池に落ちて乙女ゲームの世界に!?ヒロイン?悪役令嬢?いいえ、ただのモブでした。

紅蘭

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お迎え

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どうして私の気持ちを全然考えてくれないのかとか、どうしてそこまで私を特別視しているのかとか、言いたいことは山ほどある。

しかし、そんなこと今はどうでもよかった。この人が私に苦痛を与えたから殺されたのだと言うのなら……


「……わたくしに苦痛を与えているのはいつもあなたですわ」


魔法学校の生徒を傷付けたり、私の大事な友達を殺そうとしたり、脅したり。

私の心が怒りに燃えるのはいつだってユリウス殿下のせいなのだ。自分のことを棚に上げて人を殺すなんて許せない。


「わたくしに苦痛を与えることが罪だと言うのなら、それを見せてくださいませ。誰よりもわたくしに苦痛をくださるユリウス殿下が」


自分の声がとても冷静なのには驚かなかった。一周回って静かな心になんの違和感もなかった。ただ、目の前のユリウス殿下しか見えない。

私の言葉でユリウス殿下が困ればいいとか、ショックを受ければいいとか、そんな気持ちではない。本当にここで死んでしまったら「そんなつもりじゃなかった」なんて言うつもりもない。ここでユリウス殿下の死を見届ける覚悟があったのだ。


「裁くのはユリウス殿下ではありません。わたくしです。今、ここで死んでくださいませ」


真っ直ぐユリウス殿下を見てそう言うと、ユリウス殿下は少し驚いたような表情を浮かべ、そして微笑んだ。柔らかく、穏やかに。


「何がおかしいのです? 殿下のおっしゃったことですよね? ユリウス殿下によってわたくしは何度も恐怖にさらされ、傷ついてきました。それを罪だとおっしゃるのでしょう? ですから、わたくしの為に死んでくださるのでは?」


もう一度同じ言葉を重ねる。自分が人に向かってこんな言葉を吐いていることがすごく不思議だった。しかもそれに対してなんとも思わないことに違和感も覚えないことがとてつもなく不気味だった。

ユリウス殿下はゆっくりと私の方へ近付いてくる。私は座り込んだまま動かない。恐怖なんてものは全くなかった。

ユリウス殿下が私の前に膝をつき、そして右手で私の頬へと触れた。優しく撫でるその手を払うこともせず、ただ殿下を見上げる。

ユリウス殿下は慈愛に満ちた目で私を見ていた。


「君がそう言うのならここで死んでしまうのもいいかもしれない。君に望まれ死を迎えることが一番の幸せな終わり方かもしれない」


どうしてこの人はこんなにも私を優しい目で見るのだろう。どうして自分の死を望む私へ微笑むことができるのだろう。

自分の中の黒い感情がどうしてかだんだんと引いていく。ユリウス殿下のどこまでも透き通った目を見ていると負の感情がなくなっていく。確かに憎んでいるのに。許せないのに。


「君が誰かの死を望むのはきっとこれが最初で最後だろうね。それが僕に向けられて本当に嬉しいよ」


まるで愛する恋人へと向ける蕩けるような微笑み。


「だけど僕はまだ死ねない。やらないといけないことがあるんだ」


ユリウス殿下は「ごめんね」と心底名残惜しそうに謝ると、立ち上がった。

そのまま離れていく。私はただその背中を眺めた。自分が今どんな気持ちなのか全く分からなかったし、何も考えられなかった。


「迎えが来たね。もう捕まらないように気をつけなよ」


振り返ってそう笑うユリウス殿下。怒りも憎しみも悲しみも全てなくなってしまっていることがとてつもなく悔しかった。これからも非情なことをするくらいなら、今ここで死んで欲しいと思っていたのにどこかへ行こうとするユリウス殿下を止める気も起きない。

それがまるで、真っ直ぐ生きることができたら幸せになれるだろうか、と笑ったあの人の死を悲しむ気持ちがその程度のものだったのだと思い知らされているようで。止まっていた涙がまた溢れてきた。

私の涙を見てユリウス殿下は悲しそうに微笑んだ。


「やることが全て終わったら、必ず君のために死ぬよ。約束する。だから、君はできるだけ笑っていて欲しい」


どの口が言うかと思った。誰のせいで泣いていると思っているのか。

しかし私が文句を言う前にユリウス殿下は姿を消してしまった。そしてそれと同時に誰かが小屋の中に飛び込んできた。


「エレナ!!」


その顔を確認する前に突進された。と思ったら抱きつかれていた。


「大丈夫? ごめんね、私、全然気付かなくて……!」


ぐすぐすと抱きついたまま泣くその背中に腕を回す。


「……大丈夫よ、クリス。来てくれてありがとう」


次々と人の気配が増え、皆が顔を出す。


「エレナ! 怪我は? って、大怪我じゃないか!」

「光属性は? 痛いだろ。おい、クリス、離れろ」

「でも無事でよかった」


カイにレオンにマクシミリアン。


「エレナちゃん! うわぁ、痛そう……! 大丈夫!?」


フロレンツまで。いつも通りの皆に思わず笑いがこぼれる。


「とりあえず外に出ましょうか。ここは皆で入るには狭いですもの」


レオンが無理やりクリスを私から剥がしてくれたので、立ち上がると、急に目の前が暗くなった。思わず地面に膝をつく。そういえば頭を殴られたんだった。ちょっと貧血かも……ああ、それでさっき妙に冷静だったのかも? 関係ないのかな。

なんて呑気に考えていると、だんだんと視界が復活してきた。「大丈夫?」といういくつもの声に返事をするのも億劫で、とりあえず顔を上げるとそこにはいつもの頼りになる二人が立っていた。


「ヨハン様、ヘンドリックお兄様……」


クリスやカイたちの顔を見た時以上にホッとして力が抜ける。ペタンと座り込むと、ヨハンがいつものように笑った。


「もう大丈夫だよ。帰ろう」


手を差し出され、その手を取ろうとすると、ヨハンの手はほぼ無理やり引っ込まされた。

あれ、と思った時には既に私の体は宙に浮いていた。見上げるとそこにはヘンドリックお兄様の顔。そして抱き上げられたんだと気付いた。

チッと舌打ちが聞こえる。


「手のかかる……」


小さな声で文句が聞こえた。しかしヘンドリックお兄様のその表情は喜んでいる時のそれで、私は密かに笑ってしまった。
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