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一章

かみ合わない会話

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 会社に関わる話が終わると、奥野はちょっと待ってくれといってコーヒーのお替りを取りに席を立った。花耶もどうかと聞かれたので、有難く頂戴する事にした。既にカップの中は空になっていたし、話の内容が内容だけに何か気を紛らわすものがあった方がいいと感じたからだ。

 暫くして奥野は、両手にカップを手にして戻ってきた。次は何を言い出すかと言葉を待っていた花耶に奥野は、言いたい事があるなら先に話して欲しいと言ってきた。どういう事かと訝しがる花耶に、自分が先に話をすると花耶が言えない事がでてくるかもしれない、自分はどうしても相手に威圧感を与えてしまうし、上司という立場もあるから遠慮させてしまうだろう。だから花耶が先に話した方がいいと告げた。
 威圧感があるって自覚あったんだ…と思うと共に、これまで花耶の意見を聞いた事がなかった奥野の変化に、花耶は驚いて目を丸くして見上げた。奥野は相変わらず表情に変化はなかったが、何となくバツが悪そうにも見えた。

 花耶から先に…と言われたのはいいが、花耶は咄嗟には何を話していいか迷ってしまい、言葉が出なかった。そんな花耶に奥野は、今日は時間もあるし慌てなくていい、ただ、思っている事を出来るだけ話して欲しいと言った。花耶は何から話すべきなのかと頭をフル回転させたが、やはり適切な言葉が思いつかなかった。気を落ち着かせようとカップを手に取り、ミルクティーを一口飲むと心地よい甘さが少しだけ気持ちを落ち着かせてくれた。奥野がこちらを見ているような気がして、視線に焼かれるような気がした。

 暫く考えた花耶は、考えても仕方ない、演説するわけじゃないのだから思いついたことから聞こうと思った。何て事はない、考えても何も浮かばなかったから面倒になったのだ。こうなったら聞きたい事は全部聞けばいい、何も花耶の方から「話しをする」必要もないのだ。

「…課長は、…何であんな事を、したんですか?」

 そう花耶が尋ねるも直ぐに返事はなかった。花耶は最初の事を言ったつもりだったが、もしかして曖昧過ぎて意味が伝わらなかっただろうか…でも、恥ずかしすぎて皆まで言うのは憚られた。何を?と聞かれたら言えばいいかと花耶は開き直った。

「…あれは…」

 そう言いかけた奥野は一度言葉を区切ると、少しだけ花耶の方に身体の向きを変えて、花耶の目をじっと見てから話し始めた。

「あの人は、取引先の担当者だ。別にやましい事はない。確かに一緒にはいたが、他の連中もいたし、相手側も他の社員がいた。別に二人きりで会っていたわけじゃない。疑うなら林や長谷に聞いてくれてもいい」
「…は?」

 質問に対しての答えが噛み合わな過ぎて、花耶は奥野の話した内容に混乱した。あの時の事にあの女性は関係ないのではないだろうか?それとも何か関係があって、それで奥野はあんな事をしたのか?あの時の事と今の奥野の話を何とか繋げようとしている花耶を見て、今度が奥野が戸惑うような空気になった。

「何の…事を言ってるんですか?」
「何って…この前の日曜日の話じゃないのか?」
「え?あ…ああ、あの話…」

 そう言われてやっと合点がいったが、いきなりその話になると思わなくて直ぐには反応できなかった。ああ、聞き方が悪かったな、と思ったが、あの女性の事も聞かなければと思っていただけにちょうどよかった。そんな花耶の態度に、奥野の方が不審そうな目を向けた。

「その…あの時の事で怒ってるんじゃなかったのか?」
「え?あ…えっと…」

 怒っているのかと問われたが、別に花耶は怒っていたわけではなかった。勿論気にはなっていたが、そんな事で怒るのはちゃんとお付き合いしている場合であって、自分達の関係には当てはまらないだろうと思っていたからだ。そして、その事で花耶が怒っていると奥野が思っている事も意外だった。

「別に…その事は、特には…怒る立場でもない、ですし?」
「え?」
「いえ、ですから、怒るような関係じゃないですよね?」

 花耶の返事に、今度は奥野が驚きの表情を浮かべて花耶をまじまじと見た。何か変な事を言っただろうか…と花耶は不安になった。何となくだが、会話がかみ合っていない気がした。まぁ、最初からかみ合っていなかったな、とは思うが。奥野の反応が先ほどから想定外続きで花耶は戸惑ったが、ふとある事に気が付いた。

「それより…課長、私たちがいたの、気付いていたんですか?」

 あの場では奥野は花耶達に気付いたようには見えなかった。花耶達は列に並んでいたが店の壁に張られたメニューを見ていたため奥野たちには背を向けていたし、麻友が気付いたのは店のガラスに奥野の姿が映ったからだと言っていた。花耶があの場面を見た事を怒っていると言っているが、一体どこで気付いたのだろう。花耶達は直ぐにあの場を去ったから、出る時に気が付いたわけでもないだろうに。

