追放された私は北国の王に拾われる

紅蘭

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無知

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暗い中で何度か意識が浮上した気がする。その度にいつも冷たい右手が温かかったのを覚えている。悪夢は見なかった。

目を開けるといつもと同じ天井が見えた。だけど違う。空気が、匂いが。すぐそこで自分のではない寝息が聞こえた。

首だけ動かしてそちらを見る。エーリッヒ様が寝ていた。実は寝顔は可愛らしい。なんてことはない。だけど眉間に皺が寄っていないせいか、年齢相応に見えた。エーリッヒ様も寝るんだ、と思った。当たり前だけど。

起き上がると窓の外は微かに明るかった。

……エーリッヒ様と同じベッドで寝てしまった。

お母様が昔言っていた。同じベッドで寝ていいのは結婚した人だけだと。マリーが知ったら何と言うだろう。何と言い訳をすればいいだろう。

ベッドから下りずに座ったまま考えていると、不意に右手が掴まれた。少し驚いて視線を向けると目が合った。


「おはよう、ございます」

「……おはよう」


少し掠れた声だった。いつも執務室でしている挨拶をベッドの中でする日が来るとは。エーリッヒ様のこんなにも無防備な姿を見たのは初めてだった。

右手がじんわりと温かくなる。エーリッヒ様は起き上がることなくただ私の手を握っているだけ。


「あなたの手は冷たい」


前にも言われたことがある。あの時はまだ手を繋いだことはなかった。そして思い出した。


「もしかしてファルラニアの城で私が倒れた時、手を握ったりしましたか?」


夢の中でお母様が握ってくれた右手。起きた時も温かさが残っている気がしたが、あれは気のせいじゃなかったのかもしれない。

右手が離れる。これが当たり前なのになんだかスースーする。エーリッヒ様は体を起こすと、「ああ」と頷いた。


「あなたが泣いていたから」

「……泣いていた?私が?」


気付かなかった。エーリッヒ様はベットを降り、椅子に座った。私も同じようにベッドを降りると、向かいの椅子を勧められた。

部屋に戻らなくてもいいのかな。マリーにバレていないかな。どうしてエーリッヒ様は私を自分のベッドで寝かせたのだろう。

一瞬の間に色々と疑問は湧いたが、全部無視した。まだここにいたい。エーリッヒ様と一緒にいたい。座るとエーリッヒ様は私から視線を逸らして言った。


「念の為に言っておくが、昨夜は何もなかった」

「はい……?」


何もなかったというのは何を指しているのだろう。あまりにも急に眠くなったので何か盛られたかと思ったが、何も盛っていないということだろうか。

よく分からずに首を傾げると、エーリッヒ様は信じられない、といった表情で身を乗り出した。


「まさかとは思うが……」


そのあまりの勢いに思わず身を引いた。エーリッヒ様が「すまない」と座り直す。


「リーゼロッテ、あなたは21歳だと言ったな?」


どうして急に、と思いながらも頷く。


「結婚した男女が何をするのか知っているか?」


なんてことを聞くのだろう。そのくらい知っている。


「し、知っています……!」


何だか恥ずかしい。しかしエーリッヒ様は「何をするのだ?」と追求してきた。え、私はそれを言葉にしなければならないのだろうか。恥ずかしいので言いたくない。黙って目を逸らしたが、エーリッヒ様は決して引かない。


「どうも私とあなたの認識がずれている気がする。あなたを辱めているわけではない。答えてほしい」


そう真摯な表情で言われた。


「……く、口付けをするのでしょう?」


俯いて小さな声でそう言うと、エーリッヒ様は一瞬固まり、次の瞬間ため息をついた。

そのため息の深さに恥ずかしさよりも戸惑いが大きくなった。


「な、何か……?」


下を向いたまま目だけで見られる。ヴィルヘルムが困惑している時と同じ顔。


「……子はどうやってできるか知っているか?」

「ええ、そういう魔法があるのだと、幼い頃にお母様が教えてくれました。魔法陣は知りませんが……」


何度か考えてみたが、生命を生み出す魔法陣はどうしても作れなかった。きっと特別なものなのだろうと思う。


「違う……!」


エーリッヒ様が大きな声を出した。怒っている様子ではないが、驚いてしまう。


「……動物や虫がどうやって繁殖するのかは?」


動物や虫?考えたことがない。


「分裂、でしょうか……?」


彼らは魔法を持たないのだ。人間と同じだとは思えない。


「いえ、お腹の大きな馬を見たことがあります。あれは人間と同じですよね。もしかして動物は人の手を借りて繁殖するのでしょうか?」


それに違いないだろう。私は自信を持って答えた。しかしエーリッヒ様の反応は芳しくない。黙り込んで顔も上げなくなってしまった。


「あ、あの、エーリッヒ様?私は何かおかしなことを言いましたか?」


エーリッヒ様は目だけを私に向け、「いや」と立ち上がった。困惑の表情はまだ残っている。


「イェンスに朝食を運ぶよう言ってくる」


そう言うと部屋から出て行った。少しして戻って来た時にはもういつものエーリッヒ様に戻っていた。

その後、二人分の朝食を持って来たイェンスは私の姿に驚くことなく下がって行った。


食事を終えて席を立つ。


「では後ほど執務室でお会いしましょう」


そう言うと、エーリッヒ様は少し考えて言った。


「……出来れば私ではなく侍女から聞いたほうがいいことは分かっているが、マリーにこのことを知られるわけにもいかない。この後本を届けさせる。今日はそれを読み、理解してくれ」


仕事はしなくてもいい、と付け足された。私は訳が分からないまま頷き、部屋へ戻った。そこにはギドがいた。


「お、どうだった?」


ギドは私の顔を見た途端、明るい声でそう言った。私がエーリッヒ様のところで寝たことを知っているようだ。


「どうって何が?ゆっくり眠ったわよ」


ここにマリーがいないということは、ギドがうまく言ってくれたのだろう。そうでなければ憤慨したマリーが待っていただろうから。


「王様何もしなかったんだ」


そう意外そうに呟き、私を見る。


「ま、お嬢は何も知らねえもんな」


そう言った。なんとなく腹が立った。睨むとギドは何でもないように言う。


「だってお嬢、子供の作り方知らねえだろ?」

「知っているわよ。特別な魔法陣があるのでしょう?」


着替えを取り出しながらそう言うと、ギドはポカンとした。


「何なのよ。エーリッヒ様といいギドといい……」


一人ごちる。ギドは「え?」と間抜けな声を出した。


「もしかして今の王様にも言った?」


ええ、と頷く。するとギドは突然ギャハハ、と笑い出した。とんでもない爆笑だ。何がそう面白いのだろうか。腹を抱えて笑うギドを横目に見ながら服を着替える。終わる頃にはギドは涙目で、だけど静かになっていた。


「ちょっと俺、王様を慰めてくるわ」


そう言って出て行くギドから視線を逸らした。少しするとイェンスが一冊の本を持って来た。同情と慈しみが混ざった目で見られたような気がする。

そしてその本を読み始めた私は……


「ちょ、ちょっと待って……!」


他に誰もいないのにそう叫ぶほど狼狽した。扉の向こうでギドの笑う声が聞こえた。
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