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香り
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ふと、エーリッヒ様の「分からない」という言葉を思い出した。あれは何の話をしていた時だっただろうか。
……ああ、そうだ。
「どうしてヴィルヘルム様を助けに行かないのか、と聞きましたよね?」
エーリッヒ様は頷く。
「第一王子に王となってもらいたいのならば、助けに行くべきだと私は思った。だけどあなたはだから行かないのだ、と言った」
ああ、そうか。私とエーリッヒ様は育ってきた環境が違う。もちろん考え方も違う。
「もしも私が困った状況になったら、あなたは助けに来ないのか?リーゼロッテ」
私を射抜くような鋭い目を見つめ返す。
「その状況でエーリッヒ様は私の助けを必要としますか?」
エーリッヒ様は私の質問を受けて一瞬言葉に詰まった。そして苦笑してはっきりと答えた。
「必要ないな」
そうだろう。エーリッヒ様は強いらしいから。私が行く必要はない。
「それならば私は私にできることをしに、助けに参りましょう」
微笑むとエーリッヒ様は意外そうに私を見た。そして、なるほどな、と呟いた。
「リヒャルトがあなたは厳しいと言っていたが、こういうことか」
納得したようだった。
「正直、ここで死んでしまうならそれまでだと思っています」
今頃ダミアン達は頑張っているかもしれない。ヴィルヘルムの、ファルラニアの未来を守るために。だけど私はそうじゃない。
「今私が助けに行っても、この先もいるとは限りません。この程度のこと、自力でどうにかできなければ王となって国を導くことなど不可能ですから」
ヴィルヘルムも分かっている。だからきっと私のことを待ってはいない。操られていても、弱い人じゃない。
「……ファルラニアが今どうなっているかなど分かりません。だけどヴィルヘルム様が戻ったらきっと私に報せをくれる。私はここでそれを待つのみです」
ヴィルヘルムを疑ったことなどただの1度もない。フリッツ様にもバルテル侯爵にも負けるわけがない。
「あなたの言いたいことは理解した」
エーリッヒ様は「だが」と続ける。
「人は皆1人では生きていない。私はあなたを助けたいと思ったから助けた」
ああ、そうか。私もファルラニアで死んでいたかもしれないのだ。ここにこうしていられるのはエーリッヒ様のおかげ。
「……私がヴィルヘルム様を助けに行くことを、エーリッヒ様は望むのですか?」
ユルン国王として。貿易相手として。
言葉には出さなかったが、伝わったようだ。エーリッヒ様は首を振った。
「違う。ユルンの王としてじゃない。あなたも第一王子の文官だからではない。あなたが第一王子を助けたいと思うなら、行くべきだ」
私としてはファルラニアの王が誰でも構わない。そう言った。
「……私は、ヴィルヘルム様を助けに行きたいのでしょうか?」
半ば呟くようにそう聞いた。エーリッヒ様は変わらない表情でお茶を飲む。
「ここへ来て第一王子のことを思い出さない日があったか?」
少し考えてゆるゆると首を振った。
穏やかな時間の中、何もせずに過ごした。慌ただしい時間の中、たくさんの書類を捌いた。いつもふとした瞬間に思い出すのはヴィルヘルムの顔だった。心のどこかで無事を願っていた。
ヴィルヘルムの力になりたい。だけどそれは正しいことなのだろうか。そう考えると動けない。俯いているとエーリッヒ様が立ち上がった。
「冷めたな。入れ直してこよう」
カップの中の紅茶はまだ半分ほど残っている。冷たくても大丈夫。そう言おうとしたが、私が言葉を発する前にエーリッヒ様はカップを持って出て行ってしまった。
一人になった途端、部屋がとても広く、冷たくなった気がした。机に突っ伏して大きく息を吐く。エーリッヒ様の気持ちと私の気持ち。それが分かったからと言って行動できるわけじゃない。そう単純ではない。
私は正しい道を選ばなければならない。全てがうまくいく道などない。選ぶのは最善だ。国の、民の為に。多くの命を守る為に。
甘い香りがまだ残っているような気がした。こびりつくような香り。あまり好きではないかもしれない。
そう思っていると、だんだんと瞼が重くなってきた。だめだ。ここはエーリッヒ様のお部屋。しかも机で寝るなどあり得ない。だが体が動かない。目が開かない。意識が朦朧とする。
その時扉が開く音が聞こえた。エーリッヒ様が側に立つ気配。すみません、と言葉になったかは分からない。
「良い。ゆっくり眠れ。今日は悪い夢は見ない」
どうして知っているのだろう。私が毎夜悪夢に苛まれていることを。ギドだろうか、と思った。抱き上げられる。エーリッヒ様の香りがした。目は開かない。体に力が入らない。エーリッヒ様はうるさい、と呟いた。
「彼女の尊厳を傷付けることはしない」
誰と話しているのですか、と聞きたかったが声は出ない。柔らかいところに下された。エーリッヒ様と同じ香りがする暖かな場所。
うっすらと目を開けると向こうにものすごく綺麗な人が立っているのが見えたような気がした。
声を出そうと口を開いたが、すぐにエーリッヒ様が私の眼を塞いだ。大きな温かい手。
「何も気にしなくて良い。安心して眠りなさい」