「それについては…その…高坂から言われて。昨日、仕事帰りに高坂に駅で会ったんだが、見損なった、二度と花耶に近づくなと言われて。何の事かわらなかったんで話を聞いたら、その…日曜日に俺が仕事と言って女性と二人で食事に行っていたと。それで…警察に行った時、ネックレスをしていなかったから、怒っているのかと…」

 花耶が奥野に対して怒っていると言うのも想定外だったが、麻友の話はもっと想定外だった。確かにあの後麻友は電話で、奥野さん最低、見損なった、許せないと、花耶以上に怒りを露にしていたし、やっぱり別れた方がいい、あんな人だとは思わなかったと散々な言い様だった。だが、まさかそれを本人に直接ぶつけたとは思わなかった。なんせ麻友は奥野を怖がっていたのだ。そんな麻友がそこまで花耶を思ってくれていた事を知って、じんわりと心が温かくなった。麻友が…とつい笑みが漏れてしまい、その様を奥野が驚きを滲ませて見ていた。

「えっと…その事は本当に、気にしていない訳じゃなかったけど、どうでもよかったんです」
「どうでも、いい…?」
「だって…そもそも課長とは一時的なものですよね?その…課長に本命が見つかるまでの…」
「ちょっと待て!」

 いきなり強い口調で話を遮られて、今度は花耶の方が驚いた。何か変な事を言っただろうか…と思いながら、急に立ち上がった奥野を見上げた。奥野は怒りとも戸惑いともわかりかねる表情で、両手を握りしめて何かを耐えるようにも見えた。整った顔立ちで目つきが鋭いものあり、怒ると余計に怖く見える。イケメンって怒らせると迫力倍増なんだなと、花耶はどうでもいい事を考えていた。

「一時的とか本命ってどういう事だ?」
「え?いえ、ですから…」
「本命だと最初に行っただろう!」
「え…あ~そう、でしたね…」
「じゃ、何でそんな話になるんだ?」
「何でって…それは…その、課長が、私の気持ちを汲んでくれなかったから、ですけど?」

 花耶がそう告げると、奥野は呆然とした表情で花耶を見下ろした。身体が大きいのでそれだけでも少し、いや、かなり怖い。奥野は花耶に対しては怒鳴ったり大声を出した事はなかったが、今なら何かされてもおかしくない剣呑な雰囲気があった。そんなに気に障るような事を言っただろうか…もしかしたら、自分がそんな事を願うのは奥野的にはあり得ない事だったのだろうか…

「…あの…す、すみません…?烏滸がましい事、言って…」

 花耶自身は烏滸がましいとは思わなかったが、奥野から発する圧に負けて、思わず謝ってしまった。こういうところがダメなんだとは思うが、さすがに生理的な恐怖感には勝てなかった。

「花耶の…気持ち…?」

 表情はそのままに、奥野は独り言のように振り絞るようにそう呟いた。何だろう…そんなに戸惑うような事だろうか…花耶にも気持ちがあるのがそんなに意外なのだろうかと不思議に思うと共に、花耶は奥野が別次元の人間のように見えて恐怖を感じた。この感じは最近、伊東にも感じたもので、その事に思い至った花耶は無意識に後ずさった。
 ここで何かを言うのもその後の反応が怖くて、花耶は何も言えないまま奥野がどう動くかを見上げながら待つことしか出来なかった。身の危険を感じなくもなかったが、幸い生理中だし、いきなり襲い掛かってきたりはしないだろう。とは言え、殴られるとか叩かれる可能性を感じて、花耶は身を固くしていた。

 暫く奥野は呆然とした表情のまま固まっていたが、そのうち両手で顔を覆い、はーっと大きく息を吐いた。その様も威圧感があってさりげなく怖い。色々と失敗して怒らせてしまったのだろうかと花耶の内心は大嵐だったが、そんな花耶に奥野は漸く気が付いたようだった。

「ああ、悪い。怒った訳じゃなくて…その…」

 歯切れ悪く言葉を選ぶように出した奥野は、はぁ…とまたため息をつくとソファに座り直した。目線が先ほどよりも近くなったのもあり、花耶はそれだけで何だか少しだけホッとしてしまった。とはいえ、それでも少し上を見なければ奥野の顔は見れず、やはり体格差があり過ぎるな…と思った。

「すまない、花耶…その、一つ確認なんだが…」
「…はい?」
「花耶はその…ずっと、一時的なものだと…?」
「え?あ、はい。そうですけど」
「あれだけ好きな理由も言って、ずっと一緒にいたし…家の鍵も渡したのに…」
「それは…」
「お揃いのネックレスも買ったし、いずれ指輪も買うと言っただろう…」
「そうでしたが…」
「なのに…なぜ…」
「…でも…、私の気持ちは…そこになかったですよね?」
「…」
「聞かれた事もなかったし…」
「…」
「…好きだったら、相手の気持ちも尊重するものじゃ、ないんでしょうか…」

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