池に落ちて乙女ゲームの世界に!?ヒロイン?悪役令嬢?いいえ、ただのモブでした。

紅蘭

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田舎の少女

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私の手を握った柔らかな小さな手。その先には一人の小さな女の子がいた。五歳か六歳くらいだろう。私が着ている物とは生地もデザインも全く違う服。この村に入った時から薄々気が付いてはいたけど、この場所で私達の恰好はとても浮いている。

女の子は私を見上げてにこっと笑った。……可愛い。


「どうしたの?」


ちょっとだけかがんで目線を合わせると、照れたように視線をそらされた。はい、可愛い!

とはいえこれはどうしたらいいんだろうか。手をきゅっと握られているので動けない。アリアを見ると、アリアは微笑みを浮かべて「エレナ様と一緒に遊びたいのでしょう」と言った。

おお、一緒に遊ぶ! それはぜひこっちからお願いしたいくらいだ。


「わたくしと一緒に遊びますか?」

「うん。あっち行こ」


嬉しそうに笑った女の子は私の手を引いて、私たちが来た方へと走り出した。そのスピードに合わせて私も走る。手を繋いだまま走るととても走りにくい。初めて知った。

女の子がこけないかハラハラしたが、すぐに止まった。


「ちょっと待ってて」


手を離して畑へと入って行く女の子。後から来たアリアが微笑ましそうにその様子を眺めていた。

……なんかちょっと意外。アリアのことだから一緒に遊ぶなんてダメだって言うかと思ったのに。走ったことすらも咎めないなんて。

じーっと見ていると、アリアが私の視線に気が付いて「何ですか」とこちらを見た。


「走っても怒らないのね」

「この辺りは他の貴族の目もありませんし、たまにはエレナ様のお好きなようにされるのがよろしいかと。エレナ様にとって、普段はとても窮屈でしょう」


最近はそこまで窮屈だと感じはしなかった。最初の頃はしんどかったけど、今ではそれが当たり前になっているから。だけどこうして王都を出た今、開放感あふれるこの場所できゅうきゅうと締め付けられるのはとても嫌だと思った。


「ええ、そうね。そうかもしれないわ」


私が本物のエレナではないことを知っているアリア。普段はそれを口に出すことはないけど、たまにこうして言動の端々に現れる。その気遣いが嬉しいのか悲しいのか自分ではよく分からない。


「お姉ちゃん」


畑に入って行った女の子が、戻って来た。私へと差し出したその手には真っ赤なトマト。


「あげる。もぎたてが一番おいしいんだよ」

「まあ、ありがとう!」


私の、十一歳の手には少し余る大きいトマト。匂いを嗅いでみると青くて爽やかな匂いがした。


「あっちで食べよ」


女の子が私の手を引いて再び歩き出す。今度の目的地はすぐ近くの大きな木の下だった。横から差す夕日では木陰にはならないけど、だけど太い幹はなんとか私たちは西日から守ってくれた。

女の子と並んで腰を下ろす。これ食べるのは嬉しいんだけど大きいから今食べるとお腹がいっぱいになってしまいそうだ。晩御飯が食べられないのはよくない。

風の刃ですぱっと半分に切ると、中から赤くて透明な汁がたくさんこぼれた。

うわ、めっちゃみずみずしい! やばい、服が汚れそう。これがクリスに見つかったら絶対に「エレナだけずるい」って言われるよね。


「アリア、半分こしましょ」


半分をアリアへと差し出す。受け取ってくれるのかちょっと不安だったが、アリアは立ったまま腰をかがめて私の手からトマトを取った。


「いただきます」


一口かじりつくと、夏の香りが鼻を突き抜けた。じゅわっと口の中に広がるトマトは少しぬるくて、だけど家で食べる冷たいトマトよりもすごく美味しい。


「美味しいでしょ。これね、私のおばあちゃんが作ってるの」

「ええ、今まで食べたトマトの中で一番おいしいわ。自慢のおばあちゃんね」


そんなことを言っていると、トマトの汁が垂れてしまいそうになり、私は急いでトマトにかじりついた。全て食べ終わると手がトマトの汁だらけになっていた。よく見ると私だけじゃなくて、女の子も、アリアまでそうだ。汚れた手をどうするか迷っているアリア。その珍しい姿に思わず頬が緩んだ。

場所が変わるだけで人までもこんなに変わるものなのかな。

魔法でそれぞれの前に水球を出す。私がそれに手を入れてじゃぶじゃぶと洗うと、アリアも「ありがとうございます」と同じように洗った。

女の子が興味深そうに水球を突いたり、いろんな角度から眺めている。


「これお姉ちゃんの魔法?」

「そうよ。これで手が綺麗になるの」

「『おきぞくさま』はすごいね!」


『おきぞくさま』? 一瞬何のことかと思ったが、すぐにお貴族様のことだと分かった。おそらくこの子の周りの大人がそう呼んでいるのだろう。

……そっか、魔法は貴族しか使えないんだよね。魔法薬も魔法石も手に入らない平民には無理なものだ。


「……魔法を使ってみたい?」


特に理由があったわけではないが、そう聞いてみると、女の子は迷わず首を横に振った。

あれ? 魔法って誰もが憧れるわけじゃないの? 使いたくならないの?


「私はね、魔法よりも字が書けるようになりたい」


貴族は読み書きできるのが当たり前だ。だけど平民の識字率は高くない世界なのかもしれない。私はひいひい言いながら勉強しているし、愛玲奈の時も「勉強したくない」なんて言って嫌々勉強していたけど、この子はそれすらもできないのか。

綺麗な服、豪華な食事、整った教育環境。それが当たり前だったけど、自分がどれだけ恵まれているのか分かっていなかった。罪悪感が込み上げてきて、口の中がカラカラだった。


「……じゃあ次にわたくしがこの村に来た時は教えてあげるわ」


どうにか笑顔を作ってそう言うと、女の子はぱあっと笑顔になり、それが本当に嬉しいのだと分かった。


「わあ! 本当!?」

「ええ、約束。だから、わたくしにまたもぎたてのお野菜を食べさせてちょうだい」


この純粋な笑顔を守りたい。心の底からそう思った。
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