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二章

招かざる客

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「ピンポーン」

 翌日、デートに出かけようと準備をしていた花耶は、インターホンの音を耳にしてすぐ側にいた奥野を見上げた。奥野が花耶の方に視線を向けると、何だ、珍しいなと呟いてインターホンの画面をのぞき込んだ。画面をのぞき込んだ奥野が微妙に眉間のシワを深めたのを見て、訪問者が奥野にとって招かざる客である事を花耶に告げた。

「母と…従妹だ」
「え…?」

 奥野の言葉に花耶の心がざわついた。既に家族には電話で花耶と結婚すると宣言していたと言っていたのに、母親と従妹が来るのはあまりいい話ではないように感じたからだ。そんな花耶の動揺を察したのか、奥野は何も心配しなくていいと花耶を抱き寄せて額に優しいキスを落としてから、インターホンの通話ボタンを押した。

「何だ?急に?」
『透夜ったら…久しぶりに親が尋ねてきたのに冷たいわね』
「来るなら事前に連絡してくれと、何度も言ってるだろう?またにしてくれ」
『そう言わずに。今日は久美ちゃんも一緒なんだから』
「久美が?何の用だ?」
『もうっ!恋人に随分な言い草ね』
「恋人じゃない。偽造だと言っていただろう」
『でも、親戚のおばさん達はすっかりその気よ。久美ちゃんも透夜ならいいって』

 その言葉に、花耶は自分の悪い方の予感が当たっていたのだと表情を曇らせた。奥野ほどの魅力的な男性なら、彼を慕う女性がいても不思議はないのだ。

「…親戚になら先週電話しておいた。偽装だった事も、結婚すると決めた相手がいる事も、先週そっちに電話したのと同じ事を言ってある」
『な…そんな…』

 奥野がきっぱり言い切ると、母親は戸惑いの声を上げた。まさか親戚にまで話をしているとは思わなかったのだろう。

「結婚すると決めた相手がいると、電話で話しただろう」
『急に言われたって信じられないわよ。今までそんな話全くなかったし…』
「相手から返事が貰えなかったから言えなかっただけだ」
『え?じゃあ…』
「先週返事を貰ったし、結婚にも同意して貰っている」
『ええっ?!』
「え…?」

 母親が驚きの声を上げたが、花耶も驚いて奥野を見上げた。確かに好きだと言って付き合う事にはなったが、結婚すると言った覚えはなかった。とは言え、会話中の奥野にそれを問いただすわけにもいかず、花耶は会話の成り行きを見守るしかなかった。

「これから出かけるから、その話はまたでいいだろう」
『そ、そんな…そういう事なら相手の方にお会いしたいわ』
「だから今日は時間がないと言っている。またにしてくれ」
『え?ちょ…透夜…』

 そういうと奥野は、一方的にインターホンでの会話を終了させてしまった。まだインターホンが鳴り続いていたが、奥野はため息をつくだけで気にした風はなかった。花耶の方に身体を向けると困ったような笑顔を浮かべ、この訪問が奥野にとっても想定外だったことを花耶に伝えた。

「すまなかったな、花耶」
「いえ…それは別に…でも、同意って…」
「え?プロポーズするって言った時、ダメじゃないって言ってくれただろう?」
「え?あ…」

 そう言われて花耶は、先日の宝飾店での会話を思い出した。そう言えばそんな事を言った気もするし、婚約指輪は辞退したがペアリングは受け取ってしまった。となれば、了承したと思われても仕方ないのかもしれない。

「ダメだったか?それなら訂正しておくが…」
「…いえ、大丈夫、です」

 表情を曇らせた奥野に慌てて否定したものの、花耶は恥ずかしくなって俯いた。途端に奥野にふわりと柔らかく抱きしめられた。腕の中で花耶は、今更奥野を他の人になんて渡せるはずもないのだと、いつの間にか自分にもしっかり独占欲が生まれていた事を自覚した。花耶は戸惑いながらも奥野の胸に頬を寄せると、その匂いをゆっくりと吸い込んだ。好きな人の匂いに包まれるのは、思っていた以上に心を満たしてくれて、花耶の心を温めた。

「前にも言ったが、俺は花耶以外と結婚する気はない。久美の事も、妹みたいなもので女としてみた事もない」

 その優しい仕草と声に花耶の不安が溶けていったが、鳴り続けるインターホンが甘い雰囲気を台無しにしていた。どうやら相手はこのまま帰る気はないらしい。

「…大丈夫ですか?これから出かけるのに…」
「…まぁ、面倒ではあるが…裏口から出る方法もあるしな」
「今日は、車じゃないんですか?」
「…それは…」

 どうやら今日は車で出かける予定だったらしい。裏口から出られたとしても、車を出すと見つかってしまう可能性は高く、奥野もそこは気になっていたようだ。それに、このままインターホンを鳴らされ続けるのは近所迷惑になりかねない。

「私…大丈夫、ですよ」

 奥野がこの状況をどうしようかと思案している事を察した花耶は、困ったような表情で自分を見下ろす奥野を見上げた。今日会わなくても、どうせ近いうちに会う事になるのだろう。幸い今はデートのために身綺麗にしているし、会うのに問題はないだろう。服は奥野が贈ってくれた清楚な雰囲気のワンピースだし、髪も下ろして伊達眼鏡も今日は留守番だ。挨拶をするのには十分だろう。

