【完結】夕凪モラトリアム

赤坂 明

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二章 黄昏インソムニア

3-3

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「真壁、」

 呼び掛けても、友哉の足が止まることはなかった。食堂を抜け、学棟を抜け、友哉は足早に大学の敷地を抜けようとしている。
 先を行く広い背中を、凪はぼんやりと眺めた。もう幾度、友哉にこうして手を引かれたろう。友哉の強引さに、優しさに、凪はどうしようもなく惹かれて、期待して、傷ついて、それでも心動かされずにはいられないのだ。

「……何かさあ、多くね。このシチュエーション」

 ぼそりと友哉が呟く。丁度同じようなことを思っていた凪は、友哉に手を引かれながら思わずくすりと笑みを漏らした。
 正門の手前の芝生を突っ切るように歩いていたスニーカーが、春の青々しい芝を踏む。昼休みの構内はそれなりに人気もあって、偶に何事かと視線が凪を追って来る。けれど、それも今までのようには気にならなかった。

「お前さ、只でさえ目立つのに」

 ちらりと振り返る友哉の瞳が凪を捉える。以前と変わらない熱量にじわじわと胸に沸く陶酔を抑えながら、凪は友哉の手を握り返した。

「今更だろ」
「まあ、そうだよなあ、あんだけ熱烈に告白してくれた後だもんなあ」
「……っこ、ちが、いや違わない……こともないが……」
「違わないのかよ」

 からから笑い凪を伴う友哉は、凪の手を取りながら、反対の手で後頭部を掻いた。

「…………困るよ」
 
 心底参ったように告げる、言葉が矢張り胸に苦い。それでも矢張り、友哉は凪に対しての否定は口にしないのだ。困るのも、会いたくないのも、迷惑なのも、全部友哉の気持ちだ。凪を嫌いだとか、気持ち悪いだとか、そうしたことは絶対に言わない。だから凪はどうしても期待してしまう、いっそきっぱり切ってしまえば良いだろうに、凪が困っていると手を出さずにいられないのだ。
 酷い男だ。だからこそ惹かれてしまう。

「……真壁、学校。俺、次も講義ある、けど……」

 校門を抜けそうになる友哉に慌てて告げる。友哉は振り返ることなく凪の手を引いた。

「俺もあるなあ、統計だったか」
「……いいのかよ、出なくて」

 言いながらも凪の足は止まらない。正門を抜け、大学前の通りを友哉の背を追って歩く。

「いいんじゃね?」

 飄々と友哉が言う。ぎゅっと凪の手首を掴む手に力が入った。

「こっちのが大事だし……違う?」
「…………違わない」

 思わず俯く凪の視界に、友哉の筋張った手だけが、映っていた。

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 マンションの入り口の番号は覚えた。9236。違わずそれが打ち込まれ、黙ったままの友哉に手を引かれたまま、凪は開いたエントランスのドアをくぐる。
 大学の最寄り駅、その反対側にある友哉のマンションまで、手を繋いだまま歩いた。
 小学生の子供などとは違う、大学生の男二人が手を繋いでいるのだから、それは人の注目を浴びた。只でさえ凪の容姿は目を惹く。大学でも相当に噂になることだろう。

 だからどうした。今では自分から握り直した友哉の手のひらを、凪はしっかりと繋ぐ。あの田舎の町では、凪は身を縮めて生きていきた。自由なんてなくて、いつでも監視されているようで、常に揶揄いの対象で、凪に味方なんていなくて。
 でも、今は違う。凪は自分で選ぶことが出来る。選び取ったその手を、もう離さないと決めたのだ。

 尤も、相手が選らんでくれるかどうかは、また別だけれども。
 三階の角部屋、ドアを開け友哉に促されるままに、凪は中に入った。狭い玄関で靴を脱ぐ。ワンルームの部屋は何も変わらない。ベッドと向かいのテレビと、小さな卓上にはリモコンと教科書と、それから――カメラが置かれている。凪も見たことのある、一眼レフだ。

「とも、……っう、わ、」

 部屋に上がり一眼レフに手を伸ばした掛けた凪の腰に、いきなり腕が回された。
 背後から抱き竦められるような体勢に、凪は息を呑む。背中に友哉の体温を感じる。腰を抱く腕は仄かに震えていた。

