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一章

次の約束

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 それから週末までの間、花耶は鬱々とした気分を抱えて過ごしていた。会社では相変わらずの奥野を前に、花耶はどういうつもりなのだろう、本気なのだろうか、それとも飽きるまで続ける気なのだろうかと、気持ちは風に舞う木の葉のように揺れていた。いつも無表情なのがこういう時には役に立ったなと思うが、今はそれすらも花耶の負担になっていた。
 奥野の顔を見るたびに週末の約束の事を思い出し、それと同時に約束させられた時の事までセットで思い出されてしまい、花耶は仕事中も冷静ではいられなかった。恋愛初心者には刺激が強すぎるのに、これから先もあんな事を…そう思うといっそ会社を辞めてどこか知らないところに逃げ出したくなった。さすがにそこまですれば奥野も追いかけてはこないだろう。
 そうは思うのだが、転職と同時に引っ越しは簡単には出来そうもなかった。次の就職先を見つけるのも大変だろうが、一番の問題は就職やまた新しく部屋を借りる保証人になってくれそうな人が見つからない事だった。
 今の会社とアパートの保証人は叔父だが、彼は花耶に言わせればろくでもない人物で、祖母の死後発覚したのだが、叔父は花耶のためにと父親が振りこんでいた養育費を使い込んでいたのだ。花耶は返済を迫ったがあっさりもうないと使い込みを認めたため、花耶は養育費の返済を求めない代わりにアパートと会社の保証人にサインさせ、それっきり縁を切った。それ以外に付き合いのある親せきなどもいないため、保証人を見つけるのは容易ではない。相談すれば麻友が自分がと言ってくれるだろうが、さすがに麻友に頼める話ではなかった。



 花耶の願いに関わらず、時間は流れ、約束の土曜日が来てしまった。まだ金曜日の夜から出なかったのは幸いなのだろうが、待つ時間が増えた分だけ花耶が心を乱される時間も長引いて、昨夜はあまり眠れなかった。またあんないかがわしい事をされるのだろうかと思うと、気が重い事この上ない。今日までに筋肉痛などの身体の痛みは消えたが、また…?と思うと憂鬱でしかなかった。何とか回避できないかと考えたのだが、今後の事を考えると思い切れないし、それだけの準備も整っていなかった。結局のところ、言われた通りにするしかないのだが、易々と受け入れる気にはなれなかった。

 不本意ながらも他の手も思いつかなかった花耶は、渋々泊りの準備をした。その日の服も着替えも、持っている物の中でも地味で味気ないものを選んだのは、せめてもの抵抗だった。当然ながらスカートなどはない。変質者に付きまとわれた経験から、仕事で必要な物以外は持っていなかったと言うのもある。なんにせよ、言いなりになる気は全くない花耶だった。

 十時になったと同時に、スマホにメッセージが表示された。当然相手は奥野で、下で待っているとの内容だった。遅れてこればいいのに…と心の中で悪態をつき、心のもやもやを吐き出すように大きめのため息をつくと、花耶は今下ります、とだけ返信して立ち上がった。
 外では奥野が、車から降りて花耶が来るのを待っていた。通りかかった女子高生らしき少女二人が、奥野を見ながらひそひそと話をしていた。どこにいても何をしていても目立つのは背の高さだけではないんだろうな、と思いながら階段を降りると、花耶を見つけた奥野が嬉しそうに笑みを浮かべ、それを目にした少女達が小さく黄色い悲鳴をあげて、顔を真っ赤にしていた。
 花耶が奥野のそばまでくると、奥野は花耶が手にしていた泊りの荷物が入ったバックをさりげなく手に取って肩にかけると、両腕で花耶の身を羽のようにゆったりと囲い、待ち遠しかったと囁いて花耶を悶えさせた。顔を赤くした花耶が朝っぱらからやめてくださいと抗議の声を上げると、奥野はそれはそれは嬉しそうに笑い、花耶を助手席へと誘った。

