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七章、勇者の呪いと熱砂の誓い

128、一年が終わり、新しい年が始まる(SIDE ノウファム)(軽☆)

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    SIDE ノウファム

 太陽が傾くにつれ空は彩を染め替えていき、やがて平穏な夜を迎えた。
 冷えた色を夜空が見せるけれど、南海の気温は暖かだ。
 
 星々が群れて見守る下界――果てなき広大な海の上に、人間たちを乗せた船が浮かんでいる。
 王国一行の『ニュー・ラクーン・プリンセス』は人魚たちと別れ、目的地へと順調に進んでいた。
 
 パーティを終えたノウファムは、唯一無二の存在と共に過ごす時間を楽しんでいる。
(目の前の魔術師は『弟』なのだ)
 そんな認識が、現在のノウファムにはある。
 
「ノウファム……様、僕とお風呂に入ってくださいますか?」
 朱花色の髪を揺らして笑む『王様』のエーテルは、『過去の魔術師』よりも背が低い。
 問われて頷くノウファムは過去を頭の隅に追いやるようにしながら平静を装い、頷いた。
「もちろんだ、王様のエーテル」
 
(呼び捨てでも構わないのに)
 ノウファムは内心で「逆に俺がエーテル様と呼ぶべきか?」と迷った。
 最初にエーテルから呼び捨てにされた時は「俺を支配しようと考えていた頃のエーテルの片鱗か」と動揺したものだが、今となってはこころよい。 

 船の最上層にある展望バスは、幻想的な空間となっていた。
 外側が黒玻璃めいたバスタブは湯を満たす内側が清潔感のある白を魅せていて、ムーディーな光に彩られている。
 魔導具だ。
 アップルトンに用意させた魔導具の灯りは湯船に向いていて、自然な夜景色の中で湯船のまわりがぼんやりと照らされる。
 中心が白い光は周りが薄い桃色で、その外側が青い光に変色している。
 アップルトンが腕にりをかけてほどこしたという仕掛けは雰囲気重視。
 光はゆっくりと自然なグラデーションで彩を変えて、湯色を光の色に染めるのだ。

「わあ、幻想的ですね」
 エーテルが声を華やがせている。
 
「美しいな」
「ノウファム様、今日は僕が王様だから、服を脱がしてください」
 趣のある空間に満足していたノウファムの心が一瞬くらりと惑った。
 
 
 服を脱がしてください?


 ……服を脱がしてください。
 

 ノウファムの脳内に甘やかな声がリフレインする。
(善い響きだ。とても)
 表情筋に平静を保つよう命じつつ、ノウファムは兄の顔で頷いた。

 脱がすという行為には、特有の高揚感が伴う。
 純白の襟元の隙間に覗く無防備な肌は雪も欺くような滑らかな白さを魅せていて、銀の飾りボタンを一つ一つ外していく瞬間は禁忌に触れるようだった。
(禁忌でもなんでもない。俺はエーテルの……)
 一瞬だけ思考がくらりとして、兄の自我が囁いた。
(兄だから)
 そこは『聖杯だから』『恋人だから』と言ってもよいのではないかと自問しつつ、兄のノウファムは紳士に王様からの命令を遂行した。
 
 光に浮かび上がる肢体は瑞々しくしなやかで、清潔感がありつつ、少年期を経て青年期の始め頃を迎えた者特有の初々しい色香を感じさせる。

 湯はぬるっとして肌触りがよく、身体の外側から芯まで温めてくれる。
 体を沈めていくと、始めじんじんとして熱さに驚いていた肌が少しずつ馴染んで、ぽかぽかして心地よい。
 身体を埋めた分だけ溢れた湯がバスタブの縁から溢れて、湯の流れがゆらゆらと皮膚をくすぐる。穏やかな気分になって、リラックスしてくる。
 
 自身も生まれたままの姿となってちゃぷりと湯に浸かったノウファムは、モイセスとアップルトンが言い争いしていたのを思い出した。
 
『可愛らしいアニマルグッズを浮かべるのです』
『いいえ、花です。花弁を浮かべるのです』

 忠臣たちの用意した『演出用アイテム』入りのかごをチラリと視ていると、ノウファムの中でも自問自答が巡る。
 兄が弟と楽しむならばアニマルグッズのほうが健全なのではあるまいか。
 恋人と戯れるなら花のほうがムードが出るのではあるまいか。

 人生四回目にして初めて想い人と通じ合った青年は、無言で両方の籠を取った。

「エーテル、これは浮かべるために存在するアイテムのように思えるが、どうか」
 堅苦しく生真面目に問いかけると、エーテルは湯船の中で両方の籠の中身を半々ずつ選んでぽんぽんと湯に浮かべた。
 
「僕たち、二人だけなのにとっても賑やかな気分ですね、ノウファム様」
「ああ、そうだな」
 
 光に彩られ、少し湿り気を帯びて一層艶やかな赤を魅せるエーテルの髪は綺麗だった。
 雪も欺くような白皙の肌があえかに上気して、艶めかしい。
 人形は愛らしさを引き立てるようで、花は美しさを際立たせるようだ。