「……困るんだよ」

 迷子の幼子のような戸惑った声音が耳元に吹き込まれる。恐る恐る、後ろ手に伸ばした手を友哉の頬に触れさせた。抵抗はない。そのまま緩々と頬を撫でる。啜り泣くような吐息が背後から零れた。

「聞いてたろ、さっき。俺が、空っぽだって」

 大学の食堂で、黒縁眼鏡の先輩に吐き出していた言葉が、凪の耳に低く囁かれる。

「…………空っぽなんかじゃないだろ」
「いや、空っぽなんだ。何にもない。凪から逃げるみたいにして、東京戻ったけど、そこから何もやる気しなくて」

 やっぱり逃げたのか。きっかけは叔父の引っ越し癖だろうが、黙って連絡も絶っていなくなった友哉に、その時の絶望が蘇り凪はきゅうと唇を噛み締めた。
 凪の虚ろは家族が埋めた。絶望は友哉に会いたい一心で勉強に打ち込むことで埋めた。ならば、友哉は。

「大学も……特に希望なくて、適当に叔父さんの出身校選んだだけだし」
「……学部は?」
「あー、目瞑って入試案内めくって、適当に開いたとこにしよって思っただけ。別に経済に興味あった訳でもねえしな」

 それで学内でも相当に要求偏差値の高い学部に受かる辺りが、友哉らしいと言えば友哉らしい。

「何もねえんだよ、俺には、本当……凪とは違う」

 耳元に昏く囁かれる。身体に回された腕に力が入るのが分かった。

「凪とは違うんだよ」
「……何がだよ。何も違わないだろ」
「違うだろ」
「…………っ、」

 不意に首筋に痛みが走る。凪は息を詰まらせた。友哉の歯が、右寄りのうなじを食んでいる。軽い、甘噛み程度の刺激であるのに、友哉の息遣いまでもが感じられて、凪の背筋が粟立った。

「凪にはあるだろ、やりたいことも、一緒にいられる家族も。……凪は、俺のこと追って来たって言ったけどさ、」

 凪の身体を抱き竦める腕は、もういっそ痛い程だった。凪を捉えるように、逃がさないように。

「……きっといつか、俺のこと置いて行くよ」

 断定する友哉の恐れが、痛みが、拘束する腕から伝わって来るようで、凪の胸が苦しくなる。そうだった、友哉は人一倍臆病で、誰より情が深い男だった。情があるが故、人との別れが耐えきれずに、他人と距離を取って、それが当たり前になって、自分を見失ってしまうような男だった。
 凪のこともそうだ。凪が近寄ろうとしたら恐れて、逃げて、突き放そうとして、でも拒絶しきれなくて。

 どうすれば伝わるだろうか。友哉は空っぽなんかじゃないし、誰より優しいのを凪は知っているし、そんな友哉が凪は好きで、だからここまで追いかけて来て――何処にも行かないのだと。
 凪は歯噛みした。全てを言葉にして伝え切れれば良いのに、不器用な自分の言葉では何一つ伝えられそうにない。

 凪は友哉の頬を撫でる。宥めるように、慰めるように。高二の夏、ホテルで、凪が欲しかったものだ。そしてきっと、友哉も望んでいたものだ。

「友哉」
「……ん」
「…………友哉、」
「何だよ」
「…………好きだ」

 ふっと、耳元に苦笑が吹き掛けられる。身体に回された腕が緩むのに合わせて、凪は身を反転させた。やっと友哉に向き合える。友哉は眉根を下げて、顔を歪めていた。泣き出しそうな幼子のような顔を、両方の手で包む。

「……困るって、言ったろ」
「何が困るんだよ」
「…………凪を、……好きになるのが、困る」
「っそんなの、」

 そんなの、もう好きだと言っているようなものではないか。お互いに好きなのに、お互いの好きが噛み合わなくて、こんなにももどかしい。
 好きだから、凪は一緒にいたいし、一緒にいられると信じている。けれど友哉は、好きだからこそ一緒にいられなくなると、恐れている。

