夢の甲冑騎士なのだから。

「あんにゃろめえぇ……ギャフンと言わせてやる‼」

 ――仕方がない。こうなったら何とかして、話の分かる同僚が支配する階層までは自力で潜らなければ。さすがにそこまで行って、面と向かってまで上司でもある俺を無視するなんてことはできない……はずだ。

 決断した俺はパーティーメンバーを探した。

 このダンジョンは最低でも二人いなければ、まともに進めないからだ。

 この超高難易度ダンジョン〈絆の深淵〉は難易度もさることながら、得られるアイテムが超豪華ということで、それなりに有名だ。そんなお宝を求めて熟練の、あるいは命知らずな冒険者が、たまーに挑戦に来る。

 ただやはりというか、数が少ない。

 特に入り口付近なんて、さっさと通過して行ってしまう手練れの冒険者ばかりなので、丸一日かけて探しても声をかけられそうな冒険者は一人も見つからなかった。

 やっとこさ見つけたとしても、肝試し的な感覚で侵入した観光気分の低級冒険者だとか、精神を病んでそうな男だとか、見るからに裏がありそうな女だとか、何を言っているのか分からない奇人変人だとか。あるいは、道の隅で俯いて頭を壁にゴンゴンぶつけながらブツブツと言っている危ないやつとか――。

「――え、私とパーティですか?」

 そうして、ようやく見つけたのがショコラだった。
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