(あの二人には褒美をやらねばならぬ)
 好い。
 ノウファムは上機嫌でバスタブの傍に用意されたトレイを手繰り寄せた。
 上に乗るグラスは液体とチリエージアサクランボを浮かべていて、片方が酒精なしの果汁ドリンクで、もう片方はワインなのだが。
(モイセスは色が濃いほうがワインと言っていたが、この照明の中では差が判別できない程度ではないか)

 どっちだモイセス。どっちなのだ。
 この場にいない忠臣に向けて、ノウファムは心の中で問いかけた。
 
「僕はこっちがよいです」
(あっ)
「うん、……美味しいっ」
 エーテルは美味しいものを食すと「美味しい」と鳴く。本人に自覚があるかは知らないが、それが愛らしいので他者は美味しい料理を食べさせたがるのだ。
「……大丈夫か?」
 思わず問いかけるが、今のところは平気そうなのでノウファムは安堵の吐息を秘めやかに紡いで腕を伸ばした。

 自然な仕草で自分の前に抱えるように寄せて座らせようとすると、なんとストップがかかる。
「いけません~」
 王様からの拒絶だ。
 ノウファムはぴくりと眉をあげて、手を引っ込めた。
「いけないのか?」
 お預けを喰らった犬っころの気分で呟けば、エーテルはふわりと蠱惑的に微笑んだ。
 
「僕が抱っこしてあげます」
「……!」
 向かい合う姿勢で上に乗り、ノウファムの腰を両脚で挟むようにして座って抱き着くエーテルは、刺激的だった。

(なんだこの体勢は。なんて大胆なんだ。俺は今、試されているのか?)

「ノウファム様、あーん」
 口を開けるように命令するではないか。
(これはこのまま睦み合おうという誘いだろうか?)
 命じられるまま口を開けると、チリエージアサクランボが舌に乗せられる。小ぶりで、ぷるんと熟れて柔らかで、甘い。
   
「……」
(俺はからかわれているのだろうか)

「美味しいですか」
「ああ、美味い」

 むっつりと頷くと、エーテルは嬉しそうに目を細めた。
 柑橘系の果実のような、火灯し頃特有の情緒を揺さぶる夕映え空のような、麗しい至高の宝石めいた瞳だ。
 以前と異なる気質に輝くその眼差しに自分への好意が感じられるから、ノウファムは満たされた気分になって頬に手を伸ばした。

「いけません」
「……いけないのか」

 意地悪をするではないか。
 変わったと思ったが、やはり本質は変わらぬのか。

 そんな想いを持て余していると、エーテルは白い手を伸ばしてノウファムの濡れた手を取った。
 そして、自分の頬へと導いて触れさせた。

「許してあげます」
 ふにゃりと微笑む笑顔は愛らしく、生意気で、罪深い。

「そ――――そなた、罪深い……」
 思わず『王様』のノウファムになって呟いて、ノウファムは首を振った。これはいけない。自分を抑えなければ。 
「兄さんは、兄さんは……お前が可愛い」

 可愛い。
 愛しい。

 密着して座る二人の間をゆらゆらと湯が揺れて、二人一緒に揺られている。

「そなたは、美しく有能で頼りになり、生意気で無礼で、……無茶をする危うさがあって」
 自分の唇が陶然と愛を囁くのを、止められない。
 甘い蜜が密着した肌から染み込んでくるように、溢れる恋情が自分を支配する。
「……お前は、俺に触れさせてくれて、受け入れてくれて、支えてくれて……罪作りで、やはり危うい」

 止めないでくれ、と思いながらノウファムが顔を近くへと寄せれば、エーテルは無垢で悪戯な子猫のようにするりと頬をくっつけて、すりすりとした。
 
 濡れた頬の感触が心地よい。
 
(可愛い。これで手を出すなというのは拷問だろう。もう止められても堪えなくてよいのではあるまいか)

「エーテル。俺は恋人とキスしたい」 
 熱っぽく囁けば、エーテルは蕩けるような笑みを割かせて目を閉じた。

 両目を無防備に閉じて、唇を軽くひらいて待っている。
 
「……」
 この『王様』はなんて魅惑的なのだ。
 ノウファムは頭の芯がじんじんと痺れて高揚が全身の熱をあげるのを感じながら、愛しい唯一の存在とシルエットを重ねて抱きしめた。

 肉付きの薄い身体を壊してしまわぬよう、恐々と。
 嫌がられぬよう、慎重に。
 
 
 
 夜の次に朝が来る。繰り返し、繰り返し。
 それは、手にしている物体を放せば床に落ちるような当たり前の事でしかない。
 けれど人間たちはその中に記念日や特別な日を定め、大切な人たちと祝うのだ。


「……ん……、」
 
 高揚を煽る酒の香りが感じられる。
 豊穣の恵みを思わせる円熟した香りは情欲の炎の種となり、欲濡れた手が身体の表面をなぞると恋人は素直に反応を返してくる。

 密着した肌を擦るようにその欲情の気配が衝動となって露わになると、もう歯止めが利かなかった。
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