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トシユキくんの恋(2)
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「言葉にできなくても、触れ合えなくても、気持ちを伝えることはできるわ」
大きな瞳子を煌めかせて、ましろちゃんが言った。
「人魚姫だって、言葉にすると泡沫となって消えるから、舞踏で王子様を振り向かせたでしょう」
「人魚姫はそんな話じゃないと思うけど」
俺の言葉には耳も貸さず、彼女は一息に捲し立てた。
「そうよ。相手の子が傷つかないかたちなら大丈夫よ。たとえば、その子の前で踊るだけで踊るだけでトシユキさんが満足するなら、それでいいんだわ。見るだけなら女の子は傷つかないし、それでその子への関心が振りきれるんだもの。なんなら、大勢の観衆の前でやればもっと安全だわ」
「そんなにうまくいくかなあ」
「きっと大丈夫よ。それに、トシユキさんが心配なんでしょう」
その言葉に、ボタンをかけ違えているような違和感は霧散した。
そうだ。あの老爺の言葉が真成であろうとなかろうと、青木家を守れるのは俺しかいないのだ。そのためには、たとえ瑣末な疑義であろうと、今できることをやるしかない。
「うん、わかったよ」
「そうと決まれば、相手の趣味とかわかった方がいいわね。興味のあることなら関心を持ってもらいやすいし。危殆のないように進めるなら情報を持つに越したことはないわ」
「情報……」
「そう。柴太郎さん、その子のことでなにか知ってることはある?」
覚束ない記憶をたどると、陽光に透けて赤朽葉色に輝く長い髪がぼんやりと浮かび上がった。
「川端の小学校に通っている子で、髪色がすごく明るかった。赤髪っていうのかな、ハーフみたいな」
「他にはなにかある?」
そう言われ、懸命にあのときの場景をたどった。背後から友達に呼ばわれ、元気よく駆け出していったあの子。そのとき呼ばれていた名前は――。
「リカ、そう呼ばれていたと思う」
「川端の小学校で、赤髪のリカちゃんね」
ましろちゃんが首肯した。
「学校に行ってみたら、なにか分かるかしら」
地道ではあるが、今はそれしかないだろう。俺は頷いた。
家を抜け出して学校に向かうと、そこには、サッカーや縄跳び、一輪車など、思い思いの児戯に興じる子供たちの姿があった。
「もう遅いし、帰ってしまったのかしら」
顔を見交わしたそのとき、学舎からアコーディオンの楽音がきこえた。春野を舞う蝶のような調べは、近頃流行のポップスのようだ。
「きれいな音色ねえ」
ましろちゃんが言った。
見ると、先刻まで校庭で遊んでいた児童や、往来を行き交う大人までもが、足を止めてその旋律に聴き入っていた。
「柴太郎さん、あれ」
視線の先には二階の窓があり、矩形に切り取られたその中に、見覚えのある風姿があった。
「あ、あの子」
俺も気づいて声をあげた。
膝丈の白いワンピースを身にまとい、赤朽葉の髪を二つに結わえた女の子。細い両腕にアコーディオンを抱え奏でるその風姿は、まさしくトシユキくんが魅入っていたあの少女だった。
「もしかして彼女?」
「うん。間違いない」
白皙の肌膚に、すらりとのびた脚。まるで曠野に咲いた一輪の白百合のように、人目を奪う容貌だった。
「上野、今日も練習してるんだ」
呟く声に視線を向けると、先刻まで仲間たちと遊んでいた少年が、サッカーボール片手に窓を見上げていた。
仲間の一人が駆け寄ってきて、その肩を叩く。
「おい、なに見てるんだよ」
「いや……。あいつ、今日も練習してるんだなって」
「上野リカか。お前、あいつのこと好きなの」
「なに言ってるんだよ。そんなわけないだろう」
耳朶まで朱に染めて言い募るその姿は、釈明にはかえって逆効果だった。
「ただ、真面目に練習してるなんて珍しいと思っただけだよ」
「本当か?」
「当たり前だろ。うるさいな」
「どうだか。……まあ、たしかに珍しいよな。今度の”お祭り天国”で学年全体で奏楽することになって、皆面倒くさがってるのに。授業以外でちゃんと練習してるのなんて、あいつぐらいだよ」
「そうだよな。楽器だって、率先して難しいのやってるし」
「物好きだよなあ」
会話に耳をそばだてていたましろちゃんが、首を傾げた。
「お祭り天国?」
「そういえば、この間パパさんとママさんが話してた。今年は、街興しのために大きいお祭りをやるって。屋台や神輿やもちろん、近傍の学校の吹奏楽部やプロのパフォーマーまで集まって、いろいろ出し物をやるんだって」
「へえ、にぎやかなのねえ」
ましろちゃんの瞳子が輝いた。
「あそこにちらしも貼ってあるね」
校門のあたりに小さな掲示板があり、そこに大きな貼り紙があった。「お祭り天国」という大きな字の下に、神輿をかつぐ子供の写真と当日のスケジュールが記されている。
一日目の午前は子供神輿とフリーマーケット、午後は特設ステージで各グループのパフォーマンス。二日目は大人神輿とパレードの予定らしい。
「柴太郎さん、これ見てちょうだい」