静かで優しい、低い声。
薄れゆく意識の中で、心地よい温かさを感じながら眠りに落ちた。
……ああ、そうだ。
「どうしてヴィルヘルム様を助けに行かないのか、と聞きましたよね?」
エーリッヒ様は頷く。
「第一王子に王となってもらいたいのならば、助けに行くべきだと私は思った。だけどあなたはだから行かないのだ、と言った」
ああ、そうか。私とエーリッヒ様は育ってきた環境が違う。もちろん考え方も違う。
「もしも私が困った状況になったら、あなたは助けに来ないのか?リーゼロッテ」
私を射抜くような鋭い目を見つめ返す。
「その状況でエーリッヒ様は私の助けを必要としますか?」
エーリッヒ様は私の質問を受けて一瞬言葉に詰まった。そして苦笑してはっきりと答えた。
「必要ないな」
そうだろう。エーリッヒ様は強いらしいから。私が行く必要はない。
「それならば私は私にできることをしに、助けに参りましょう」
微笑むとエーリッヒ様は意外そうに私を見た。そして、なるほどな、と呟いた。
「リヒャルトがあなたは厳しいと言っていたが、こういうことか」
納得したようだった。
「正直、ここで死んでしまうならそれまでだと思っています」
今頃ダミアン達は頑張っているかもしれない。ヴィルヘルムの、ファルラニアの未来を守るために。だけど私はそうじゃない。
「今私が助けに行っても、この先もいるとは限りません。この程度のこと、自力でどうにかできなければ王となって国を導くことなど不可能ですから」
ヴィルヘルムも分かっている。だからきっと私のことを待ってはいない。操られていても、弱い人じゃない。
「……ファルラニアが今どうなっているかなど分かりません。だけどヴィルヘルム様が戻ったらきっと私に報せをくれる。私はここでそれを待つのみです」
ヴィルヘルムを疑ったことなどただの1度もない。フリッツ様にもバルテル侯爵にも負けるわけがない。
「あなたの言いたいことは理解した」
エーリッヒ様は「だが」と続ける。
「人は皆1人では生きていない。私はあなたを助けたいと思ったから助けた」
ああ、そうか。私もファルラニアで死んでいたかもしれないのだ。ここにこうしていられるのはエーリッヒ様のおかげ。
「……私がヴィルヘルム様を助けに行くことを、エーリッヒ様は望むのですか?」
ユルン国王として。貿易相手として。
言葉には出さなかったが、伝わったようだ。エーリッヒ様は首を振った。
「違う。ユルンの王としてじゃない。あなたも第一王子の文官だからではない。あなたが第一王子を助けたいと思うなら、行くべきだ」
私としてはファルラニアの王が誰でも構わない。そう言った。
「……私は、ヴィルヘルム様を助けに行きたいのでしょうか?」
半ば呟くようにそう聞いた。エーリッヒ様は変わらない表情でお茶を飲む。
「ここへ来て第一王子のことを思い出さない日があったか?」
少し考えてゆるゆると首を振った。
穏やかな時間の中、何もせずに過ごした。慌ただしい時間の中、たくさんの書類を捌いた。いつもふとした瞬間に思い出すのはヴィルヘルムの顔だった。心のどこかで無事を願っていた。
ヴィルヘルムの力になりたい。だけどそれは正しいことなのだろうか。そう考えると動けない。俯いているとエーリッヒ様が立ち上がった。
「冷めたな。入れ直してこよう」
カップの中の紅茶はまだ半分ほど残っている。冷たくても大丈夫。そう言おうとしたが、私が言葉を発する前にエーリッヒ様はカップを持って出て行ってしまった。
一人になった途端、部屋がとても広く、冷たくなった気がした。机に突っ伏して大きく息を吐く。エーリッヒ様の気持ちと私の気持ち。それが分かったからと言って行動できるわけじゃない。そう単純ではない。
私は正しい道を選ばなければならない。全てがうまくいく道などない。選ぶのは最善だ。国の、民の為に。多くの命を守る為に。
甘い香りがまだ残っているような気がした。こびりつくような香り。あまり好きではないかもしれない。
そう思っていると、だんだんと瞼が重くなってきた。だめだ。ここはエーリッヒ様のお部屋。しかも机で寝るなどあり得ない。だが体が動かない。目が開かない。意識が朦朧とする。
その時扉が開く音が聞こえた。エーリッヒ様が側に立つ気配。すみません、と言葉になったかは分からない。
「良い。ゆっくり眠れ。今日は悪い夢は見ない」
どうして知っているのだろう。私が毎夜悪夢に苛まれていることを。ギドだろうか、と思った。抱き上げられる。エーリッヒ様の香りがした。目は開かない。体に力が入らない。エーリッヒ様はうるさい、と呟いた。
「彼女の尊厳を傷付けることはしない」
誰と話しているのですか、と聞きたかったが声は出ない。柔らかいところに下された。エーリッヒ様と同じ香りがする暖かな場所。
うっすらと目を開けると向こうにものすごく綺麗な人が立っているのが見えたような気がした。
声を出そうと口を開いたが、すぐにエーリッヒ様が私の眼を塞いだ。大きな温かい手。
「何も気にしなくて良い。安心して眠りなさい」
静かで優しい、低い声。
薄れゆく意識の中で、心地よい温かさを感じながら眠りに落ちた。
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