手を振る朝

サンズイモドル

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4章 「手を振る朝」

夢を見たことに

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 スクリーンに「AM 04:30」と表示される。

『残り三十分を切りました』

 ラドガストの無感情な宣告が、立ち尽くす遥の心を削り取る。残された鍵は、赤、ただ一つ。

 ノイズが走る。意識が過去へと引きずり込まれる。雑居ビルの一室、携帯電話修理業者の狭いオフィス。

『いらっしゃいませ。ご予約の方ですか?』
『はい、電話した守屋です。スマホで居場所が確認できるアプリって……ありますか?』

 自分の声が震えている。聡を失うかもしれないという恐怖が、理性を蝕んでいた。

『……まぁ、ありますが。ただ、あまりお勧めしていません』
『でも、どうしても……。居場所とか、やりとりを知りたいんです』
『ご本人が来店されて、目の前でロック解除して頂かないと』
『ありますっ! スマホ』

 遥は聡のスマホを取り出す。彼の信頼を裏切る行為だと分かっていながら、手が止まらなかった。

『パスコードも、分かります』
『最悪、刑事責任が問われる場合もあるとだけ、お伝えしておきます』
『……だいじょうぶです』

 ノイズが途切れる。
 現実に引き戻された遥は、罪の重さに耐えきれず、その場に崩れ落ちた。聡が彼女のそばに歩み寄り、向き合って座る。

『遥さん、あなたが本当に恐れていることはなんですか?』

 ラドガストの問いが、心の最も深い場所を抉る。
 歪んだノイズと共に、封印していた記憶がフラッシュバックした。小学五年生の遥。寝室で布団に包まり、必死に耳を塞いでいる。リビングから漏れ聞こえる、父と母の諍い。

『だから違うって言ってんだろ!』
『そうやっていつも【嘘】ばかり……』
『ただの会社の付き合いだよ。……なんでそんな疑うんだ?』
『全部知ってるんだよ?!』

 ガシャン!

 母・美咲がわざとコップを落とす。ガラスが砕ける硬質な音が響いた。フローリングの上に砕け散った花柄のマグカップ。

『またか』

 父・拓也がため息をつき、破片を拾う。

『痛っ。……もう別れよう』
『……遥は?』

 美咲が台所でタバコに火をつける。

『親権争い、母親が強いんだって』
『家で吸うのやめろって、言ってんだろ……』
『「吐く」のがやなんでしょ』

 美咲は短く鼻で笑い、煙を吐き出した。水道の水でタバコの火を消し、狂気を孕んだ余裕の笑みを拓也に向ける。

『これ、やられたって言うよ?』

 自分の手を、腫れるほど流し台に叩きつける鈍い音。

『……もうダメだ。俺達』

 回る換気扇と、吸い込まれる紫煙。
 耳を塞いでも聞こえてくる、家族が壊れる音。それが、遥の原風景だった。

「『別れ』が怖いの。次はもう、立ち直れないから」

 遥の告白は、悲鳴のようだった。

『遥さんは【嘘】を認めました。ロックが解除されます』

 カチッ。最後の鍵が外れる音がした。
 同時に、スクリーンに「AM 04:44」と表示される。

『午前四時四十四分です。時刻通り、鍵は消滅します』
「残り、十三分?」

 赤色の光の円が発生する。
 遥は光の中に入り、鍵に手を伸ばすが、その手が止まった。

「差さなければ、開かないんだよね?」
『はい。永久に』

 鍵を手にする。だが、この鍵は希望ではない。別れの証明だ。

『扉を開けば、お別れです』
「どうして!?」
『お伝えしても、聞こえないのでは?』
「そんな訳ない。……言ってみて?」

 ラドガストは、最も残酷な真実を、淡々と告げた。

『夜明け前、聡さんは〇〇〇〇〇〇』

 遥は首を傾げる。まるで、その言葉だけが雑音に紛れたかのように。

「……なに? 早く言って」
『やはり、神殿に残るべきです』
「……央と晶君がいるから」
『ではこうしては? 聡さんという夢を見たことに。起きたら全て、忘れるのです』

 甘美な誘惑。遥は鍵を抜き、光の円から出た。
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