「だが、無理強いはしたくないんだ…」
「大丈夫、です。このままじゃ出られないし…」
「俺一人で行ってもいい」
「その方がいいですか?」
「いや。どうせなら会って欲しいが…」
「じゃ、行きます」
「…すまない。ありがとう」

 額に軽いキスを落とした奥野は、再びインターホンに向かい、母親に近くの喫茶店で待つように告げた。十分ほどで行くからと言うと、相手もようやく納得したのかマンションを後にした。



 奥野が指定した喫茶店は、以前花耶も一緒に来た事がある店だった。花耶は飛び出しそうになる心臓を抑えながら、奥野に手を引かれて店に入った。自分から会うと言ったくせに店までくると逃げ出したくなる気持ちが膨らんでしまい、そんな自分が情けなくなった。奥野は大丈夫だ、花耶に嫌な思いをさせるなら直ぐに帰る、と言ってくれたため、花耶はそんな奥野のためにも必死で緊張感と戦った。

「待たせた」
「透夜!」
「透夜さん!」

 従妹と思われる女性が奥野を名前で呼んだことに花耶の心がざわついた。今までは会社なのもあってか、奥野を名前で呼ぶ女性がいなかったからだ。奥野がそんな花耶の気持ちをほぐすかの様に柔らかく微笑みかけると、向かいに座る女性二人から戸惑いが伝わってきた。

「母さん、久美、こちらは三原花耶さん。俺が唯一結婚したいと思っている女性だ」

 そう紹介された花耶は、なんて言い方をするのだと思ったが、さすがにそんな事を言える筈もなく、三原花耶です、初めまして、と軽く会釈をして名乗った。顔を上げた花耶が見たのは、驚きの表情に固まっている母親と、驚きの中に険しさを滲ませた従妹だった。

 母親は若々しく見えて、思っていたよりも小柄だった。背の高い奥野を生んだだけに、花耶はそれなりに背の高い人だろうかと思っていたが、実際には花耶よりも少し高いくらいだろうか。花耶を見る目には好奇心以外のものも含まれていて、完全に歓迎しているとは言い難かった。
 従妹で久美と呼ばれる女性は三十前後に見えた。奥野をさん付けで呼んでいた事から奥野よりも年下なのだろう。女性としては背が高そうで、茶色に染めたセミロングの髪を綺麗にカールしていて、今時の女性と言う感じだった。服装は落ち着いた感じだが、メイクは目元の付けまつ毛が目立ち、割と派手に見えた。こちらは完全に歓迎しているとは言い難い空気を醸し出していた。

「…ま…ぁ…、こんなに若いお嬢さんだったなんて…」
「年は関係ないだろう。花耶は若いが優秀で、社長にも気に入られているんだ」
「え…いえ…そういう訳じゃ…お、おいくつなのかしら?」
「二十三です」
「ええ?じゃ…透夜の…十歳下…?」

 さすがに母親は花耶が思った以上に若くて驚いたらしい。確かに一回り近く年が離れているし、自分の息子がそんな若い子に手を出したのかと思えば、親としては複雑な気分なのかもしれない。

「もう少し先になるが、結婚もするから」
「そ、そんな……お父さんにも話を…」
「親父になら先週話をして、好きにすればいいと言われている」
「あ…相手の親御さんは…」
「花耶の母君は既に亡くなっているし、父君とは離婚後交流はないそうだ。だから心配ない」
「…え…」

 自分の親の話に奥野の母親が困惑の表情を浮かべた事に、花耶は気持ちが沈むのを感じた。自分に後ろ暗い事はないが、やはり世間一般的に歓迎されない事は理解している。そんな花耶の不安をほぐすかの様に、奥野は握っていた手に僅かに力を込めてきて、それが花耶の心を温めた。

「花耶は母君が亡くなった後、祖母君の世話をしながらバイトもして高校を卒業した。その辺の苦労知らずの甘えた奴らとは違う。この事で何か言う奴がいるなら、俺はそいつの良識を疑う」

 はっきりそう言い切る奥野に、花耶は胸が締め付けられそうになった。そんな風に言って貰った事はあるが、それを奥野に言われる事は比べ物にならないほどの重みを感じた。奥野に家庭の事情を詳しく話した事はなかったが、こんな風に認めて貰えたことが嬉しくて泣きそうになった。

「もういいか?予約した時間が迫っているんだ。話があるならまたにしてくれ」
「え?あ、あの…」
「じゃ、また」
「と…透夜さん!」
「何だ?」

 従妹の女性が奥野を呼び止めようとして声を上げたが、奥野は温度を感じさせない声で答えた。顔からは表情が消えていて、その感情は伺えなかった。

「最初に偽装だと言ったのは久美だったよな。相手が出来るまでと言ったのも」
「それは…わ、私は…」
「何だ?」
「…いえ…」

奥野の圧に負けたのか、久美はそれ以上何も言わずに俯いた。唇を噛んでいるようにも見えたから、この状況は不本意だったのかもしれない。

「そういう訳だから。じゃ、気を付けて帰ってくれ。俺たちは次の予定があるから」

 そういうと奥野はさっさと席を立つと、花耶の手を取ったまま店を後にした。今度は呼び止める声は聞こえなかった。



* * *

年についてですが、花耶は2月生まれ、奥野は7月生まれなので、この時点では10歳差です。
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