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前線基地2

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「…………うっ。」
「……これは、すごいかも。」

テントのファスナーを下ろした瞬間に鼻腔に充満した刺激臭。薬品のような、腐敗したような、鉄のような……様々なものが混ざっている。
目の前に広がるは、言葉通りに傷だらけの兵士の方が五人、簡易ベッドに横たわっている状況であった。
状態からみて、間違いなく重体。本来であればこんな危険と隣り合わせの場所から離れるべきである方々だ。王都へと帰るべきなのだが……。それすらも出来ないほどに現場は困窮している、ということなのだろう。

段々と嗅いだことの無い臭いに思わず嗚咽が……。口の中に唾液が溜まっていく。気を張っていなければ数秒待たずに吐き出してしまいそうである。
隣に並ぶ涼も同様らしく顔色が明らかに青白い。大変申し訳ないがこれ以上ここにいたら大惨事になるのでは無いだろうか。

中に横たわっている騎士や徴兵された傷だらけの皆さんには悪いのだが、一旦状態を立て直すのがいいのでは無いかと……そう思っていた。

「アレンくんの、お父様……どなたでしょうか。」
「お、俺、です。」

緩りと傷だらけの腕が一本上がった。声色も先ほどの方と同じだ。
……涼は諦めていなかったみたいだ。
本当にすごい、俺には出来ないことだと素直に尊敬してしまった。
涼は顰めていた表情を取り払い、なんてことない和やかな笑顔に切り替えてアレン父の枕元へと腰を腰を下ろした。

「……その声は……せ、聖女様ではありませんか。もど、戻ってこられたのですね。」
「えぇ。いきなり前線基地から離れてしまって申し訳ないです。少々……用事が出来てしまって。その用事が終わったので戻ってきました。用事をこなしている時に、アレンくんから貴方へお手紙を預かってきたのです。受け取ってください。」
「アレン……元気そうでしたか?」
「はい!学校にちゃんと通っているみたいで、帰りにたまたまお願いされたんです。」
「そう、ですか。……あぁ、家の匂いだ。」

所謂聖女様モードなのだろう。数分前までの歳相応の彼女とは思えなかった。慈悲深く、優しく強い……誰もが崇める聖女そのものであった。
アレン父はおそらく視力もやられているのだろう、明らかに彼女の服装がローブではなく郵便局員用制服であるのにそこを問い質さない。声のする方向を見れておらず、外れた上の方を見ている。
だが、涼から受け取った手紙から漂う家の匂いはちゃんと覚えているらしく……薄らと涙を滲ませながら手紙を顔にあてがっていた。思い起こされるのだろう。
そんな姿が……とても切なくて、やるせない気持ちが込み上げてきた。早く、一秒でも早く家族に逢いたいのだろう。愛おしい息子、そして妻に逢いたくて仕方がないのだろう。言葉にしなくてもわかる。
先ほどの嗚咽感では無い。どうにも表せない感情が喉までグッとあがってきて、俺も彼のように視界がぼやけてきてしまったのだった。鼻奥もツンと、痛い。

「聖女様……手紙を読んでいただけませんか?」
「勿論です。」
「あぁ……ありがとうございます。」
「……パパへ。お手紙ありがとう。前線基地はどうですか。怪我はしてませんか?あまりアクアではパパがいるところのお話を聞けません。僕と同じお父さんが戦場に行ってしまった友達が僕と同じように不安になってます。僕も、すごく、心配です。今日、聖女様に会いました。このお手紙を届けてくれるって。だから、パパに渡してくれる時に悪いのを倒してくれると思います。早く帰ってきて欲しいです。ママも、いつも元気だけど……僕が寝た時に泣いてるのを知ってます。僕も泣いてます。早く、早く帰ってきてね。アレンより。」
「………あり、がとう、ございます。」
「良ければ、私がお返事を代筆いたしましょうか。」
「はい……是非。」



俺は直ぐにテントの外に出てしまった。
もう、ダメだったのだ。とてもじゃないが耐えきれなかった。アレン父がいるテントのすぐ側にある葉のない、乾いた木の傍に倒れる勢いで膝から両手を付き、崩れ落ちてしまった。
視界が涙でぼやけにぼやけてしまっている。とてもじゃないが言葉が出てこなくて、代わりに出るは嗚咽だけだった。

「うっ……うぅぅぅ゛っ……。」
「奏多。」

乾いた地面に、腕に自身から溢れ落ちる大量の涙が双方を濡らしていく。
そんな中、背中にポンと誰かの手のひらが置かれた。

「……?」
「あはは……顔がぐちゃぐちゃじゃん。」
「アルフレッド……。」
「そう、僕だよ。ヨハンだと思った?」
「そんな……。」
「冗談だよ、ほら。これで拭いて。」
「……すまん。」

何時もの可哀想なものを見るような眼差しでは無い、真逆な優しさを含んだ純粋に心配した様子である。
渡されたタオルを顔にあてて、顔のぐちゃぐちゃ具合を吸い取った。少しだけ、気が晴れた気がする。さっきのシーンが頭にまだ過ぎるが、なんだろうか……気持ちが僅かに和らいだ。

「流石に、僕でもさっきのは耐えられる自信がなかったな。だから、辛い気持ちを抱えてるのは奏多だけじゃないからさ。……そんなにもひとりで思い詰めることないよ。」

顔を拭いている俺の横にそっと彼は腰掛けて、顔を覗き込んできていた。

「こんなこと、僕が言うのはどうかと思うんだけどさ。君や涼が聖女だろうが関係なく僕達はチームなんだ。酸いも甘いもみんなで分け合えるんだ。……そこは、自信もって分け合おう。」
「…………………ぅん。」

折角止まりかけていた涙が、ダムの如く再び決壊したのだった。
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