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七章、勇者の呪いと熱砂の誓い
127、人間の一生は短いが、歩みを止めて心を休める日があってもいい
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『貴方たちが生まれるよりも前の出来事です。ショックを受けた勇者はそれから一気に心身を狂気と穢れに侵食されていきました……』
人魚の王がゆったりと紡ぐ声に、視線が集まる。
「滅び。亡び。元凶となった生き物をあやめ、不幸を撒き、終わらせる」
ステントスは歪に哂った。
「世界を汚した。我らを穢した。弟を殺した。弟を苦しめた。ゆえに、我は同じ苦しみを人に撒き、人を殺すであろう」
不安定な調子になって声が、奇しいトーンで悪意を練る。
「人よ、呪われたまえ。苦しみたまえ――この世界は汝らのための世界にあらず。元々は、自然に生きる動物たちや妖精たちのものであったのだ」
視線を左右に巡らせ、上下させ、ステントスはノウファムの手を放して空へとフワッと飛翔した。
「ステントス。友よ。帰るのか?」
直前の狂気など気にしないといった鷹揚な声でノウファムが呼びかけると、ステントスは荒ぶりかけた気配をほわりと落ち着かせた。
白いローブのゆったりした袖が風を孕んで、人魚など知らぬ、何にも縛られぬと宣言するように手が振られる。
「ともだち。ともだち。ノウファムよ。海は如何か」
沈む陽を背負うような声は子供のように無邪気に響いて、ノウファムは隻眼を眇めた。
「涙を受け止めて抱く海は雄大で、美しかった。俺は海が好きだな」
空の上と船の上、高い所と低い所。
離れた距離の二人が声を響かせるのを邪魔しないように、みんなが息を潜めて見守っている。
楽団は演奏をやめて、人魚たちも静かだ。
「……我も、海は美しいと思っていたよ」
ステントスが風を巻いてそう言うと、海が一層美しく優しく輝いて見えた。
「ノウファムは、欲張りだ。多くを欲しがり、なかなか滅ぼせぬ」
無垢な子供が素直に感想を告げるような楽し気な声は、好意的だった。
僕はノウファムとステントスの間に交わされたやり取りを思い出した。
『我はこの世界を滅ぼすつもりであったが、もし王が我と手を組むならば世界の半分をお前にやろう』
『世界の半分を俺が貰ってやろう』
『この酒はなかなか美味い。この土地の名産らしい。ゆえに、俺はここの土地を貰う』
『人間の王はこの土地が欲しいと言った。だから我は守ってやった』
『人間の王よ、この土地はどうだ?』
『この土地のお茶は美味いし、弟が好む温泉もある』
――ああ、こうやって世界を守ってきたんだ。
僕はノウファムの傍に駆け寄って、その逞しい腕に自分の腕を絡めて寄り添った。
たゆまぬ鍛錬に鍛え上げられた筋肉質な腕は硬くて、熱い。
息を吸って風の魔術も使って声を天に届かせる。
「僕のお兄様は、ちょっと不器用だけど、優しいんだ。だから、貴方のことも助けるよ」
ステントスは、空中で優雅に一礼した。
「……我の望みは、……――弟を…………たすけたい」
虚空に溶けるように消える刹那、去り際にとても人間らしく感じる哀しくて淋しそうな声が聞こえて、僕たちはしばらく無人の空を見つめ続けたのだった。
弟をたすけたい。
それが、望み?
――世界樹で観た最初の世界のノウファムは、何と言っていたのだったか。
『お前の望みを俺がかなえる。約束する。だから、エーテルが生きる未来をくれ』
「む……むり、じゃ、ないですか……?」
僕はそっとノウファムを見上げた。
隻眼の視線は静かにステントスが消えた後の空を見て――海へと下がっていく。
「だって、ノウファム、様。何回時間を戻して人生を再開しても、貴方の記憶が戻ったときには――ステントスの弟は、死んでいるのではありませんか? たすけられないよ」
何をどうしたって、助けようがないではないか。
約束が果たせないのではないか。
『おお、勇者よ。痛ましいこと。あの妖精の勇者の魂が救われるよう……私たち人魚は海から祈っています……』
人魚の王はステントスが消えた空に悲し気に呟き、用事は済んだとばかりに去って行った。
人間に会いに来たというよりは、恐らくはかつて妖精たちの希望であったであろう勇者にひと目会いに来たのかもしれない――僕はそう感じた。
「勇者……最初の世界で変わり果てた魔王は、俺が望みを叶えるための手段をくれた。最初の世界で王家に伝わる神器を直してくれたんだ。歪んだ力は神器にも若干の悪影響を及ぼしている」
ノウファムが情報共有をしてくれる気配だ。
喋ってくれる内容よりも、僕は喋ってくれること自体が嬉しくて頬を紅潮させた。
「神器に? それは、気付きませんでした……いえ」
……リサンデルやカジャ、ノウファムと王様が一定の時期に暴君化するのは、それが原因だったりするのだろうか?
