【完結】夕凪モラトリアム

赤坂 明

文字の大きさ
34 / 37
二章 黄昏インソムニア

3-2

しおりを挟む
 顔を合わせないようにと思った矢先にはち合わせるのは、一体何の因果だろう。
 広大なキャンパス内で、学部も違えば受ける講義も被らない友哉とは、姿を見かけることはあっても接触することはないと思っていた。
 それが、何故か広い学食の中で、背中合わせに座っている。緊張で身を固める凪の後ろで、友哉は平然とカレーを口にしていた。
 
 今日はバイトがあるから、と申し訳なさそうに手を合わせる佐々木は一限の講義のみで早々に帰宅し、午前の講義を終えた凪は一人学食へと足を向けていた。遠くの教室だった為、少し遅れて凪が学食に来た時にはもう、席はあらかた埋まっていた。
 人波を縫って、何とか長机の端の席を確保し、荷物を置いて食券を買いに行く。アジフライ定食にするか、あんかけ竜田丼にするか、節約するならばうどん一択だけれども。
 悩みながら500円玉を投入するも、結局は流れてくる香りの誘惑に耐えきれず、カレーのボタンを押してしまうのが常だった。
 キーマカレーの置かれたトレーを握り、人の間を抜けて席に戻った時、凪の取っていた席の後ろに、友哉が座っていた。

 ぎょっとしたなどというものではない。何だってあんな風に拒絶された相手とこうやって遭遇しなければならないのだ。
 立ちすくむ凪を後目に、友哉は長机を挟んだ向かいの人物と談笑しているようだった。何も、こちらとてわざと友哉の近くを選んだ訳ではないのだから、臆する必要はない。思いながらも恐る恐る、席に着く。こちらに気付いているであろう背中越しの友哉は、こちらには一瞥もくれなかった。

 寧ろ友哉の向かいに座る男が、凪を見るとゆるりと顔を緩める。黒縁眼鏡の奥の瞳が意味深にこちらを見つめて来る。入学式の時に会った、文芸サークルの先輩だ。

(人にはマルチだから気を付けろって言った癖に、何で自分は会ってるんだよ……?)

 男の視線を振り切るように席に座る。聞き耳を立てている訳ではないが、背中越しの会話は否が応にも耳に入って来る。

「ははは、良く食べるねえ、真壁君は」
「……っス」
「カレー好きなのかい?」
「奢りっつーから折角なんで高いもん頼んでやろうかと思ったんすけど、やっぱカレーの匂い嗅ぐとダメっすね。他のもん食えなくなる」

 同じようなことを言っているな、と思いながら凪はスプーンを無駄に弄る。背中に妙な緊迫感を感じて、食欲はさっぱり遠のいていた。

「確かにねえ。そういえば真壁君は色んなサークルに参加してるみたいだけど」
「顔見せだけっすけどね。やってみないと分かんないんで」
「……奢られに行ってる訳ではなく?」
「はあ、まあ、奢りは嬉しいっすけど。別に金に困ってる訳じゃないんで」

 相変わらず明け透けな友哉の言い分に、仄かに苦笑が零れる。友哉は自分を飾らない。それがある意味、不躾で無神経に感じられる面もあるだろうが、少なくとも驕りだとか遜りだとか、余計な感情を挟まない只の事実として告げているのが酷く友哉らしかった。
 黒縁眼鏡の先輩の、ふっと笑う気配がした。

「そう、じゃあ色んなことに興味がある、って感じかな」
「さあ、どうなんすかねえ……興味があると言うより、興味がないのかも」
「興味がない?」
「そ、何にも興味がないから、何でも手出せるんですけど。色々試してみたけど……でも、まあ、ダメっすね」

 からからと友哉が笑う。空虚で実のない笑いだ。

「空っぽなんすよ、俺は」

 背中越しに吐き出される言葉が虚ろに胸に響く。

 凪は息を詰まらせた。かつて、ホテルの一室で感じた同調と共感と自他への憐憫が、ひたひたと胸に押し寄せて来る。
 家族とも言えない家族たちと一緒に暮らして、そして母親と暮らすことになってから、すっかり遠のいていたその空虚。
 思い出すと今でも胸を締め付けるその、足下の覚束ない感覚が、友哉を今も苦しめているのだろうか。だから友哉は、あんなにも苦しそうだったのだろうか。

「丁度良いね、それは。じゃあ、僕らのサークルにおいでよ」

 いっそ愉快そうに黒縁眼鏡の先輩が勧誘する。友哉が苦笑する気配がした。

「先輩のサークルって、あれじゃないすか」
「具体的にあれが何を指すかは分からないけれど。でも、君に損はさせないし、多分、向いていると思って声を掛けたんだよ」

 確信をぼかしながらもにこやかに話す、内容は酷く不穏で、凪は身を硬くする。凪も、文芸会の内容に惹かれてサークル参加をしていたら、こうした勧誘を受けていたのだろうか。