「友哉、好きだ」
「……凪」
「好きだ」
「っだから、」
「あんたが臆病なのなんて、俺は前から知ってるよ。だから、何回でも言う」

 本当はあの夏の夕凪の海で、友哉に言いたかったことだ。一時限りの口付けではなく、確かな気持ちを伝えたかった。あの時も友哉は、先が分からないことを恐れていた筈だ。
 もう友哉は何処にでも行けるし、何でも自由に選べるのに、こんなにも不自由に捕らわれているのが哀しい。泣き出しそうな友哉の顔を見上げ、凪は懸命に告げる。

「友哉、好きだよ」
「……凪」
「好き」
「…………うん」
「あんたが何処へ逃げても、俺がしつこく追いかけるし……俺がさ、そんなことはないと思うけど、もし俺が離れそうになったらさ、」

 頬から滑らせた手を首筋に回す。ぎゅうと引き寄せ抱きつく身体は、抵抗がなかった。あの夏友哉に求めた、縋るように、慰めや馴れ合いを求めたのとは違う。友哉を心から抱き締めたくて、そうしている。

「その時は、あんたが追って来てよ。あんたが来てくれたら、俺はきっと……嬉しいから」

 凪の背に回された腕が、力を増す。じっとりと、友哉の視線を感じた。その目だ。初めて会った時から感じていた熱い視線。その目が凪だけに注がれていて欲しい。この先も、ずっと。

「凪」
「うん?」
「凪」
「……うん」
「…………ずっとここにいてよ」

 重く吐き出される言葉が全身を巡る。どうしようもない喜びが胸の奥から溢れて、震えた。友哉の首に回した腕に力を込める。そうでもなければ全身が歓喜ではちきれてしまいそうだった。

「凪、ちょっと苦しいんだけど。ギブギブ」
「……空気読めよ、そういう所だぞ」
「でもそういう所が好きなんだろ?」
「っバ、カ……そう、っだよ!」

 開き直った友哉に、半ば逆ギレ気味に叫ぶ。
 首に回した腕を離す。見上げた友哉と目が合った。じっと凪に注がれる目が雄弁に気持ちを伝えて来る。こいつはどれだけこの顔が好きなんだよ。何度思ったか知れない疑問が、こそばゆく胸をくすぐる。

「……いるからな、ずっと、一緒に」

 むすりと唇を尖らせながら囁く。くつくつと愉しげに笑う友哉の顔が、ゆっくりと近付いた。
 唇が触れる。夕凪の海で、恐る恐る触れた時よりも確かに。噛みつくほどに強く、友哉から与えられる口付けに、凪も夢中でその首筋に縋り付いた。

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

「あ、凪の見たい映画、午前中しかやってなかったわ」
「……何で毎回そこは適当なんだ、あんたは」
「んー、じゃあまあ、俺が見たい奴見るしかないよなあ」
「ずるくないか、それは」

 夏休みとはいえ平日の電車はがらがらで、凪と友哉の他にはちらほら行楽客がいるくらいだ。午前と午後の合間の半端な時間、並んで座席に座る凪の隣で、友哉はスマホの画面に目を落としている。

「いいだろー、偶にはアクションでも。湊も誘ってやろうぜ」
「いいけど、来るかな。最近友達と良く遊びに出てるらしいし」
「ま、そか。義理の兄とそのカレシと映画行くより、ガキ同士で遊んでる方が楽しいもんなあ」
「……デリカシーという単語はあんたの辞書にはないのか」

 からからと笑う友哉の開いた脚が、凪の膝に触れる。じゃあこれでいいか、とスマホの画面を見せて来る、友哉との距離の近さがくすぐったく、凪も頬を緩める。

「それにしても、お盆に実家帰るなんて、凪ちゃんもマメだよなあ」
「まあ、大学入ってから帰ってないからな。美奈子さんも顔見せろって言ってるし」
「父親は?」
「空気」

 爆笑する友哉の背後、窓の向こうが明るくなる。

「友哉」
「ん?」
「海だ」

 二人で電車の窓を振り返る。遠く陽光に、照らされた海面が青く光を反射している。
 無意識にだろうか、友哉の指先が首から掛けた一眼レフをなぞった。

「なあ、凪」
「……ん?」
「また、写真撮ろうな」

 撮りたい、でもなく、撮っていいか、でもない辺りが、どうしようもなく友哉らしい。
 どうしようかな、囁き笑う凪の後ろで、さざめく水面がきらきら、輝いている。
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