「僕やカジャが知らない最初の世界のリサンデル王は、暴君にならなかったりしたのでしょうか?」
「父リサンデルは、良い人だった。人間のために良かれと進めた政策は、妖精には毒であったが……人間にとっては良き王で、民を想い、民を虐げることもなかった」
ノウファムだけが知る最初の世界は、どんな世界だったのだろう――僕は切なくなった。
「一年が終わり、新しい年が始まる。人間の一生は短いが、歩みを止めて心を休める日があってもいい」
ノウファムはいつかそうしたように僕の前にしゃがみこんだ。
「今日はお前が王様、だったか? エーテル?」
たくさんの記憶を飲み下して自分であろうとするひとつだけの青い瞳が優しく僕を見上げて、くしゃりと顔を歪める。
へたっぴな笑顔だ。
どこにでもいるような、普通の笑顔をつくろうとして失敗したみたいな、そんな顔だ。
僕もきっと同じような表情をしてるんだ。
だから、鏡映しみたいにそんな顔になるんだね。
「はい、お兄様。僕が王様だから、今日は言うことをきいてくださいね」
「もちろんさ。……してほしいことはあるか。兄さんはお前に尽くしたい」
それなら、それなら。
まず、僕の手を握ってよ。
僕が手を差し出せば、ノウファムは自然な距離感で手を取って、立ち上がってくれた。
すらりとした長身は均整取れた凛然とした立ち姿で、匂い立つような気品がある。
各地への旅路を共にした仲間たちが理解の色を浮かべて、これから王様になる彼に「殿下」ではなく「ノウファム様」と呼びかけるので、僕はあったかな気持ちになったのだった。
人魚の王がゆったりと紡ぐ声に、視線が集まる。
「滅び。亡び。元凶となった生き物をあやめ、不幸を撒き、終わらせる」
ステントスは歪に哂った。
「世界を汚した。我らを穢した。弟を殺した。弟を苦しめた。ゆえに、我は同じ苦しみを人に撒き、人を殺すであろう」
不安定な調子になって声が、奇しいトーンで悪意を練る。
「人よ、呪われたまえ。苦しみたまえ――この世界は汝らのための世界にあらず。元々は、自然に生きる動物たちや妖精たちのものであったのだ」
視線を左右に巡らせ、上下させ、ステントスはノウファムの手を放して空へとフワッと飛翔した。
「ステントス。友よ。帰るのか?」
直前の狂気など気にしないといった鷹揚な声でノウファムが呼びかけると、ステントスは荒ぶりかけた気配をほわりと落ち着かせた。
白いローブのゆったりした袖が風を孕んで、人魚など知らぬ、何にも縛られぬと宣言するように手が振られる。
「ともだち。ともだち。ノウファムよ。海は如何か」
沈む陽を背負うような声は子供のように無邪気に響いて、ノウファムは隻眼を眇めた。
「涙を受け止めて抱く海は雄大で、美しかった。俺は海が好きだな」
空の上と船の上、高い所と低い所。
離れた距離の二人が声を響かせるのを邪魔しないように、みんなが息を潜めて見守っている。
楽団は演奏をやめて、人魚たちも静かだ。
「……我も、海は美しいと思っていたよ」
ステントスが風を巻いてそう言うと、海が一層美しく優しく輝いて見えた。
「ノウファムは、欲張りだ。多くを欲しがり、なかなか滅ぼせぬ」
無垢な子供が素直に感想を告げるような楽し気な声は、好意的だった。
僕はノウファムとステントスの間に交わされたやり取りを思い出した。
『我はこの世界を滅ぼすつもりであったが、もし王が我と手を組むならば世界の半分をお前にやろう』
『世界の半分を俺が貰ってやろう』
『この酒はなかなか美味い。この土地の名産らしい。ゆえに、俺はここの土地を貰う』
『人間の王はこの土地が欲しいと言った。だから我は守ってやった』
『人間の王よ、この土地はどうだ?』
『この土地のお茶は美味いし、弟が好む温泉もある』
――ああ、こうやって世界を守ってきたんだ。
僕はノウファムの傍に駆け寄って、その逞しい腕に自分の腕を絡めて寄り添った。
たゆまぬ鍛錬に鍛え上げられた筋肉質な腕は硬くて、熱い。
息を吸って風の魔術も使って声を天に届かせる。
「僕のお兄様は、ちょっと不器用だけど、優しいんだ。だから、貴方のことも助けるよ」
ステントスは、空中で優雅に一礼した。
「……我の望みは、……――弟を…………たすけたい」
虚空に溶けるように消える刹那、去り際にとても人間らしく感じる哀しくて淋しそうな声が聞こえて、僕たちはしばらく無人の空を見つめ続けたのだった。
弟をたすけたい。
それが、望み?
