どうしても、あなたの犬になりたい! 美貌の王子が溺愛したのは、内気な落ちこぼれ令嬢でした。

湖宮つばめ

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第二章

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 オルコット領が夏の日差しに包まれる頃、隣国との和平条約は結ばれた。
「エスメお姉様! 大変よ!」
 薔薇園の世話をしていたエスメのもとに、妹が駆けてくる。
「フレア?」
「お、王太子殿下がいらっしゃったの! いま来賓室にお通ししているけど、エスメお姉様にも伝えなくちゃって」
「ああ。そうだったのですね」
「お姉様は、どうして、そんな落ちついているの? 王太子殿下が、いったい何の用事があってオルコット領にいらっしゃったの? 使者ならともかく、ご本人が急にやってくるなんて! ぜったいおかしいわ!」
 フレアはいぶかしそうに眉をひそめた。
 だが、エスメには分かった。
(王太子のグレイ様。彼がいらっしゃった、ということは)
 王城からフレアのことを迎えにきたのだろう。
 いよいよ、あの乙女ゲーム『灼熱の乙女は愛に溺れる』が始まるのだ。
 フレアは女神に愛された子である。
 彼女がいたら、女神の加護を与えられた者たちの力が底上げされる。
(えと。たしか、バフ? と言うのでしたっけ)
 ゲームの中ではそういった表現ではなかったが、プレイヤーたちの感想で、よく出てきた単語である。味方にいると、味方のステータスが上がる能力らしい。
 終戦後になって、いろいろ落ちついてから、フレアの加護を求めて王城から迎えがくる。
 それも、王太子が直々にフレアを迎えにくるところから、ゲームは幕を開けるのだ。王都に行くと、フレアは個性豊かなヒーローたちと絆を深めてゆく。
「ああ、どうして、王太子殿下が薔薇園にまで? 来賓室にお通ししたのに……‼」
 フレアの視線の先に、一人の青年が立っていた。
(なんて綺麗な王子様)
 ゲームで容姿を知っていたが、知っていても、綺麗だ、と思った。
 深みのある銀色の髪をした王子様だ。
 たしか、年齢はフレアの二つ年下。
 まだ十七歳ということもあり、成熟しきった男というには、青さのある容姿をしていた。きっと、これからもっと魅力的な男になるだろう。
 頬に影を落とすような長い睫毛に縁取られるのは、黄金の瞳である。
 フレアに気づいて、グレイはこちらに近づいてくる。
 歩いてくるのではなく、駆け寄ってきたあたり、よほどフレアに会いたかったらしい。

 だが、グレイが跪いたのは、フレアの前ではなかった。

「エスメ。エスメラルダ」
 理解できなかった。
 どうして、この王子は、フレアではなくエスメの名前を呼んでいるのだろうか。
 戸惑うエスメの片手をとって、グレイはキスを落とした。
 それから、満面の笑みでエスメを見上げると、こう言った。

「あなたの犬になりたい。どうか、俺を婿にしてくれ‼」

 辺境伯に生まれた双子姉妹。
 美しく優秀であるエスメは、めまいがした。
(ど、どうして。どうして、こんなことになっているんですか⁉)
「お、お姉様から離れなさい! この不届き者‼」
「不届き者⁉ なに、エスメに不埒なことをする奴がいるのか? 許せないな」
「あなたのことですわ‼」
「俺は不届き者ではない。エスメの夫だ」
「はあ⁉ 申し訳ありませんけど、お姉様は辺境伯としてオルコット領をお守りになるのよ。素敵な領主様になるの! 王太子殿下の妃にはなりません!」
「俺の妃ではない。俺がエスメの婿になる。ああ、心配しないでくれ。必要な手続きは、すべて終わっている。エスメ。あとは、あなたが頷いてくださるだけだ」
 エスメはめまいを堪えながら、なんとか唇を開く。
「……王太子殿下が、どうして、婿入りなど? あなたの他に、王位を継ぐ御方はいらっしゃらないのに」
「問題ない。すべて弟に任せてきた」
「弟君? 第二王子殿下は……」
「サフィールは優秀だからな。王位を継いでも、よく国を守り抜いてくれるだろう。何の心配も要らない」
(待って。サフィール様? グレイ様の弟君は、先の戦争で命を落としたはず)
 ゲームが始まる時点で、グレイは自分の片割れ――エスメたちのように、王太子グレイは双子なのだ――を喪っている。
 だから、グレイ以外、王位を継ぐことのできる王子はいない。
(ああ、でも。私、サフィール様の訃報を聞いていません)
 第二王子が戦死すれば、当然、エスメたちの耳にも届く。
 その訃報がなかったということが、第二王子が生きている証だ。
(ゲームと違う? 私――本来、存在しないはずの主人公の姉がいるように。サフィール王子も、ゲームとは違って戦死しなかった。それなら)
 それなら、この先の物語は、どうなるのか。
 この世界は、フレアを主人公にした乙女ゲームだ。ハッピーエンドしかない、フレアが幸せになるための世界なのに。
 その世界が、すでに崩れはじめているのか。
 エスメは目の前が真っ暗になる。
「エスメお姉様‼」
 あまりの出来事に、エスメは意識を失ってしまった。
 五歳のとき、前世を思い出した日のように。
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