ましろちゃんが、下部に小さく書かれた一文を見て喜悦の声をあげた。
「これよ。これだわ!」
その字句を目で追うと、俺は目を見開いた。
大きな瞳子を煌めかせて、ましろちゃんが言った。
「人魚姫だって、言葉にすると泡沫となって消えるから、舞踏で王子様を振り向かせたでしょう」
「人魚姫はそんな話じゃないと思うけど」
俺の言葉には耳も貸さず、彼女は一息に捲し立てた。
「そうよ。相手の子が傷つかないかたちなら大丈夫よ。たとえば、その子の前で踊るだけで踊るだけでトシユキさんが満足するなら、それでいいんだわ。見るだけなら女の子は傷つかないし、それでその子への関心が振りきれるんだもの。なんなら、大勢の観衆の前でやればもっと安全だわ」
「そんなにうまくいくかなあ」
「きっと大丈夫よ。それに、トシユキさんが心配なんでしょう」
その言葉に、ボタンをかけ違えているような違和感は霧散した。
そうだ。あの老爺の言葉が真成であろうとなかろうと、青木家を守れるのは俺しかいないのだ。そのためには、たとえ瑣末な疑義であろうと、今できることをやるしかない。
「うん、わかったよ」
「そうと決まれば、相手の趣味とかわかった方がいいわね。興味のあることなら関心を持ってもらいやすいし。危殆のないように進めるなら情報を持つに越したことはないわ」
「情報……」
「そう。柴太郎さん、その子のことでなにか知ってることはある?」
覚束ない記憶をたどると、陽光に透けて赤朽葉色に輝く長い髪がぼんやりと浮かび上がった。
「川端の小学校に通っている子で、髪色がすごく明るかった。赤髪っていうのかな、ハーフみたいな」
「他にはなにかある?」
そう言われ、懸命にあのときの場景をたどった。背後から友達に呼ばわれ、元気よく駆け出していったあの子。そのとき呼ばれていた名前は――。
「リカ、そう呼ばれていたと思う」
「川端の小学校で、赤髪のリカちゃんね」
ましろちゃんが首肯した。
「学校に行ってみたら、なにか分かるかしら」
地道ではあるが、今はそれしかないだろう。俺は頷いた。
家を抜け出して学校に向かうと、そこには、サッカーや縄跳び、一輪車など、思い思いの児戯に興じる子供たちの姿があった。
「もう遅いし、帰ってしまったのかしら」
顔を見交わしたそのとき、学舎からアコーディオンの楽音がきこえた。春野を舞う蝶のような調べは、近頃流行のポップスのようだ。
「きれいな音色ねえ」
ましろちゃんが言った。
見ると、先刻まで校庭で遊んでいた児童や、往来を行き交う大人までもが、足を止めてその旋律に聴き入っていた。
「柴太郎さん、あれ」
視線の先には二階の窓があり、矩形に切り取られたその中に、見覚えのある風姿があった。
「あ、あの子」
俺も気づいて声をあげた。
膝丈の白いワンピースを身にまとい、赤朽葉の髪を二つに結わえた女の子。細い両腕にアコーディオンを抱え奏でるその風姿は、まさしくトシユキくんが魅入っていたあの少女だった。
「もしかして彼女?」
「うん。間違いない」
白皙の肌膚に、すらりとのびた脚。まるで曠野に咲いた一輪の白百合のように、人目を奪う容貌だった。
「上野、今日も練習してるんだ」
呟く声に視線を向けると、先刻まで仲間たちと遊んでいた少年が、サッカーボール片手に窓を見上げていた。
仲間の一人が駆け寄ってきて、その肩を叩く。
「おい、なに見てるんだよ」
「いや……。あいつ、今日も練習してるんだなって」
「上野リカか。お前、あいつのこと好きなの」
「なに言ってるんだよ。そんなわけないだろう」
耳朶まで朱に染めて言い募るその姿は、釈明にはかえって逆効果だった。
「ただ、真面目に練習してるなんて珍しいと思っただけだよ」
「本当か?」
「当たり前だろ。うるさいな」
「どうだか。……まあ、たしかに珍しいよな。今度の”お祭り天国”で学年全体で奏楽することになって、皆面倒くさがってるのに。授業以外でちゃんと練習してるのなんて、あいつぐらいだよ」
「そうだよな。楽器だって、率先して難しいのやってるし」
「物好きだよなあ」
会話に耳をそばだてていたましろちゃんが、首を傾げた。
「お祭り天国?」
「そういえば、この間パパさんとママさんが話してた。今年は、街興しのために大きいお祭りをやるって。屋台や神輿やもちろん、近傍の学校の吹奏楽部やプロのパフォーマーまで集まって、いろいろ出し物をやるんだって」
「へえ、にぎやかなのねえ」
ましろちゃんの瞳子が輝いた。
「あそこにちらしも貼ってあるね」
校門のあたりに小さな掲示板があり、そこに大きな貼り紙があった。「お祭り天国」という大きな字の下に、神輿をかつぐ子供の写真と当日のスケジュールが記されている。
一日目の午前は子供神輿とフリーマーケット、午後は特設ステージで各グループのパフォーマンス。二日目は大人神輿とパレードの予定らしい。
「柴太郎さん、これ見てちょうだい」
ましろちゃんが、下部に小さく書かれた一文を見て喜悦の声をあげた。
「これよ。これだわ!」
その字句を目で追うと、俺は目を見開いた。
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