――世界樹で観た最初の世界のノウファムは、何と言っていたのだったか。
『お前の望みを俺がかなえる。約束する。だから、エーテルが生きる未来をくれ』
「む……むり、じゃ、ないですか……?」
僕はそっとノウファムを見上げた。
隻眼の視線は静かにステントスが消えた後の空を見て――海へと下がっていく。
「だって、ノウファム、様。何回時間を戻して人生を再開しても、貴方の記憶が戻ったときには――ステントスの弟は、死んでいるのではありませんか? たすけられないよ」
何をどうしたって、助けようがないではないか。
約束が果たせないのではないか。
『おお、勇者よ。痛ましいこと。あの妖精の勇者の魂が救われるよう……私たち人魚は海から祈っています……』
人魚の王はステントスが消えた空に悲し気に呟き、用事は済んだとばかりに去って行った。
人間に会いに来たというよりは、恐らくはかつて妖精たちの希望であったであろう勇者にひと目会いに来たのかもしれない――僕はそう感じた。
「勇者……最初の世界で変わり果てた魔王は、俺が望みを叶えるための手段をくれた。最初の世界で王家に伝わる神器を直してくれたんだ。歪んだ力は神器にも若干の悪影響を及ぼしている」
ノウファムが情報共有をしてくれる気配だ。
喋ってくれる内容よりも、僕は喋ってくれること自体が嬉しくて頬を紅潮させた。
「神器に? それは、気付きませんでした……いえ」
……リサンデルやカジャ、ノウファムと王様が一定の時期に暴君化するのは、それが原因だったりするのだろうか?
「僕やカジャが知らない最初の世界のリサンデル王は、暴君にならなかったりしたのでしょうか?」
「父リサンデルは、良い人だった。人間のために良かれと進めた政策は、妖精には毒であったが……人間にとっては良き王で、民を想い、民を虐げることもなかった」
ノウファムだけが知る最初の世界は、どんな世界だったのだろう――僕は切なくなった。
「一年が終わり、新しい年が始まる。人間の一生は短いが、歩みを止めて心を休める日があってもいい」
ノウファムはいつかそうしたように僕の前にしゃがみこんだ。
「今日はお前が王様、だったか? エーテル?」
たくさんの記憶を飲み下して自分であろうとするひとつだけの青い瞳が優しく僕を見上げて、くしゃりと顔を歪める。
へたっぴな笑顔だ。
どこにでもいるような、普通の笑顔をつくろうとして失敗したみたいな、そんな顔だ。
僕もきっと同じような表情をしてるんだ。
だから、鏡映しみたいにそんな顔になるんだね。
「はい、お兄様。僕が王様だから、今日は言うことをきいてくださいね」
「もちろんさ。……してほしいことはあるか。兄さんはお前に尽くしたい」
それなら、それなら。
まず、僕の手を握ってよ。
僕が手を差し出せば、ノウファムは自然な距離感で手を取って、立ち上がってくれた。
すらりとした長身は均整取れた凛然とした立ち姿で、匂い立つような気品がある。
各地への旅路を共にした仲間たちが理解の色を浮かべて、これから王様になる彼に「殿下」ではなく「ノウファム様」と呼びかけるので、僕はあったかな気持ちになったのだった。
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