「向いている、ねえ」
「そう、君はどちらかと言えば、そこの凪君とは違う……鴨ではなく狩る側の人間だ」

 凪が聞き耳を立てていることを察してか、黒縁眼鏡が揶揄い混じりに放つ。一層身を強張らせる凪の後ろで、友哉がはっきりと舌打ちをした。

「弱え奴虐める趣味はないっすよ、俺は」
「趣味はなくとも出来なくはないだろう、君は。他人に興味がないから、深入りしないで済む。情がある人間は駄目だよ、直ぐに同情して引きずられるから。相手がどれだけ苦しもうが墜ちていこうが、気にならない人間が必要なんだよ、こっち側には」

 淡々と黒縁眼鏡が言う。凪のようにカモられる側ではなく、友哉は勧誘する側として目を付けられたようだった。
 確かに友哉は他人と距離を置く。ずっと臆病なくらいに、深入りしないように人と距離を測っていた。
 けれどそれは、情がないからなどではない。寧ろ、友哉は――

「空っぽな君には、ぴったりの仕事なんじゃないかな」

 同類相哀れむといった自虐と嘲笑を孕んだ声音だった。かっと腹の奥が熱くなる。それが何なのか、理解するより早く身体が動いた。
 勢い良く立ち上がると、何事かと周囲の視線が集まる。好奇の視線も今や気にならない。
 振り返る先、うっそりとこちらを見上げる友哉と目が合う。沈んだ色の奥に、けれど確かに、あの日と同じ友哉がいるのを、凪は信じたかった。

「空っぽなんかじゃない」

 黒縁眼鏡の先輩などはどうでも良かった。見下ろす友哉に、伝える。届いて欲しい、信じて欲しい。
 だってあの日、父親の新しい家族を前に傷ついた凪よりも、先に憤ったのは友哉だった。上手く怒れない凪の代わりに怒ってくれたのが友哉だった。
 きっとそれと同じだ。凪を今動かしているのは怒りだ。自分の気持ちが分からなくて、足下が覚束なくて、誤魔化し続けて来ただろうその怒りが、凪を突き動かしている。

「空っぽなんかじゃないだろ、友哉は。空っぽな人間があんな風に人の為に怒ったりなんかする訳がないんだ」

 眉を顰める友哉は、覚えているだろうか。あの日凪の手を引いた時の温もりを。優しさを。

「見えなくなってるだけだろ。あんたずっと、真面目に向き合わないで、誤魔化し続けて、だから自分で分かんなくなってるだけで、本当は優しいし、情に厚いし、俺のことずっと目で追ってるし、いつだって助けてくれるし、それで――」

 必死に言葉を募らせる凪の前で、黒縁眼鏡の先輩が口元だけの笑みを浮かべる。眼鏡の奥の瞳はさっぱり笑っていない。

「……凪さあ……」

 呆れたように友哉が言う。困ったような、戸惑ったような、凪の知っている友哉の顔で。

「めっちゃ注目浴びてるけど、そこはいい訳?」
「…………あ、」

 只でさえ凪の容姿は目立つ。学食で突然立ち上がって演説をかます姿は、さぞや良い見せ物だろう。

――え、何々痴話喧嘩?

 ざわめく学食で狼狽え立ち往生する凪の前で、友哉が小さく、笑う気配がした。

「……本当、お前、放っとけねえの」
「え、……う、わ!」
「じゃ、先輩そーゆーことなんで。俺には合わなそうなんで止めときますわ。ゴチになりました!」

 食器もよろしくっス、と調子の良いことを言う友哉の手が、そっと凪の手首に触れる。先日の強引に凪を掴んだ時とは違う、躊躇いを孕んだ優しい手だ。

 周囲の注目もものともせず、すいません通ります、と飄々と声を掛けながら長机の合間を縫って行く。友哉の手を、凪は振り払うことなく、後に続いた。
しおりを挟む
感想 5

あなたにおすすめの小説

はじまりの朝

さくら乃
BL
子どもの頃は仲が良かった幼なじみ。 ある出来事をきっかけに離れてしまう。 中学は別の学校へ、そして、高校で再会するが、あの頃の彼とはいろいろ違いすぎて……。 これから始まる恋物語の、それは、“はじまりの朝”。 ✳『番外編〜はじまりの裏側で』  『はじまりの朝』はナナ目線。しかし、その裏側では他キャラもいろいろ思っているはず。そんな彼ら目線のエピソード。