 このまま奥野の家に向かうと思っていた花耶に、奥野は買い物に行こうと提案した。聞けば食器などがあまりないため、もう少し買い足したいのだと告げた。別に一時的な関係だし、無理して一緒に過ごさなくても…と花耶は思うのだが、奥野に言ったところで聞き入れられるとも思えなかったので、分かりましたとだけ答えた。奥野は、人に見られるのも面倒だろうと言い、少し遠くのショッピングモールに行こうと告げた。温度差がありすぎるな…と思うのだが、奥野がそれを気にする様子もなかった。



 ショッピングモールでは、奥野は言っていた通り食器や身に周りの品を何点か購入していた。皿やカップをペアで揃え、会計のたびに店員にじろじろ見られるのは気恥ずかしく居心地悪かった。彼女たちの視線は、何でこんな子が…と言わんばかりだったからだ。
 この日の奥野は七分丈のカットソーに濃紺ジーンズ姿で、彼によく似合っていた。背が高くてイケメンなのだから、何を着ても外れがないような雰囲気がある。
 対する花耶は、奥野に言われた通り髪を下ろし眼鏡もしていなかったが、白と水色の細かいストライプのダボっとしたシャツに細身のパンツと言う地味で野暮ったい格好だったから、なおさら二人の間には差があっただろう。はたから見れば天と地くらいの差があったかもしれない。

 そうしている間にも奥野は花耶の手を引き、とある店を尋ねた。そこにいた店員に気さくに声をかけると、声をかけられた店員が振り返って奥野の姿を認め、珍しいな、と笑みと共に返事をした。店員は奥野よりも少し背は低めだったが、少し長めの髪と茶目っ気のある顔立ちが親しみを持ちやすく、奥野とは逆のイメージだった。服装もお洒落なのが一目でわかる洗練された雰囲気で、見た目は奥野と同年代に見えた。随分気安そうな二人に、花耶は何となく邪魔かな?と思って距離を置こうとしたのだが、奥野は逃げる間を与えてはくれず直ぐに捕獲され、その様子を店員が驚きと好奇心いっぱいの目で眺めていた。

「お勧めなんかあるか?」
「あ~、うん、そうだなぁ…」

 花耶をすっ飛ばして頭上で交わされる会話を花耶が戸惑いながら聞いていると、店員は花耶をしばらく眺めてから、少し離れた場所にあるレディース物の商品を物色し始めた。暫くして、これとこれかな~と店員が二着のワンピースを示した。明らかに女物で、奥野のものではないそれに、もしかして…と思い至ったが、じゃ試着室こっちね~と店員に促され、奥野にもほら、と押し込まれてしまった。花耶が押し付けられた服を手に、ええ?と疑問符を飛ばしていると、着替えさせて欲しいの?と奥野がカーテンの向こうから意味深に言うので、花耶はだ、大丈夫ですと答えて、諦めて着替え始めた。

 結局、最初に持たされた物以外にも数着試着させられ、その内のワンピース二着はお買い上げとなり、花耶は片方を身に着けたまま店から連れ出された。今着ているのは、上は紺色で下に向けて白のグラデーションになっているひざ下丈のワンピースだった。長袖でデザインは定番のシンプルなものだが、着心地がよくて背が低い花耶でも違和感がなく、センスの良さが伺えた。もう一着はグレー地にピンクの小花柄で、こちらはふんわりした印象の物だった。どちらも普段の花耶なら絶対に買わないデザインで、もしかすると奥野の好みなのだろうかと花耶は思ったが、何だか癪なので気にしない事にした。
 奥野は、あの店員は学生時代の友人でこの店の店長をしており、奥野はよくここで買い物をするのだと告げた。センスがいいから俺なんかいつもお任せだと言い、今着ている物も彼の見立てだといった。
 
 その後は店内をブラブラしていたが、昼時になったため、モール内のイタリアンレストランでランチになった。お勧めはこれとあれでと甲斐甲斐しく説明されたが、横文字の名前についていけなかった花耶はお任せしますと言って奥野に丸投げした。殆ど外食しない花耶は、メニューの名前を聞いても何のことかわからないのだ。出てきた料理はどれも美味しかったが、花耶は服を汚さないかとそちらが気になって落ち着かなかった。
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