【完結】期限付きの恋人契約〜あと一年で終わるはずだったのに〜

なの
BL
「俺と恋人になってくれ。期限は一年」 男子校に通う高校二年の白石悠真は、地味で真面目なクラスメイト。 ある日、学年一の人気者・神谷蓮に、いきなりそんな宣言をされる。 冗談だと思っていたのに、毎日放課後を一緒に過ごし、弁当を交換し、祭りにも行くうちに――蓮は悠真の中で、ただのクラスメイトじゃなくなっていた。 しかし、期限の日が近づく頃、蓮の笑顔の裏に隠された秘密が明らかになる。 「俺、後悔しないようにしてんだ」 その言葉の意味を知ったとき、悠真は――。 笑い合った日々も、すれ違った夜も、全部まとめて好きだ。 一年だけのはずだった契約は、運命を変える恋になる。 青春BL小説カップにエントリーしてます。応援よろしくお願いします。 本文は完結済みですが、番外編も投稿しますので、よければお読みください。

今日は少し、遠回りして帰ろう【完】

新羽梅衣
BL
「どうしようもない」 そんな言葉がお似合いの、この感情。 捨ててしまいたいと何度も思って、 結局それができずに、 大事にだいじにしまいこんでいる。 だからどうかせめて、バレないで。 君さえも、気づかないでいてほしい。 ・ ・ 真面目で先生からも頼りにされている枢木一織は、学校一の問題児・三枝頼と同じクラスになる。正反対すぎて関わることなんてないと思っていた一織だったが、何かにつけて頼は一織のことを構ってきて……。 愛が重たい美形×少しひねくれ者のクラス委員長、青春ラブストーリー。

【完結】俺とあの人の青い春

月城雪華
BL
 高校一年の夏、龍冴(りょうが)は二つ上の先輩である椰一(やいち)と付き合った。  けれど、告白してくれたにしては制限があまりに多過ぎると思っていた。  ぼんやりとした不信感を抱いていたある日、見知らぬ相手と椰一がキスをしている場面を目撃してしまう。  けれど友人らと話しているうちに、心のどこかで『椰一はずっと前から裏切っていた』と理解していた。  それでも悲しさで熱い雫が溢れてきて、ひと気のない物陰に座り込んで泣いていると、ふと目の前に影が差す。 「大丈夫か?」  涙に濡れた瞳で見上げると、月曜日の朝──その数日前にも件の二人を見掛け、書籍を落としたのだがわざわざ教室まで届けてくれたのだ──にも会った、一学年上の大和(やまと)という男だった。

嫌いなあいつが気になって

水ノ瀬 あおい
BL
今しかない青春だから思いっきり楽しみたいだろ!? なのに、あいつはいつも勉強ばかりして教室でもどこでも常に教科書を開いている。 目に入るだけでムカつくあいつ。 そんなあいつが勉強ばかりをする理由は……。 同じクラスの優等生にイラつきを止められない貞操観念緩々に見えるチャラ男×真面目で人とも群れずいつも一人で勉強ばかりする優等生。 正反対な二人の初めての恋愛。

【完結】恋した君は別の誰かが好きだから

海月 ぴけ
BL
本編は完結しました。後日、おまけ&アフターストーリー随筆予定。 青春BLカップ31位。 BETありがとうございました。 ┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈ 俺が好きになった人は、別の誰かが好きだからーー。 ┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈ 二つの視点から見た、片思い恋愛模様。 じれきゅん ギャップ攻め

【完結】毎日きみに恋してる

藤吉めぐみ
BL
青春BLカップ1次選考通過しておりました! 応援ありがとうございました! ******************* その日、澤下壱月は王子様に恋をした―― 高校の頃、王子と異名をとっていた楽(がく)に恋した壱月(いづき)。 見ているだけでいいと思っていたのに、ちょっとしたきっかけから友人になり、大学進学と同時にルームメイトになる。 けれど、恋愛模様が派手な楽の傍で暮らすのは、あまりにも辛い。 けれど離れられない。傍にいたい。特別でありたい。たくさんの行きずりの一人にはなりたくない。けれど―― このまま親友でいるか、勇気を持つかで揺れる壱月の切ない同居ライフ。

【完】君に届かない声

未希かずは(Miki)
BL
 内気で友達の少ない高校生・花森眞琴は、優しくて完璧な幼なじみの長谷川匠海に密かな恋心を抱いていた。  ある日、匠海が誰かを「そばで守りたい」と話すのを耳にした眞琴。匠海の幸せのために身を引こうと、クラスの人気者・和馬に偽の恋人役を頼むが…。 すれ違う高校生二人の不器用な恋のお話です。 執着囲い込み☓健気。ハピエンです。

処理中です...